38.逃げた『愚帝』はいなかった
※今日は2回更新します!
侍女たちの話はその後もどんどん続いていき、結局体感時間にして2,3時間はたっぷりと陛下について語り尽くされてしまった。
私は呆然と話を聴きながら、前世の記憶のかなたから薄らぼんやりと、熱狂的なフィギュアファンやアイドルファンが頭に浮かんでくるのを感じていた。
「あれは……陛下の后になる方は大変でしょうね……」
社会的によほど受け入れられた人物でなければ反発も大きそうだ。
――正午。
私は一人の時間をつくり、自ら蓋碗でお茶を淹れ、高楼で一息ついた。
あたたかくなってきた風に、虫の鳴き声がまじり始めてきている。
「夏が近いわね」
軟膏を塗りこめた手からは、今も微かに薄荷の香りが漂っている。初夏が近づいてきたあたたかな陽気と、薄荷の香りはよく似合う。
手の甲を鼻先によせ、匂いを感じながら、私は静かに今日の事を考えた。
「侍女たちのあいだでは、陛下の悪い噂はなさそう」
『鶺鴒の巫女』の前だから取り繕っていたとしても、2,3時間(体感)も隠し通すことは難しいはずだ。
「次に調査したいのは、宮廷外での噂話だけれど」
あいにく中央国から転居したばかりの私に縁故はない。だが私には錫色がいる。彼女の実家は薬種問屋として首都では知らぬものはいない名家という。
彼女の縁を借りれば、商家の女性たちと繋がるのは難しくないはずだ。
「……」
侍女たちの熱を帯びた陛下評が、今も私の頭の中でぐるぐると回っている。ほんとうに、神様を信仰しているような熱の入りようだった。
彼女たちは陛下に対し、こんなことも言っていた。
『お綺麗だから痴情のもつれの一つでも起こりそうですが、陛下は『皇帝』らしいお方なので女性関係での噂もありません』
『変な気を起こそうと思っても、誰も迂闊に話しかけられませんしね』
『貴きお方ですし、なにより、あのヴェールから覗く御尊顔を拝見したら、普通の女なら誰も声がでなくなってしまいますよ』
『まさに神様、ですものね』
気持ちはとても分かると、私は思う。
陛下はお綺麗だ。薄絹から垣間見えるご尊顔はもちろん、佇まいも、仕草も、どこを切り取っても崇拝するための美しい偶像のようだ。
――ただ同時に、私はなぜか無性に寂しく感じてしまった。
雪鳴様の前で『春色』様としての陛下は肩の力が抜けて、屈託のない人間らしい方だった。陛下は気心の知れた従兄弟とさえ「妹」と偽ってしか親しく話せない。
陛下は臣民に望まれる『神様』でいることがとてもじょうずな人だ。
だからこそ、陛下を一人の春果さまにしてあげられる人が、一人でも多くいることを私は願った。
(私のことも……そういう風に、見てもらえるとうれしいな)
「でも、雪鳴様と陛下、本当に仲良しでいらっしゃるのね。きっと元々はもっと砕けたご兄妹として振る舞ってらっしゃったんでしょうけど……ふふ」
「さ、い」
「ひゃっ」
柔らかな声が聞こえる。振り返れば陛下がいた。
いつもの、男性の姿の陛下だ。
「陛下」
膝をつこうとする私を、陛下は止める。
「静かにして。少し抜け出してきたんだ。ばれたくないんだ」
言いながらふわりと翼を広げて隣に座り、そして私を見て笑う。
「随分と忙しく動いてるみたいだね。ありがとう」
「とんでもございません」
「鵲みたよ。生霊をああいう風にするとは思わなかった。変な噂ももうこれで立たないね」
「……陛下」
「ん?」
「私はまだ存じ上げないのですが、皇后陛下をお迎えするご予定はないんですよね」
陛下の動きが止まる。
髪と白練りの衣を、高楼を吹き抜ける風がふわりと揺らす。
見つめ合ったままたっぷり時間をおいて、陛下は言葉を紡ぐ。
「……現時点ではそのような話はないね」
「そうですか。ならば余計、面倒な噂は消したほうが良いでしょうね」
私は納得して、頷いて返す。
「陛下が皇后陛下をお迎えし、お子様がお生まれになるのであれば、わざわざ祭で春色様に出ていただく必要もないかとは思ったのですが……」
「まだ遠い先だね。……后もだし、子どもはもっと、もっと先かな」
まるで未来が見えているかのような口ぶりで陛下は言う。足を組み直して風に目を細める陛下に、私はなんとなく気になっていたことを訊ねてみた。
「極端な話ですが」
「うん?」
「いっそ『神様なので性別などどうとでもなる』と、公にすることは難しいのですか?」
「ああ……それはまず無理だね」
陛下はきっぱりと首を横に振った。
「皇帝が姿を変えられる本当の意図はね。国を滅ぼされるなり反乱を受けて殺されたとき、『僕が殺された』とばれたらいけないからなんだ」
無意識に私は、ひゅっと息を呑んでいた。
「当然のことだよ」
陛下は笑う。
「『皇帝』だから毒殺は効かないし、刺されてもよっぽどじゃない限り死なないけど。それでも首を落とされたり、回復が間に合わないほど痛めつけられて、魔力を吸いつくされれば死んでしまう。『皇帝』の容姿が変えられるのは、殺された時の為だと言われている、神様は、死ぬわけにはいかないから。僕が死んでも、そこにいる僕が僕ではない亡骸になれば、『天鷲神』の信仰は穢されない」
唇が震えて、何も言えない。
急に匂いも風も感じなくなり、私はくらくらとするのを必死で押し止める。
陛下は笑う。
「そんな顔しなくても、今すