42.狗鷲の皇帝陛下、狐に頼み事をする
斎の『夜伽』は早々に終わり、ぐったりした春果はそのまま高楼に雪鳴を呼び寄せた。
雪鳴を待つ間に、夜空に魔力で生み出した鵲を飛ばす。
伝書鳩のようなものだ。
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春果の魔力を注いだ燈明が夜も煌々と輝く宮廷だが、新月の夜はさすがに闇が深くなる。
北宮の高楼で夜風に吹かれ、春果は溜息をついていた。
「はーーー…………」
「陛下」
「……はあ……」
「……陛下」
「……はあ…………」
「春色」
「……僕は春果だけど」
「畏れ多い春果皇帝陛下たるお方が、溜息つきながら夜な夜な臣下の髪を弄っている訳ありません。不敬だぞ春色」
「春色、春色って。そっちの名前ばっかり呼んで、なに? 僕に女の姿になって欲しいの? すけべ。浮気者。奥方に言いつけてやる」
「……」
「……」
「誠に恐れ入ります陛下。鳥肌が立つ事を言わないでください」
「うん、…………言って僕もぞわぞわした」
表向き兄と妹の関係の雪鳴と春色だが、万が一でも男女の関係だと勘違いされたらたまらない。血のつながらない兄妹の婚姻など貴族社会では稀に起こりうるからだ。
春果は寝所のある北宮に雪鳴を呼び寄せ、ため息交じりに雪鳴の長い髪をいじっていた。姫君のように見事な編み込みが施されても、雪鳴はだまって好きな風にさせている。
対外的に女子と偽って過ごしていた幼少期、多少の女子らしい遊びや手習いをかいつまんだ春果だったが、大抵はつまらなくて右から左に流れていった。
ただこの従兄弟の髪を弄り倒して令嬢のようにしてやるのは楽しくて、結局未だに手慰みに雪鳴の頭を使う。
「……失敗した」
――『僕が殺された』とばれたらいけないから。
そう、口に出した瞬間のサイの見開いた瞳が目に焼き付いて離れない。
咲いているように見えた椿が、触れた途端にぼろりと花が崩れていくようだった。彼女が『鶺鴒の巫女』としての自分をかちかちに固めて防御しているその向こう――柔らかい部分に触れてしまったらしい。
彼女はずっと虐げられてきた。そして両親を戦争で失い祖母も看取り、故郷の思い出さえ焼き払われてしまった娘だ。
あの幼かった少女が、死にに急ぐ武人のような頑なな表情になるまで、きっと春果も知らない苦労があったのだろう。
「あんなに、辛そうな顔するなんて思わなかった」
「気丈な娘とはいえ、半年近く投獄された上に処刑されかけていたのです。……死に怯えるのもやむを得ません」
「そうだね」
「肝心な所で配慮が足りませんでしたね」
「……仰る通りだよ、左翼官殿」
今夜の夜伽ではいつもの淡々とした様子で春果に触れてきた斎だったが、どこか、いつもよりずっと丹念に施術を施された気がする。
「幸せにしたくて、この国に招き寄せたのに」
はあ。溜息をついている間に目の前の黒髪がすっかり豪華な編み込みになってきた。
その時。
一羽の鵲が夜にも関わらず、ばさばさと空を翔けて高楼へと入ってくる。
「来夜」
春果が目を向けると、そのまま鵲はふわりと姿を変え、高楼に着地したのは13.4歳の少年だった。
「何やってんですか、二人で」
「私は陛下に捕まっただけです、来夜老師」
「捕まるなよ……」
呆れたように肩をすくめた狐色の髪の少年は、ふわりとその場に座す。少年の姿に似合わない仕草で置いてあった盃に手酌で酒を注ぎ、勝手に一息呑むと、幼なげな大きな瞳でじろり、と二人を見た。
「陛下。新月の晩にわざわざ僕を呼んだってことは、何かあるんですよね?」
「ん。昼間なら目立つからね」
声変わり前の甘い少年の声に促され、春果は視線で机の上の書簡を示す。
