47.夜ふかしして、陛下と。
――今夜は陛下から呼ばれていない。
夕餉と入浴を済ませた私は作業用の衣に着替え、作業部屋に入って燈明に火を灯した。
元々は妃嬪の道具置き場だった部屋は、壁際は薬草棚、部屋の真ん中には広い作業用の卓を設えてもらっている。
どことなく、学校の理科室のような雰囲気だ。
作業台には様々な化粧品の材料に、火で煮込むための油灯、硝子の小瓶などが整然と並べていた。
火から最も離れた場所には、燈明の光を反射しててらてらと輝く硝子瓶が並んでいる。
その中は薬草をつけたチンキ液が濃い色に染まって満たされていた。
私は早速、化粧品を作る作業に取り掛かった。
まず消毒済みの硝子の小瓶と、煮沸と魔力浄化を済ませた水を用意する。
小瓶に水を入れ、植物性の油脂を少し溶かして撹拌する。
ここで使う植物性油脂は前世で言うならシアバターのようなもので、南方国原産の材料だ。
東方国では軟膏の素材として用いられているらしく、『鶺鴒の巫女』として試作品を作りたいと願い出たところ、快く分け与えてもらえた。
チンキはとりあえずすぐに収穫できた、十薬と迷迭香で作成している。
そして今夜は焙茶のチンキを小瓶へと注ぐ。香ばしい香りが部屋いっぱいに広がった。
「成功、かな……」
硝子瓶を燈明にかざして、私は一人つぶやく。
化粧水は防腐対策もアレルギー対策も、魔力浄化製法により中央国の化粧薬師基準より高めに対策している。
どれくらい日持ちするのかは今後専門機関で試す必要があるが、ある程度は化粧薬師基準と私の経験で判断できそうだ。
「よし、次」
化粧水がつまった硝子の小瓶が、どんどん机に並んでいく。
十本くらい作ったところで全て詰め終わり、私は次の乳液の準備に入る。
まずアルコールランプのような油灯を二つ置く。
一つは煮沸・魔力浄化済の水を温め、もう一つは湯煎で油脂と蜜蝋、そして幾つかの精油を配合したものを溶かして混ぜていく。
右手のヘラで混ぜながら、左手を器にかざして魔力を注ぐ。
乳化ワックスの代わりに魔力で油を一時的に水溶性へと変質させるのだ。
意識を集中させ、油脂と蜜蝋の状態を魔力で図り続ける。
汗が溢れる。
隣で熱していた水が沸騰する寸前で火から降ろす。
ゆっくりと、油脂・蜜蝋の撹拌物へと流し込んで火を止めた。
「えっと、あとは力仕事だから……」
私は右手に持ったヘラに魔力を注ぎ、電動ミキサーのように自分でぐるぐると混ざるように設定した。
ふう、と息を吐き、私は汗を拭ってヘラの様子を眺める。
ぐるぐる。
撹拌されて混ざり合っていくそれは、それなりに立派な乳液になっていった……
――私は化粧品づくりに集中していた。
なのでふと視線を上げて、隣を見て。陛下の姿を見つけて。
思わず悲鳴を上げそうになった。
「――!!?!???!?!?」
「あ。やっと気付いた」
とろりとした燈明に照らされた陛下は花がほころぶように微笑む。
私が腰を抜かしそうになってよろめくと、陛下ははっとして私の腕を掴んだ。
「大丈夫?」
「あ、はい……申し訳、ありません」
腕を掴む手が大きい。視線の位置も高い。
男性の姿の陛下を改めて見ると、確かに女性変化のときとは全く違うと思う。
女性のときは顔がすぐ近くにあったのに、今は見上げてもまだ遠くにある。
ぼーっとしたままの私に陛下は苦笑いする。
「随分前からいたよ」
「さようで、ございましたか……」
「本当に気付いていなかったんだね」
「ちなみに……いつからいらっしゃいましたか?」
「軽快な鼻唄が三曲目に入ったあたりからかな」
「………………」
「珍しい節回しの曲だね。中央の伝統音楽?」
「忘れてください……」
前世の記憶で聞き馴染んでいた歌とは、とても言えない。
私が顔を覆って黙り込むと、陛下は卓上の乳液を覗いているようだった。
「これは何を作っているの?」
「化粧品の試作品です」
「こんな夜更けに、わざわざ?」
「お昼に作ってしまっては、錫色や侍女の皆さんが何かと気遣ってくださるので……指示出しをして一緒に作業をするには、まだ工程も作業内容も煮詰まっていないので」
「遠慮しなくてもいいと思うけど。……でも、一人で作業したいときってあるよね」
彼は小瓶を手に取り、燈明の灯りに近づけてじっと中を見ているようだ。
