41.鶺鴒の巫女、女官スカウトに奔走する。
私は後宮を辞した妃嬪、その中でも何人か目星をつけた人の家を訪問することにした。
一人目。商家出身の縹色さん。
実家は貿易商で中央国産の家具を輸入していた。
後宮時代は珍しい中央国産の家具が尊ばれ、後宮から話題が広がり右肩上がりだった実家の商売だったが、後宮が廃された途端に流行が終わり、一気に家が破産してしまっていた。
今ではすっかり落ちぶれ、仮住まいに酒で体を壊した父と、過労で寝たきりの母の介護をして過ごしていた。
彼女の生霊は例の梓色さんの生霊と同じくらい鮮明に鶺鴒宮に出現していた。
私は率直に、彼女に生霊のことを伝えた。
「生霊、ですか……。そうですね、生霊を出してしまっても、私はおかしくないでしょうね」
年齢で言うなら40代のはずだが、彼女は白髪だらけで老人のような疲れた顔をしている。
「あの頃は本当に楽しかった。庶民の女子の身でありながら、宮廷に足を踏み入れた日のことを今でも昨日のことのように覚えています。まだ元気で明るかった父が用意してくれた輿入れ家具が妃嬪たちに気に入られ、我先に注文を受けた日のことも……。あのとき、たしかに私は人生の頂点にいて、それはとても……楽しい日々でした」
皺だらけ、傷だらけになった指先は長年の介護で変色している。
住まいもどこか饐えた独特の匂いが充満していて、彼女の語る栄光とは天と地の差のようだ。
そもそも、彼女が住んでいる区画全体が貧民街なのだろう全体的に空気が淀んでいる。
(首都の鬼門ではないけれど、この気は首都全体の気を淀ませる。……今度、神祇官の人にお願いしてお祓いをしましょう。そして福祉を整える方も派遣していただいて……どこの省庁に言えばいいのか、聞かなければ。予算は中央国からの持参金を切り崩せば、最低限はなんとか)
私は縹色さんの手を取る。魔力を注ぐと、彼女の手の回復力が上がり――ふわりと、年相応の柔らかな手に戻った。
「鶺鴒の巫女様……」
「これからご両親にはお医者様をご紹介できます。これは、鶺鴒宮の女官の福利厚生として」
「ふくり、こうせい……? えっと、鶺鴒宮の女官、とは……?」
「率直に申し上げます。縹色さん、鶺鴒宮で働きませんか? 鶺鴒宮には貴方が必要です」
「そんな……私なんて、実家もこんなになってしまったし、何も……」
ためらいがちに視線を落とす彼女に、私は強く訴える。
「とんでもありません。失礼ながら妃嬪時代の情報を宮廷で調べました。縹色さんのご実家のご商売についてはたくさん記録がありましたが、縹色さんご本人の記録は最低限のものしかありませんでした」
「……実家の事以外、目立たない女でしたから。若いときでも容色はさえなかったし。ただ商売の計算がほんの少しできただけで……」
「記録がない。それは貴方が真面目に角を立てずに過ごしてこられた証拠です。そしてご実家のご商売の繁栄と照らし合わせると……それは、貴方が影の立役者となって、見事にご実家の商売を守り立てたということ」
彼女の目が見開く。私は手をきゅっと握った。
「店の主や営業の身分ではない、女性がどう立ち回ったか、どう活躍したかというものは記録に残りにくいのです。しかし状況を俯瞰で把握すれば、縹色さんがどれだけ有能な方だったのか見えてくる。……お人柄も。こうして突然来た私にも、縹色さんは化粧と髪を整え、家を掃除して、妃嬪時代の礼法にのっとり、お茶を用意してくださいました」
縹色さんは泣いていた。まるで長年押し込めていた感情がほぐれていくように、私の手を握って、ぽろぽろと涙をこぼしている。
「鶺鴒の巫女様……貴方様は、どうして……そんなに私の事を……」
「私はしょせん巫女です。商売に明るくありません。そのうえ、東方国のことは右も左も知りません。過去のことも、何も知らない無知な小娘です。……どうか、お力をお貸しください。縹色さん」
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縹色さんには明日牛車の迎えを用意することを伝え、私は続いて二人目の家に向かった。
二人目は貴族で武官の娘だが、現在は同格の貴族の家に輿入れしている。3児の母だ。
家長である夫の方には、既に宮廷で話を通している。
私はスムーズに彼女と息子さんたちと対面した。
記録よりかなり大柄で強そうな体格になった45歳の彼女――鉄色さんは、私を見て、私が口を開くより先に話を切り出した。
「鶺鴒の巫女様! もしよろしければ私を下女でも侍女でも女官でもお勤めさせてください!」
「……は、話が早いですね……」
「宮廷にこれから女性がたくさん入るのでしょう?! それならば、男じゃ立ち入れない問題もたくさん発生するでしょう! 私が! 鶺鴒の巫女様と! 鶺鴒宮の治安をお守りしますよ!!」
