56.愚帝と、北方国の奸狐
「先帝陛下は『人間』になることで、東方国の政治の乱れを正そうとしたんだ」
――翌日。
来夜様は私と一緒に作業部屋で仕事をしながら、昔話を語るように先帝陛下の話を始めた。
「先帝時代の話をするには、まずさかのぼって先々代時代の話からだ――なに、難しい話じゃない。かいつまんで話そう。先々代の時代、君の故郷である中央国は異常気象による不作と疫病で国が大きく乱れた。それは知っているかい?」
「はい。そこで社会不安から『東方国の売薬商たちが疫病を広めたんじゃないか』という噂が生まれて、両国関係が緊張したんですよね」
「馬鹿な話さ。疫病を広めて信頼を失えば東方国も立ち行かなくなるというのに」
来夜様は大げさに肩をすくめる。
左手で書簡に目を通して情報を記憶し、右手を壁にかざして整理した情報を壁に投射していた。
話しながらでも作業は全くもたつかない。
来夜様はすぐに『スイッチ』の魔力の仕組みに慣れ、次々とあっという間に応用を重ね、作業スピードを上げていく。
その頭の回転の速さと来夜様の能力に驚きながらも、私も同様に作業を進めていく。
「結局、東方国の支援や薬が入らなくなることで困ったのは中央国のほうだ」
「まあ、そうなりますよね」
「緊張関係もうやむやになって戦にもならずに済んだのだけれど――その時のわだかまりが残った時勢に、春楡先帝陛下は即位することになった」
東方国は中央国への支援として、魔力保持者の移住や無償の人道的支援を行っていたが、その支援は同じ大陸の他国――西方国や南方国よりずっと手厚いものだった。
「東方国内で批判が生まれた。『なぜ言いがかりをつけた恩知らずな中央国に、そこまで下手に出るのだ』と」
「……東方国の方々にとっては、当然の不満ですよね」
「じゃあ、なぜ東方国は中央国へ下手に出てしまったのか? それは、当時の東方国の政治に理由がある。まず、官僚登用制度が今と違って完全に世襲制だった。
そして数百年に渡り外交に消極的だった。
おかげで、大胆な行動を起こすこともできず、国の言いなりになるしかできなかったのさ」
「……売薬で商人たちが積極的に外に出ていたのに、政は向いている方向が違った、ということでしょうか」
「そういうこと」
来夜様は頷く。
「そしてそれが、更に問題を生んだ」
「問題、とは……?」
「海外に出遅れた宮廷とは対象的に、商人たちは外国の事情に非常によく精通していた。
中央国の流言を真っ先に察知したのも商人たちさ。
けれど、その情報も見識も宮廷まで上がってこなかった。
社会階層が別れすぎていた。宮廷と民の間の溝が深くなる。……国はより、不安定になった」
来夜様は仕事の手をぴた、と止める。
小さくため息を吐き、そして懐かしそうに遠くを見た。
「春楡先帝陛下は即位後、ほぼ儀礼的だった皇帝の立場から政治に介入し、改革を行った。
商人らの意見を聞く公聴会。地方県令の世襲制度の廃止。身分の低い官僚の積極的な重用。官僚試験制度の投入……たとえば、今は亡き北方国の末裔を右祐に抜擢し、後宮管理と外交を任せたりね」
「右祐は……確か、中央国で言うところの、国政の最高官職――大臣にあたる方ですよね」
「ああ。
東方国は『天鷲』の翼に則り、官職は等しく左右両翼が任命される。
右祐は右大臣、って感じかな。
左大臣のほうが地位は上だから、まあ上から二番目の官職と言って過言ではない」
「……そんな重要な地位に、北方国の末裔の方を……」
「末裔とはいっても、北方国が滅亡したのはとっくの昔だけどな」
来夜様は壁に貼った東方国地図を顎で示す。
北方国はかつて西方国と東方国の中間に存在した小国だ。
現在旧領地は左右の二国に分断併合され、東方国側は『北堺橋県』という名のいち地方となっている。
「北方国は滅びるべくして滅びた。中央国の軍事力もなければ西方国の豊かな資源もなく、東方国のように売薬を発展させ土地の不利を乗りこえることもなく――在るのは魔力保持者の人口に占める割合と独自の魔力応用力といった、個の能力に依存した財産だけだった。それも、国の腐敗により魔力学も衰え、保持者も散逸し……あと数世代経てしまえば、容姿に現れる特徴も消えるだろうね」
私は不意に、東方国に訪れた時に感じた言葉を思い出した。
「……東方霞色……」
東方国に訪れた時、私がまっさきに異国を感じたのは彼らの髪や瞳の色だ。
金髪碧眼が多い中央国に比べ、東方国は灰色がかった色もしくは、黒髪の人が多い。
それをこの国では『東方霞色』と呼ぶ。
陛下も象牙色の淡い髪色に曇り空のような灰青色の瞳だし、雪鳴様はかぐや姫のような長い黒髪に深い瑠璃色の瞳。錫色も名前の通り金属のような鈍い銀髪で、だからこそ私の黒髪も浮かずに受け入れられている。
「北方陽色という呼び名も昔はあったのさ」
私が何かを言う前に、来夜様は笑って髪をかきあげた。
来夜様は狐色の長い髪を背に流している。その髪色が急に、鮮やかな色に見えてきた。
(……だから、傷んだ白練りの絹帯が、よく目立つのね……)
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