成分や効能、どれくらいの工程で作れるのかと幾つか訊ねられ、私は答えられる限りの知識で返す。
しばらくのやり取りを繰り返したのち、陛下は瓶を置きながら口をひらいた。
「斎から、『中央国への行商に販路をとりたい』と言われたときは驚いたよ」
「いきなり申し訳ありません」
「この国ではゆっくり過ごしていていいって言ったのに」
陛下は笑う。
「働き者だね」
「私はこの国の育ちではありません。国民の皆様からの税金で生きるわけにはいきませんので……」
「そして、国民からお金を取ることもしたくないってわけだね」
「はい」
「……でも、どうして化粧品なの?」
「私は中央国で魔法薬精製に携わっていました。しかし東方国では既に独自の薬学が発展していますし、既に薬商人らによって良質な薬が大量に生産、流通されています。その技術は正直――個々の魔法に頼りすぎた中央国よりずっと秀でたものです。私は東方国の薬学の発展に助力は惜しみませんが、薬に関して、私がこの国で出来ることは限られていると考えています」
陛下は黙って私の話を聞いていた。
私はヘラの撹拌を止め、乳液を高く掬ってとろとろと零し、その粘度の具合を確かめる。
甘い薬草の香りが強く漂う。どうやら、成功したようだ。
「この国の産業を邪魔せず、私の能力をお金に変えるにはどうすればいいのか、ずっと考えていました。そこで思いついたのです。化粧品を作る文化がないのならば、私が化粧品を作ってもいいかな――と。そしてきっとこの国の女性は、気に入ったら自分の為に買うのではなく、外に販路を繋げたいと思ってくださるはずだと」
「商人のほうから注文が入ってよかったね。試作品を撒いた甲斐はあったってことだ」
「認めていただけて嬉しいです」
「斎の才能だよ」
「才能、というよりも……」
私は化粧品の瓶に目を落とす。
「……中央国ではコスメイカーが化粧品を生産しておりますが、庶民の手には届きません。それならば今、東方国の売薬商人から薬を得ている層に化粧品は、きっと喜ばれると思ったので」
いわゆる「デパコスには手が出ないけれど、ドラッグストアのプチプラなら使いたい」層。
生活に余裕はあるがコスメイカーに対して敷居が高い、地方の裕福な支配階級、豪農の類に向けて。
「斎は化粧薬師の資格があるんだっけ」
「一通りの資格は取得しております」
「それなら販売には問題ないね」
「はい。中央国は貴族社会が根強く、どんなに豊かな層でも庶民階級、下層貴族階級は金銭の消費目的が制限されています。そこに化粧品は売れるのではないかと」
口にすればするほど、私は急に自信がなくなってきた。恥ずかしい。
灰青色の目を細くして陛下は笑う。
「斎の商品は、商人にとっても利がある。消費したぶんだけの対価をもらう置き薬と違って、サイの提案した化粧品はその場で確実に外貨を得る手段になる。課題としては……瓶を軽くする方法だよね。流石に硝子瓶を幾つも持ち歩くのは難しい。例えば薬のように、粉末や濃縮物や、乾燥したものにすることはできるかい? そこまで改良が進めば、話も順調に進むんじゃないかな」
陛下の提案に、私は急いで頷いた。
「やってみます! ありがとうございます」
陛下はじっと私を見下ろしてくる。
素顔の眼差しに射抜かれて、私は彼の双眸から目が離せなくなる。
陛下は綺麗だ。しっとりとした乳白色の髪色に、透き通った灰青色の瞳。
光の粒子が舞い散っているような美しい顔が、燈明の灯りに照らされて夢のようだ。
うっとりして見ていると、陛下はいたずらな笑みを浮かべる。
「どうしたの。ぼーっとしちゃって」
「……陛下はおきれいだなと思いまして」
「そう」
「こうして二人でお話できるなんて、すごく贅沢ですね」
「……本当に、そうだね」
そのとき。陛下は一瞬、どこか痛むように目を細め――すぐににこりと笑う。
「僕も、こんな風に斎と話したいと思っていたよ。……ずっと」
「陛下……?」
表情の意味が分からず、私は陛下を見上げたまま首をかしげる。
そのとき、陛下の影が私に降りてくる。顔が近づき、象牙色の髪が、私の肩にかかる――
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