来夜は手元に燈明を手繰り寄せ、書簡を開き、目を通し……眉間に皺を寄せる。
ここに集まった雪鳴、来夜、ふたりとも本来ならば同じ場所に座って話すこともできない身分関係だ。特に来夜は、宮廷にいることは春果と雪鳴しか知らない。
それでもこうしてかつてのように話せる晩は新月の晩、僅かな時間に残されている。
「この調査は、誰が?」
「中央国生まれの可愛い鶺鴒だよ」
春果の言葉に、見た目だけが若い来夜老師は苦いものを噛んだような顔をする。
「……信じられない。ただの小娘ですよね?」
「ふふふ」
彼に見せているのは、夜伽の時に斎が春果に渡してきた元後宮妃嬪の現状報告書だ。40名ほどに渡る妃嬪全ての情報を調べ上げ、彼女たちの現状、鶺鴒宮で再雇用を検討する者を重要度順にまとめてある。その中には妃嬪本人の問題だけではなく、首都機能の魔力的な改善点や福祉の提案なども含まれている。
それに加えて、現在彼女が女官雇用における前例を調査しているという旨。いくら鶺鴒宮の人事とは言え、宮廷で女性が働くにあたって前例をあたらなければ、「元後宮」時代の難癖がつく恐れを危惧しているらしい。
ただの年若い少女が書いたとは思えない内容だ。
驚いた来夜の様子に満足していると、来夜は真面目な顔で春果を見つめる。
この面紗を通り抜けるような眼差しは、目を焼かれることを恐れない魔力保持者の眼差しだ。
「……笑わないで、答えて」
「サイ・クトレットラはそういう娘だったということだよ。聖騎士団医薬局で、毎日膨大な診療録処理と気難しい貴族の細かな注文要望の把握を一人で引き受け……更には侍女兼代筆役として務めることで社会的地位や人間関係の情報を集め、横断的に、臨機応変に判断し対応する能力をもつ娘」
「――」
「さらに言えば、あの子は自分の領地である鶺鴒県の管理を地方管理官にまかせていたとはいえ、彼らの要望を中央に届け、要望書に書かれない隠れた要望に対応する能力もあった」
「ほんとに17歳なの? 魔女かなんかじゃないの?」
「だからできすぎて、追放されて、家を焼かれたんじゃないか」
春果は狐色の髪の少年を見て、軽く首をかしげてみせる。
「似たような人いたよね。この国にも昔。……確か」
「『北方国の奸狐』でしょ。本当に誰だろうね、僕は知らないけど」
「うん。僕も知らない」
少年は書簡をくるくると巻取り、だぼついた大人サイズの袖の中にしまう。そしてもういっぱい盃を飲み干し、立ち上がる。
「街の禊祓に関しては了解。土地の調査は10日ほどかかる。鵲で渡すから折を見て神祇官に対応してもらって。女官の役職や業務範囲にまつわる前例なら、創世神話でいくつか思い当たる前例があるから、それの報告は3日くらいでできるかな」
「ありがとう」
少年の姿をした老師に春果は微笑む。
「こういう慣例外のことをやりたいときは、やっぱり来夜老師のお力添えが頼りになるよ」
「先帝陛下よりよほどタチが悪いですよ、陛下は」
「タチが悪いんじゃないの。僕はちゃんと、大切なものを守りたいから」
「はいはい」
来夜は欄干に腰掛けたところで、ふと春果を振り返る。
「……陛下。この『中央国の鶺鴒娘』のことですが。ちょっと僕に貸していただけませんか?」
「もちろん。祭が終わってからになるけど」
「今のうちに、この女には釘を差したほうがいい」
来夜は言い残し、欄干を蹴り夜空に舞う。
そのまま鵲の姿に変化し、北宮から飛び去っていった。
その姿を遠く目で追いながら春果は独り言のようにつぶやいた。
「……斎が『魔女』になってしまわないように……老師、よろしくね」
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