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55.どうか僕のように凋落しないでくれ

 図書寮の中庭に面した部屋で、私と来夜様は二人で昼食を取った。

 眩しい緑と風が心地よい場所だ。


「中央国では貴族の子女は学校に通うらしいが、君も学校で学んだのかい」

「いえ。私は学校には通ったことはありません。読み書きや計算も含め、両親と祖母から教わりました」

「……クトレットラも貴族だろう。それも建国以来続く名家だと聞いているが」

「家柄だけです。一応、中央の学校に入学する予定ではあったのですが、南方国との紛争地帯に派遣されていた両親が亡くなってしまい、その話も立ち消えになりました」


 来夜様は言葉を切る。そして私をまじまじと見つめた。


「それでも君は『鶺鴒の巫女』として、独学で学び続けていたのか」

「分かるのですか?」

「分かるさ」


 微笑んで、そして食事を口に運ぶ。


「頭の速さは才能だが、自ら学ばなければ得られない発想や機転も山ほどある。君はよく勉強してきた子だ」

「……ありがとうございます」

「ただ真面目すぎ、気負いすぎ。それで倒れられたら迷惑だ。物事の加減は学びなさい」

「……はい……」


 言葉選びがいかにも、先生らしい。


「あの、……差し支えなければ教えていただきたいのですが……どうして来夜様は普段、年若いお姿でお過ごしなのですか?」

「気になる?」


 彼はじっとりとした目でこちらを上目で覗き込む。幼い顔に似合わない影を滲ませ、皮肉まじりに片頬で笑った。


「簡単な話さ。呪いだよ、呪い。……先帝陛下のね」


 ――先帝陛下。また、彼の存在が見えた。


「先帝陛下――春楡ハルニレ陛下の宮廷改革の一環で、後宮が生まれたのは知っているだろう」

「はい。鶺鴒宮として今使っている殿が、そうだったと」

「宮廷内に大規模な貴婦人の住居が建設されるのは、それこそ有史以来初めてのことだった。陛下は妃を迎えるけれど、それはあくまで『天鷲』の仮腹としての役目であって。妃と実家は『臣下』として一定の年齢まで皇太子を保護・養育し、そして翼が生えた時点で、皇太子を宮廷に返還する――そういう仕組みだから」

「……確かにそれなら、後宮は必要ありませんね」

「実家がない女を妃にしたいなら、宮廷内に住まいを作ってやる必要があるけどな?」


 にやり、と少し意地悪に口の端で笑って私を見やる来夜様。

 何かを回りくどく揶揄しているような気がするが、私はうまく理解できず首をかしげた。

 

「そういう方は妃になられることはない……のでは、ないでしょうか」

「……」

「……あの、私、何か変なことを申し上げましたでしょうか」

「まあいいよ。……とにかく、後宮開設にあたって、様々な官職が新設されたんだ。今思うと笑っちゃうような、くだらないものも含めてね」


 来夜様は遠い目をしながら、焙茶を口にして足を組んだ。

 庭を眺める横顔は苦い過去を懐かしんでいるような雰囲気だった。


「例えば――女だらけの宮だが、男の官僚が全く出入りをしないわけにはいかない。男が女の園に入る。反発も起こるわけだ。不貞が起きるのではないかってね。くだらない」

「は、はあ……」


 嘲笑を隠さず思い切り鼻で笑う来夜様に、私はなんとも言えず曖昧に頷く。


「今だって、鶺鴒宮に入れる男は職人か、下働きの学生か、左翼官のような陛下の許可が降りたごく一部の男だけだろう?」

「そういえば、そうですね」

「それで、だ。男でありながら男ではない存在が必要になる――意味は分かる?」

「……もしかして、あの……」

「そう」


 彼は目を眇めて笑った。


「後宮管理の官僚は皇帝の魔力によって強制的に成人前の少年の姿に変えられた。子供には不貞などできないという意味さ」

「……ああ、そういう」

「何。別のこと考えてたの」

「……いえ……口に出すのも恐ろしい、壮絶なやり方で、不貞を防止する策を取る国があると……昔聞いたことがあるので……てっきりそれかと……」

「ふん。……とにかく、僕は強制的にこの姿になっちゃったわけだよ。前帝が崩御されたから魔力も弱くなったから、元の姿になろうと思えばなれるけどね」

「……呪いは、解けないんですか?」

「さあね。他の奴はみんな春果陛下に解いてもらったようだけど、僕は興味ないね。自分の魔力で見た目なんて好きにできるし」


 さもどうでもよさそうに、来夜様は肩をすくめてみせる。


「元の姿に固執してないし、このままでも困ることはない。肉体なぞ、魂の器でしかない」


 私はふと、彼は子供の姿を気に入ってるのではないかと思った。

 彼の甚大な魔力があればおそらく、元の姿に戻ることなど容易いはずだ。


(それに……私は初めて、先帝陛下のお名前を聞いたわ)


