49.図書寮奥の冒険
朝。暗いうちからでも、窓から見る外の景色は綺麗だ。
治安の悪い公園のように、草が足の踏み場もなくぼうぼうになっていた庭も、庭師や侍女、錫色と一緒に毎日少しずつ手入れを続けた甲斐が出てきた。
中庭からぐるりと鶺鴒宮をめぐって庭に流れる水路も澄み渡ってきれいになり、蚊とタニシと濁った苔しかいなかったのが嘘のようだ。
今なら、金魚だって棲めるかもしれない。
手塩にかけた庭。
その向こうには山際が朝日に染まりだした空、そして見下ろす美しい首都の景色。
その向こうには、国境に続く山脈。
山頂の雪が、毎日少しずつ減ってきている。
「夏が、もうすぐですね」
侍女の手を借りて身支度を済ませ、その後簡単な食事を取る。
熱い粥をありがたく少しずつ冷ましながら食べていると、窓外から甲高いカチカチという鳴き声がする。
「斎さま。瑞鳥ですよ」
窓辺に留まった鵲のつがいを見て、侍女が笑顔を見せる。
ふっくらとした白と黒の愛らしい瑞鳥は、カチカチカチカチカチと甲高い声で囀りながら仲良く羽をついばみ合って去っていく。
「見た目は可愛いのに結構、鳴き声は強いですね」
「ええ。あの鳴き声が縁起がいいからと、南方国の方に喜ばれるそうです。最近は向こうでも繁殖しているとか」
(南方国の生態系に影響がないといいけど……この世界でそんな事考えるのは野暮ね)
鳴き声が響き、とても朝から元気だ。
元気といえば、しばらくのあいだ錫色は休みだ。
元々、本来のお勤めより早く来てくれていた錫色も、ようやく本格的に女官として住み込んで働いてくれることとなる。
その前に実家の繁忙期の手伝いと引越し準備をやってくるというわけだ。
朝食や身支度を済ませて太鼓橋まで向かうと、朝拝のための人力車が用意されていた。私が魔力で作ったそれは、その後改良を重ねて見事な乗り心地、曳きやすさとなっている。
「鶺鴒の巫女様、お待ちしておりました」
「ありがとうございます」
元々侍女としてあちこちを徒歩で歩き回っていた身としては身分不相応な気がしなくもないが、鶺鴒宮の巫女としての立場がある。私はありがたく人力車に乗り、ゆっくり揺られて朝の礼拝を行う拝殿まで向かう。
太鼓橋を渡り、北宮を迂回するように通り抜け、ぐるりと各殿の周りをめぐるように人力車は進んでいく。『鶺鴒の巫女』が通るというだけでも縁起がいいからと、わざわざ拝殿に遠回りに回るのだ。
朝の風を心地よく感じながらあたりを見ていると、建物の合間から洗濯物を干す年若い従者達の姿が見えた。官人の卵として雑用をする学生たちだ。
水が温んだ季節とはいえ、洗濯物の量は多いし大変そうだ。
(――あれも魔力でなんとかならないかしら)
この国は個人が魔力に頼るのは敬遠されるが、魔力を動力とした道具を用いるのは歓迎される。
私はまだ自分では見ていないが、侍女たちの話によると、治水や公共工事、農業に冬の除雪作業など様々な場所で幅広く魔力が使われているらしい。
いわば電力の代替だ。
電力の代替ならば、前世で電化製品を使い慣れた記憶と中央国の魔力知識で、もっと便利なものが作れるかも知れない。
(朝から重労働をしすぎて学業に身が入らなかったら意味がないし……学生の修行の負担を軽くすると怒られそうだけど、少し案だけでも考えてみよう。考えるだけなら怒られないわ)
宮廷内の各社に朝拝を済ませ、線香の匂いでたっぷり燻されたあと、鶺鴒宮に戻った私はその足で改めて太鼓橋を渡った。
広い宮廷を輿ではなく歩き、先日の夜陛下に指示された場所――図書寮へと向かう。
図書寮は名前の通り、東方国の蔵書を管理する図書館とその管理を行う機関だ。
私はそこの一番奥の部屋に入るように、陛下に言われていた。
「入るとき、官吏には決して会う相手の名前を言ってはいけないよ」
私は、さる官吏――蘭来夜という人の元、書類整理の仕事を行うことになっているらしい。
歩いていると官吏たちが私の姿を目で追っているのを感じる。
注目されるのは慣れていないが、視線に動じない振りをして背筋を伸ばして歩いた。