「は、はは……」
記録の上で、鉄色さんの出番は多い。
鉄色さんは武官の娘として後宮の妃嬪でありながら、実質的に妃嬪達の用心棒役、喧嘩の仲裁役など荒事揉め事にまつわる事を買って出ていた女性だ。
最初は後宮官吏(宦官のような人だろう)によって何度か彼女自身が処罰を受けていたものの、彼女を面白いと思った先帝陛下が彼女を赦し、彼女独自の妃嬪衛士という役職まで与えていたらしい。
その件について、後宮官吏(なぜか名前が墨で塗りつぶされている)が特別職の新設は慎重にするよう、前例を持って何度か進言したようだが――先帝は聞く耳持たずだったらしい。
(実際まあ……強そうなお方よね)
同席した三人の成人した息子たちよりも大柄で、まるで女横綱のような女性だ。息子たちは武官といえど、どこか嫋やかさのある美男子揃いなので、恐らく彼らは父親似なのだろう。
「鉄色さん。実は私も貴方に鶺鴒宮の女官になっていただきたくて伺ったのです。貴方は別け隔てなく後宮の妃嬪を守り、そして後宮廃止の日にはお世話になった男性官吏全てに挨拶をして行かれましたね。その時の印象がよほど素晴らしかったのでしょうね。……貴方とまた会いたいという官吏の方々は多いです」
「ははは! そんなに言ってもらえるなら、あの後宮時代も悪くなかったと思えますよ!」
彼女は心から嬉しそうに笑う。裏表のない気持ちの良い方だ。
「そういえばあいつはまだ宮廷にいるんですか?」
「あいつとは……? 私はまだ顔見知りの方は少ないので、分からないかもしれませんが……」
「あいつですよ。夕日みたいな狐色の髪を長く伸ばした、眼鏡をかけた偏屈な宮廷官吏」
「……?」
そんな目立つ容姿の人はいただろうか。
私が首を捻っていると、青ざめた息子さんが鉄色さんをつっつく。
「馬鹿ッ、母さん、その人はもう話題にしちゃだめだって」
「え? そうなのかい?」
なんだか変な空気で、鉄色さんのお宅訪問は終了した。
鉄色さんは一週間後、牛車の迎えを出す予定だ。
私は牛車に揺られながら、記録で墨塗りされた後宮官吏の事を思う。
(……狐色の髪の官吏って、もしかしてあの人のことなのでは……?)
そしてもう一つを思い出す。
午前中に話を聞いた商人婦人たちが口にしていた『北方国の奸狐』のこと。
こちらも、狐だ。
(『北方国の奸狐』さんが、記録で塗りつぶされた後宮官吏……? その人が、先帝時代の恨み言を一心に受けている……のかしら?)
ぼんやりとしているうちに牛車が貴族屋敷の道へと入っていく。
(まあ、今何を考えても無意味ね。覚えておくだけにしましょう)
私は次の女性に会うため、気持ちを切り替えることにした。
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私と錫色はそのまま、今日最後のお宅訪問へと向かう。
牛車の向かい側に座った錫色がうきうきとした声で話す。
「さくさくと進みますね、斎さま!」
「まあ、下準備はしておいたので順当でしょう。……次は……」
「次は……この角を曲がったところの、橡色さん……」
その瞬間。牛車が大きく揺れる。
「護衛さん、錫色さんをお願いしまます!」
私は牛車から身を乗り出す。
道に傷だらけの女性が飛び出していた。顔から血を流し、いかにも今しがた暴力から逃れてきたばかりといった女性だ。
「橡色さん!?」
ちょうど見つけに来た女性だ。橡色さんはいきなり牛車から名前を呼ばれ、驚いて大きく目を見開いている。屋敷の中から再び大きな音が聞こえてくる。 私は牛車を飛び降り、己の両肩から手を撫で、魔力を注ぐ。バフをかけた腕で、彼女を引っ張り起こして横抱きに抱きあげた。
「ッ……!?」
自分より小柄な小娘に抱えられ、彼女は硬直した様子だった。私はそのまま牛車まで駆け上がり、彼女を座席に下ろす。
ひゃっと、錫色が驚いた声をだすのが聞こえた。
「牛車、出してください、お願いします!」
私の声に尻を叩かれるように、荒っぽい勢いで牛車が方向転換し、そして来た道を大急ぎで戻っていく。
私は血を流した彼女の傷を手巾で拭いながら、状況が分からず呆然とする彼女の目を見て伝えた。
「私は『鶺鴒の巫女』、斎と申します。詳細は省きますが、橡色さんに私の元で働いていただきたく、お迎えにあがりました。……詳細は、鶺鴒宮で、落ち着いてから」
私達はそのまま橡色さんを伴い、宮廷へとまっすぐへと帰ることにした。
鶺鴒宮に戻って橡色さんの世話を侍女に任せると、私は今日の報告書を書くために私室へと戻る。
部屋の机には手紙が一通置かれていた。
「これは……詩?」
流暢な筆文字で書かれたそれは、陛下直々の夜伽の誘いだった。
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