57.権力がかかった男の嫉妬は怖いよ
「そうはいっても寵愛された本人も、北方国の末裔としての意識は薄かったさ。
実質的には『古き血を持たない田舎のいち地方のガキが、陛下に寵愛され、身分不相応な立場まで上り詰めた』って状況だっただろうか――そりゃあ、誰だって先帝の気が狂ったと思うだろう」
どこか自嘲的に笑い、来夜様は壁に投影した表示を切り替える。
「とにかく、先帝陛下がとんだ暴れん坊皇帝だったのは理解したかい?」
「はい。おおよそは」
「その後、どうなったのかは説明するまでもないだろう。
強引な改革によって改善したことは数あれど、人は実績より感情的な不平不満を強く記憶する。
なにより国民達は『陛下』が『人間』になろうとしたのを嫌った」
「人間……」
「陛下は後宮を作り、複数の妃――しかも家柄を問わずに集めた女達に後継者を生ませ、将来的に己の血縁と妃たちの実家で政治を固めようと図った。『人間』の王ならありがちな戦略さ。
ただ東方国の皇帝陛下は翼を持つ『神様』だ。
妃の肚はあくまで人間の肚を借りるだけ。
純度の高いたった一人の皇帝以外、兄弟姉妹が生まれてしまえば、それは『神様』が『人間』になってしまう――そんなものは『皇帝』ではない」
話を聞きながら私は複雑な気持ちになった。
先帝陛下は決して国民を裏切りたくて後宮を作ったのではないはずだ。
ただでさえ国内政治が不安定な時に、皇帝という存在が揺らがないようにしたかったのだろう。
立場の重さは違えども、血が途絶えることへの恐れは、私も分かる気がする。
「陛下はご兄弟姉妹はいらっしゃるのですか?」
「できなかったのさ。どれだけ頑張っても、『天意』は皇帝の世継ぎは一人しか産ませないのだろう」
「……失策になってしまったのですね」
余計、先帝陛下の立場は悪くなったのだろう。
来夜様は話を続けた。
「春果陛下が生まれるのにも随分と時間がかかった。だからこそ皇太后陛下は授かった後は実家に陛下を隠し、翼が生えて正真正銘の『神様』になるまでお守りしたのさ」
「その頃に、来夜様は教育係をされていたのですね」
「追放された後だったからね、暇だっただけだ」
「……」
来夜様はパチンと音を立て表示を切ると、椅子から降りて背筋を伸ばす。
「今日はこの辺にしておこうか。だいぶん片付いたし」
「え」
私は思わず窓外を見る。まばゆい太陽の光は、まだ終業には早い。
「私はまだ時間がありますので、終わらせてしまうこともできますが……」
来夜様と二人で作業をして効率は上がり、残りは私一人でもなんとか終わらせられそうだった。
しかし来夜様は首を横に振る。
「今日は帰って。これだけの仕事量が今日で終わってしまえば魔力保持者として目立ちすぎる」
「確かに……」
この国では魔力保持者は少数派だ。悪目立ちするのは本意ではない。
「もう少し手を抜いて仕事しなさい。全力じゃなくて6割でも十分やりすぎだ、君の場合は」
「……申し訳ありません」
「気負いたい気持ちはわかるけどね。僕は君に、僕のようになってほしくない」
「……」
「そこの纏めた報告書、取って。地方管理部によこしてくるから」
私から書類を受け取ると、来夜様はぽん、と私の頭を撫でた。
「春果陛下は君が僕のようにならないよう、徹底的に下準備をした上で君を迎えた。……多少無能に思われるくらいでいい。才気走って官僚連中に目をつけられるな。――権力がかかった男の嫉妬は怖いよ」
「……ありがとうございます」
すたすたと作業部屋を出ていく来夜様の背中に頭を下げ、私は感謝を言葉にした。
同時に脳内で、陛下が私を来夜様と会わせてくださった意図を薄っすらと理解する。
(純粋な東方国人ではない私の立場を……理解してくださる方と、会わせてくださったんだ)
「ああ、そうだ。斎」
部屋を出る直前。彼はくるりとこちらを振り返る。
指で空を指差し、にやりと目を細めて笑った。
「今夜は空を見るといい。南の空だ」
「空、ですか」
「いいものが見られるよ。それじゃ、また明日」
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鶺鴒宮に戻り、私は女官、侍女から一日の報告を受け、夕餉と入浴を済ませた。
浴室は夕日の輝きできらきらと輝いていたが、入浴して部屋で髪を整えている間に、あっという間に空は暗くなった。私は高楼の椅子に座り、暗くなった外を眺めて物思いに耽る。
南の空は星が輝いていたが、特にそれ以上の変わったことも起きていなかった。
「……きっと、北方国の末裔というのは……」
その時、晴れた空にいきなり閃光が散る。
――どん、と大きな衝撃音と共に、落雷が、南の空を迸った。
「――!!!」
立て続けに何度も稲妻は空に亀裂を走らせ、どん、どん、と大地を揺るがす衝撃が、まるで砲撃のように鳴り響く。私は息を呑んでその光景を目撃した。
「……陛下が、儀式をなさっているんだ」
雨のように降り注ぐ落雷。私はその意味を知る。あの方角には大河がある。雨の増える季節を前に禊祓を行い、水難逃れと豊作を祈る神事が行われているのだろう。
ずっと遠くで行われている禊祓なのに、陛下の美しい後ろ姿が、声が、近くにある気がする。
きっと陛下は、あのよく通る声で朗々と詠い、權杖を掲げ、白練りの衣を靡かせ、雷を呼んでいるのだろう。神事に参加する人々を、その姿と威光で魅了しているのだろう。
ひとしきり鳴り響いた落雷が止むと、街中から、宮廷内からわっと拍手と歓声が響いた。
陛下に対する感謝と賛辞が、音となって首都を包み込んでいる。
(……どうか、このまま陛下が愛され続けますように)
私は一人、静かになった空に向かって祈りを捧げた。
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翌朝、いつものように図書寮に向かったところ、来夜様が雪鳴様と一緒だった。
珍しく来夜様が青年姿になっている。何かを話し込んでいる様子だった。
私を目に留めた来夜様が、軽く手をあげる。
「噂をすれば来たか、鶺鴒娘」
「おはようございます。……何かあったのですか?」
「……そのことなんだが」
眉間に皺を寄せる雪鳴様と対象的に、来夜様はにっこりと裏のある笑顔を向けて言った。
「君、ちょっと男装して祭に行ってきて」
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