58.斎さま!!男装です!!!
空が青く、そして水田は青々とした稲が空に向かって一斉に伸びていた。
畝がうねうねと山の斜面にそって棚田を作っている。
稲には馴染みがない文化圏で生まれ育ったが、この景色を見てどこか心が癒やされるような、懐かしい気持ちになるのはどうしてだろう。前世の記憶のせいだろうか。
きっと状況が状況でなければ、美しい景色をうっとり楽しむ余裕があっただろう。
――私は雪鳴様が手綱を掴んだ馬に同乗し、田園風景を疾走していた。
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陛下が行っている禊祓の儀式に、参列する官僚の一人が高熱を出したらしい。
私は図書寮の一室に押し込まれ、慌ただしく男装の準備に取り掛かることになった。
衝立の向こうで、雪鳴様が苦々しい声で説明する。
「高熱が出た者は穢として全ての神事に参列できない。この場合、血縁から代役を立てるのが通例なのだが、首都より遠い土地を治める諸侯で、都合のいい身内を呼び寄せるとしても禊祓に間に合わない」
「これってちょっとまずいんだよね」
話を続けたのは来夜様だ。
いつもまくりあげた袍をすっきりと伸ばして着込み、大人の声で話す彼は、いつもの少年姿と別人のようだ。
「陛下のやっていることは地鎮だから、それに一族の代表者が参列しないのは単純な不敬だけでなく、土地の安寧を陛下と共に祈らないってことで、まあすっごい面倒なことになるわけなんだよ」
「確か言い伝えでも、禊祓に参加しなかった県令の土地が大不作になった、みたいな話がありましたね……」
先日から纏めていた書簡の中には、それぞれの地元の言い伝えや民間信仰のような話も混ざっていた。
その中に、
「うちの県令の禊祓が雑なので不作が起きそうで心配だ」
と訴えるおばあちゃんの話もあったように思う。
衝立の向こうで来夜様が続ける。
「今は無駄に事を荒げたくないんだよね。忙しい時期だし。だから斎、ちょっと代わりに行ってやってくれない?」
「成人男性の代わりを私なんかで、大丈夫なんですか?」
「ちょうど髪色も合ってるし、冠を被れば皆似たようなもんさ。代役に都合が合わなかった弟はまだ十歳。斎なら背丈も声も問題ない。顔も半分布で覆い隠すし」
「……頼めるか、斎殿」
「私でよろしければ、お力になりたいと思います――」
二人の期待に対し、私が頷いた、その時。
「斎様ーッッッ!!! お久しぶりです! 錫色でございます!!!」
ズザー!!という擬音が聞こえてくる勢いで、錫色が飛び込むように部屋にやってきた。
衝立で見えていないが、雪鳴様と来夜様がどんな顔をしているのか簡単に想像できる。
「斎様ッ! 着付けはお任せくださいッ!! ちょうど今日、色々準備でここに来ていてよかったです!!」
久しぶりに見る錫色は相変わらず元気いっぱいだ。
錫色ともうひとりの侍女にパッパと身ぐるみを剥がれ、袴と袍を着付けられていく。
つけ毛をつけた冠を被れば、あっという間に長髪の少年が出来上がる。
「……はーー……」
衝立の向こうから、深い露骨なため息が聞こえてきた。来夜様だ。
「……ちょっとその女官の声、なんとかならない?」
「これでも声小さくなったんですよ」
「…………………………本当?」
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「斎殿、もうすぐ到着する。ずっと揺れているが、具合はいかがか」
馬をとめた雪鳴様は、一旦休憩に道沿いの木陰へと入った。
小川で水を汲んできてくださったのを、ありがたく受け取っていただく。
日中に馬を飛ばし続けて熱いのだろう。
気遣う雪鳴様もかぐや姫のような長い黒髪が額や首に貼り付いていて暑そうだ。
濃紺の袍に甲冑を身に着けた姿はどう見ても夏の装いとして暑い。
「お心遣いありがとうございます。雪鳴様こそ、お休みになられてください」
「私は問題ない。騎行には慣れている。だが斎殿は馬に慣れていないだろう、無理をしているなら早めに言ってほしい」
「酔い止めの薬が効いているようです」
私の言葉に安堵したように、雪鳴様は隣に腰を降ろす。
私は事前に錫色に指示し、庭に生えていた宵月薄荷を用いた魔力薬を服用していた。
自分の魔力だけで酔わないように操作することはできるが、薬を用いたほうが魔力消費が少なくて済む。陛下の禊祓に参列する身として万が一のため、魔力は温存しておこうと判断したのだ。
「雪鳴様。あちらが陛下のいらっしゃる廟ですか?」
「そうだ。昼の禊祓には間に合うだろう」
私達は首都を出発し、休まず川沿いに南へと進んでいた。
視界が開けているので、遠くの河辺に廟があるのがよく見える。人もたくさんいるようだ。
川風が吹き抜け、首筋にかいた汗がすっと冷えていく。
「――国には、慣れたか」
馬が水を飲むのを眺めていた雪鳴様が、ぽつりと話しかけてきた。
かぐや姫のような長い髪が、彼の分厚い体を滑り、ひらひらと帳のように靡いている。
「私は斎殿に感謝している。――陛下が以前よりずっと明るくなった。精力的に働きすぎるほどだ」
「……そう、なんですか?」
いつも明るく穏やかな笑顔を見せる人だと思っていたから意外だった。
しかしすぐに思い直す。
「そうですよね。……あれだけ魔力回路が凝り固まっていたのなら、お体も相当お辛かったはず」
「あの方の魔力を支えるには、魔力保持者の神祇官を持ってしても力が足りない。斎殿の代わりになれるとしても、来夜様くらいか」
「……そうですよね。あれだけの魔力を持っていらっしゃる陛下だから、魔力を注ごうとして逆に全てを吸い上げられ、枯渇してしまうこともあるでしょう」
「陛下の臣下としてではなく、ひとりの血縁として、斎殿にはいつか礼を言わなければならないと思っていた」
雪鳴様は私を見つめ、薄く微笑む。
「これからも陛下に寄り添って差し上げてほしい。あの方の抱えるものを支えられるのは、斎殿だけだ」
「とんでもないです。……私は『鶺鴒の巫女』として当然のことをしているだけですので、そのようなお言葉もったいないです。……でも、ありがとうございます」
「今度是非私の屋敷にも来てほしい。妻や家族が斎殿に会いたがっている」
「はい、私でよろしければ喜んで!」
馬が首をもたげたところで、雪鳴様が立ち上がる。
――これからいよいよ禊祓の現場だ。
私は気を引き締め、つけ毛のついた冠の紐を改めて締め直した。
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