46.北方国の奸狐、雪鳴と話す
――祭の終わった宮廷は嘘のように静かだ。
雪鳴は祭のあいだじゅう、陛下の変わり身として祭壇の中に座っていた。
翼は元々有事のために作成された張りぼての翼で、衣も先日『鶺鴒の巫女』を陛下が救出した折、一度だめになった白練の絹を縫合して再利用したものだ。
無事滞りなく祭が終わったところで機会をうかがって着替え、陛下と合流、事後処理を行い、今に至る。
夕暮れ近くなってきた広場は、昼の喧騒が嘘のように人がいない。
今日のために集まった各要人らは宴殿にて歓待の最中だ。
雪鳴も己の目で祭の事後処理の最終確認を済ませた後、宴に参加する予定となっていた。
「雪鳴様」
凛と涼やかな声がかかる。
巫女装束を風に靡かせた女――妻だ。
妻は家臣と同じ深い礼をして、その後に今日の巫女対応に関する報告を行い、そして内容を文書にまとめた書簡も合わせてこちらに渡した。
「問題がなければ神祇官の方へお渡しして帰ります」
一通り目を通したが、手慣れた報告は一寸の問題もない。
「神祇官に要件があるから、これはこちらで引き受ける。お前はそのまま帰れ」
「かしこまりました」
雪鳴より年下、春果陛下と同い年の彼女は、陛下と似た長い象牙色の髪と灰色の瞳を持つ、雪景色に紛れそうな色の薄い華奢な女だ。
結婚当初から一度も取り乱した面を見せることのない大人しい女で、貴族の娘らしく祭事や儀礼の経験豊富だ。
巫女の管理は男の神祇官よりずっと手慣れていて頼れる。
――彼女のような女官が今後増えてくれたら、どれだけ楽かと思う。
雪鳴は彼女と分かれ、宮廷の長い廊下を渡り、一度執務室のある天翼宮へと向かう。
そのとき。
不意に柱の影から人影が現れた。
宮廷を闊歩する少年従者と同じ年頃の、狐色の髪の鮮やかな少年だった。
少年――来夜老師がにやりと笑うと、髪を結った白練りのリボンがひらり、と揺れる。
「補佐が宴に出ないで何してるんだ」
「今年は前例のない試みが多かったので、衛士と神祇官との警備・禊祓、魔力影響についての確認を。陛下の護衛は現在、私の部下と右翼官がついております」
「ああ、もう帰ってきたんだっけ」
「報告の後、一週間後には経つとのことです」
「あ、そ」
「老師こそ、ここをその姿で出歩いてらっしゃって大丈夫なのですか」
雪鳴はちらり、と彼の鮮やかな狐色の髪を見やる。
老師は大げさに肩をすくめた。
「大丈夫さ。僕の姿なんて、お前と陛下以外の他人からすれば鵲にしか見えない。例の鶺鴒娘が施した生霊対応と似たようなものさ。知ってるだろ?」
「理屈としては……」
雪鳴は魔力がないので、老師が平然と闊歩しているのが鵲に見えるとはとても信じがたい。
先日、鶺鴒の巫女が報告した、
「生霊を鵲に変えました!」
……も、正直な所、本当にそうなったのかどうかはわからない。
ただ陛下や神祇官、老師といった魔力保持者が納得しているので「そう」なのだろう。
「しかし春果陛下も酔狂だね。父親が寵愛してた『奸狐』の知恵を借りるとは」
「老師。お話ならば手短にお願いしたく。――ここで鵲と話していては、私の正気が疑われます」
「そうだね。結論から言おうか」
彼がこちらに突きつけてきたのは見覚えのある書簡だった。
「鶺鴒娘が欲しがっていた、創世神話以来の女官雇用の前例と、首都の土地調査だ。地鎮に適した神祇官も何人か候補を挙げておいたから陛下に伝えておいてくれ」
「ありがとうございます」
「……しかし、ほんとあの娘は女でよかった」
老師は少年の相貌を細め、遠くを見ながらつぶやく。
「『中央国の奸鳥』と言われずに済むかもしれないぞ」
「そうならないために、陛下は老師のご助力を求めておいでです」
「はいはい、わかったよ。――ああ、そうそう」
何気ない言葉で彼は続ける。
「例の暗殺未遂の梓色とかいう女。どうやら家の意向で嫁ぐことになったそうだ」
「――!!!」
「首都から遠く離れた地方官、その寡夫の嫁としてな。恐らく一生首都に近づくことは叶わないだろう」
「……裏で手を回したのですか」
「僕にそんな人脈あるわけないだろ?」
にやり。
少年の姿らしからぬ醒めた顔で、老師は雪鳴を見上げて笑う。
その表情は彼が「老師」だったころの姿そのままで、雪鳴は無意識に背筋が伸びる。子供の頃に散々しつけられた記憶は、すっかり自分のほうが背が高くなっても変わらない。
「陛下はまったく、食えない男だ」
眼鏡の奥から覗き込むように、老師は元教え子を見上げて続けた。
「捕まえてきた鳥に自由に仕事をやらせることで、彼女の能力を国に知らしめている。その癖、世継ぎが必要な彼女に男の一人もまだあてがってやらない。見合いの話なんてもってのほかだ。自分がやってるのがどんだけ矛盾してんのかわかってるのかね。さっさと妃にして閉じ込めてしまえばいいのに」
「……陛下は、お考えがあるのでしょう」
「鶺鴒娘は女だ。娶ってしまえば『賢后』になれるだろう」
「……」
雪鳴は『北方国の奸狐』と呼ばれ続ける老師に何も言えなかった。
わざと、彼は揶揄しているというのもわかる。
「とにかく。明日からあの娘と働くのが楽しみだ」
飄々とした少年は書簡で雪鳴の肩をぽんと叩き、柱に隠れた瞬間――ばさばさと、鵲の翼をはためかせて飛び去っていった。
「……楽しそうだな、老師は」
雪鳴は恩師の飛び去る姿を、見えなくなるまで見送り、執務室へと向かった。
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