「春楡先帝陛下は……来夜様からご覧になって、どのような方だったのですか?」


 私の質問に、来夜様は露骨に身を引き、大げさなまでに眉をひそめてみせる。


「は? なんかの調査? 君の質問って怖いんだけど」

「え、あ……すみません。……ただ、私は知っておきたいのです」

「何をだい」

「この国の方々はみな優しく穏やかな方ばかりですが、前帝のお話になると一様に顔色が変わります。皆さんが悪く言われる彼のことを、私は……『鶺鴒の巫女』として、少しでも知っていかなければいけないと思って」

「はっ。悪政を今更知ってどうするっていうの?」

「噂話だけで、春楡先帝陛下がどのような方か、決めつけたくないのです。陛下の大切なお父様でらっしゃいますし、それに……」


 言いにくくなり、私が言葉をつまらせると、来夜様が視線で先を促す。


「私は中央国では『魔女』として無実の罪を着せられ処刑されかけました」


 来夜様の大きな目が見開く。

 ――私はこの国に来てずっと感じていた、先帝陛下への思いを口にした。

 この人相手なら、口にしても構わないと思えた。先帝陛下の名を懐かしそうに呼ぶ来夜様なら。


「私は祖国で、誰も助けてくれない絶望を味わいました。会ったこともない人達が私の根の葉もない噂を信じ、仲良く言葉を交わしていたような人も私を誹り――一挙手一投足を全て悪い風に受け取られ、蔑まれ……大切なものをたくさん失いました……きっと、今でも中央国では私を『魔女』と謗る人が多いでしょう。今、この国で『鶺鴒の巫女』として快く迎えていただいている事だって……私本人の力ではなく、陛下を始めとする周囲の皆様が、温かい評判を広めてくださっているからです」

「……人の評価、その一面ばかりを見るのは嫌という訳かい」

「はい。だからこそ……皆さんが一様に、語ることを躊躇われる先帝陛下について、私は知っておきたいのです」

「……」


 私の言葉にじっくり耳を傾けたのち、来夜様は手元の焙茶へと目を落とす。

 じっと、何かを考えている風だった。


「……来夜様は、先帝陛下のことを、お嫌いではなかったのですよね」

「どうしてそう思う」

「先帝陛下のお名前を口にされる方とは、東方国で初めて出会いました。それに、髪を結ってらっしゃる白練りの絹帯リボンは……陛下の下賜にしては、少し傷みすぎてるかなと。……先帝陛下から下賜されたものを、今もお使いなのと……」


 来夜様の視線が刺さる。眼鏡の奥、眼差しが少年のものから厳しいもの変わっていた。

 私ははっと息を呑む。


「君は敏すぎる。あまり気付いたことを、ぽんぽんと口にするものではないよ。宮廷が恐ろしい場所だというのを、君だってわかっているはずだ。僕を安易に信用するな」

「……申し訳ありません」


 青ざめた私に、彼はふっと力を抜いて笑う。


「焙茶。淹れてくれるかい?」

「……はい…………」

「君は気をつけなさい。どうか僕のように凋落しないでくれ。あの教え子――春果陛下の寵愛を無碍にする振る舞いをしてはならない」


 彼は焙茶を受け取ると足を組み直し、ゆったりと椅子の背もたれに体をもたれさせた。温かい椀を手のひらで弄りながら、ちいさく、自分に言い聞かせるように呟く。


「……馬鹿な男だった。愚帝なのは、間違いない」


 風が吹く。髪を束ねたくたびれた絹帯リボンがばさばさと顔にかかるのを、来夜様は苦い顔をして払い除けた。


「いきなり語るには面倒な話しでね。後日、ゆっくりさせてくれ」

お読みいただきありがとうございました。m(_ _)m

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