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指定された建物は宮廷の中心から離れた場所にあり、建物も一番古い建物のようだ。
とにかく図書がいっぱいあってほこりっぽくて薄暗い。
私は近くの文官に声をかけた。
「恐れ入ります。……勅命により鶺鴒宮で処理対応を言付かりました、斎です」
「存じ上げておりますよ。奉織祭では美しい舞を堪能させていただきました」
「恐縮です……」
にこにこと話しかけられると困惑してしまう。
「「鵲の間」に入らせていただきたいのですが、場所はどちらですか?」
「あの奥の書庫ですね? こちらです」
案内された間の扉を開くと、書棚がびっしりと並んだ埃っぽい空間が出てくる。魔力燈明の採光はあるものの、ひどく薄暗い部屋だ。
――なぜか鵲が、ちょこちょこと歩いて私のほうにやってくる。
「あら、あなたは……」
私を案内するように、鵲はばさばさと奥へと飛んでいく。
本棚を縫うように飛ぶその翼についていくと、突き当りで脚立の上に腰掛けた少年が見えた。
調べ物をしている学生だろうか。
「――ああ」
彼は分厚い眼鏡の奥の目を眇めて、私の姿を認めたようだった。
「そんな黒っぽい服で来たの? ねずみ色になっても知らないよ」
そういう彼は、鮮やかな狐のような髪色をした少年だ。
膝裏まであるような癖っ毛をきゅっと白いリボンで括って、ぶかぶかの衣を袖まくりして帯でたくし上げて着込んでいた。
顎が細くて鼻がつんとして、私の脳裏に畑で見たカヤネズミの姿がぱっと浮かぶ。
高い脚立の上でちょこんと座っているのも、稲に腰掛けているような錯覚を覚える。
「はい。これ、受け取って」
「っ!! ……はい!」
「つぎ」
「はい!」
「つぎ、あとこれ」
「はい!……っ、はい!……」
彼はぽいと書簡を投げるので、私はかけよってそれを受け取る。ふわふわと埃が舞い上がり、思わずごほごほと咳き込む。
私が咳き込んでいるあいだに彼はするすると脚立を降りてきた。目の前に立つと、身長はほとんど変わらない。
私は書簡を小脇に挟み、改めて礼をした。
「はじめまして。斎と申します」
「僕は来夜、よろしく。肩書はつけないで」
「あ、……はい。来夜様」
「さっそくだけど仕事に入るよ。こっちに来て」
少年はすたすたと、灯りのない書庫の奥へと進んでいく。まるで洞窟探検のようだ。
私は置いていかれないように、書簡を抱えながら彼の後を追う。髪を結ぶ白練のリボンだけが暗がりでも目印だ。
(……どう見ても、男の子よね。今朝見た従者の子たちと同じくらいの)
私はついていきながら、頭の中で疑問符を飛ばす。
陛下は先日、褥の中で私にこう言った。
「図書寮の奥にいる、蘭来夜という官吏の手伝いをしてほしいんだ。昔、僕や雪鳴の教育係をしていた人でね。ちょっと……色々あって気難しい人なんだけれど、仕事が出来るし信頼できる人だから。よろしくね」
陛下の言葉が真実なら、彼――目の前の少年が教育係ということになる。
陛下も雪鳴様も、どうみても私よりずっと年上、二十歳以上に見える。
それなのに目の前の来夜様が、教育係とは。
(考えても仕方ないか)
一国の皇帝陛下が簡単に女体化する国なのだから、外見なんて今更気にしてもしょうがない。私は先を行く、尻尾のようなもふもふの髪を背中で揺らし歩く少年を来夜様と信じて行くことにした。
先に行けば行くほど埃が舞い散り、古書独特の匂いが漂う。
掃除を一度もしたことのない図書館の閉架図書はこんな感じなんだろうか。
先をさくさく進む来夜様は、廊下の突き当りでぴたりと立ち止まり、私が追いついてくるのを待っていた。
「随分咳き込んでるけど仕事出来るの?」
「大丈夫です。病気ではなく、その……埃が慣れてなくて」
「ああ、そういうこと」
来夜様は言いながら手燭に手をかざす。ぱち、と光が入る。
(あ、魔力だ)
魔力を使う人を久しぶりに見た。
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