5.とろとろにして差し上げます、皇帝陛下。
陛下の熱く汗ばんだ背中に手を伸ばす。
「ッ…!」
指先で触れただけで、魔力が引きずり出されそうだ。
想像以上に魔力が枯渇している。
「サイ…?」
うずくまった陛下が、肩越しに私を見やった。その眼差しは虚ろで、既に意識が半分落ちかけている。
「……ッ、ちょくせ、つ……魔力……って…?」
私は陛下の背骨をたどり、骨と肉を確かめた。翼以外は人と同じ構造のようだ。
これならば、問題ない。
「陛下――『春果様』。『私の言葉に耳を傾け、身を委ねてください』」
深く息を吐き、そして吸う。
鶺鴒の巫女の魔力は肚にある。
私は臍の奥に満たされた魔力を、手のひらに行き渡るように開放した。
陛下の背中に手のひらを向け、そして押し付ける。
まずは一度、体を貫くように魔力を注ぐ。
バチンッッ!!!
「!!!ッ……あ"……ッッ!!!」
音を立てて閃光が洞窟を照らす。
電気ショックを受けたように、陛下の背中がびくりと跳ねる。
ばさばさと大きな翼が暴れる。
私は翼に振り払われないようにしながら『言葉』を紡いだ。
『お体が熱くてお辛いでしょう。もう、大丈夫です。春果様の熱は、私が受け止めます。触れる場所から感じてください、そう私の手のひらは氷――』
魔力の閃光が蛍火に変わる。
体の奥から引き出した魔力が、指を伝って陛下の背に注ぎ込まれる。浸透するように、深く意識を集中させる。
私は深呼吸しながら『言葉』を練り――そして陛下の耳へとささやきながら、背中に指を這わせた。
『深々と雪の舞い落ちる冷たい夜、陛下に触れるのは氷柱の指先。――肩甲骨から背骨にかけて、私の手のひらが触れているのは感じますか』
「ッ……う……………」
『深呼吸をしてください。ゆっくり、私の手のひらに合わせて――』
そう口にした瞬間、私の中から魔力が勢いよく引きずり出され始めた。
「ッ!!!!」
私は悲鳴を堪える。
内臓ごと吸い上げられるような感覚に叫びだしそうだ。
けれど、陛下のほうが苦しいのだ。
魔力が輝くなか、私は歯を食いしばる。
もう一度、臍の奥に力をこめて、私は陛下の肌を撫ぜた。
首筋から肩、手のひらで包むように鎖骨に触れて。
肩から肩甲骨、背骨をなぞるように。
最も熱い翼の付け根に触れると、陛下が苦しげな声をあげた。
「ひ、……ァ、……!!!」
陛下の背中が痙攣する。
魔力の奔流は、受け入れる側も当然衝撃を受ける。
陛下は衝動に耐えるように地に爪を立てている。
爪が痛む前に、私は片手で陛下の手を握った。
「っ……!!」
『大丈夫。痛くはいたしません、すぐによくなります』
「……ッ、ぐ、……あ……」
背中からささやく。
陛下と左手を重ねながら、私は彼の背中に右手を這わせた。
『息を吸って、吐いて。……そう。一息ごとに、私の魔力が冷気となって、春果様の背からつま先、そして頭までぐるりと循環します。冷たい流れを感じるでしょう。そこに、私の氷柱の指は感じますか。陛下に触れる私は……冷えて、気持ちいいでしょう?』
汗ばんだうなじに顔を近づける。
髪をかきわけ、私は頭を寄せ、陛下の耳にささやく。
翼が、次第に落ち着きを取り戻してくる。
『氷柱はやがて溶け、春の雪解けの清流になり……陛下は水面に身を委ねていらっしゃいます。翼の先から付け根にいたるまで、体は清流に心地よく冷えて――雪の雷鳴が春雷へと変わる季節を迎え、ぬるんだ雨が降り注ぎ……甘い痺れが、春果様のお体を楽にします』
象牙色の髪が汗で張り付いている。
どれだけ苦しいのか想像するに余りある。
翼が元の大きさまで縮んでいくにしたがって、熱が引いていくのを感じた。
手応えを感じ、私は頷く――これなら治せる。
『陛下。ゆっくり、意識をお体へと向けてください。私の声で、耳朶が震えるのを感じてください。翼のない、人間の体――輪郭を、思い出してください』
宥めるように翼の付け根を何度も擦れば、眠りに落ちるような緩慢さで小さく折りたたまれていった。
「……サイ……」
陛下が瞼をあげ、ちらり、と私を見た。その目は虚ろだが生気がある。
私は喜びで泣きそうになったが、ほっとするにはまだ早い。安心させるように微笑んで陛下の翼を撫ぜる。
『陛下、もう少しです。目を閉じて、私の指が肌をなぞるのを感じてください。洞窟の湿度を感じてください。土の匂い、雨の音。五感が正しく、人の体で働いています』
白くて滑らかな背中を、筋肉の流れに沿って撫でていく。
肌の奥に隠れた魔力の経脈を必死に見つけ、辿りながら施術を繰り返す。
「ん………」
陛下の体から力が抜けていく。
日常的に、全身の力を使って翼を支えているのだろう。見た目のたおやかさから比べて身のしまった背中をしている。
筋肉がわかりやすければそれだけ、魔力も注ぎ込みやすい。
『言葉』は、もう必要なさそうだ。
「もう少しです、陛下……」
全身の血液を奪い取られているような、貧血のようにくらくらする。
気を失いそうになるのを堪え、私は限界まで魔力を注いだ。
この方は運命からも中央国からも見捨てられた、私の命を拾ってくれた。
私の『鶺鴒の巫女』の矜持を信じてくれた。
そして……危険を顧みず助けてくださった。
「絶対……助けます、陛下……いいえ、助けさせていただきます…!」
魔力を吸われすぎて指先が痙攣を始めた。
それでも私は、陛下に力を与え続けた。
(私の命は、この方のためのものだ――)
雨は、まだ洞窟の外で降り続けている。
お目通しいただき有難うございますm(_ _)m
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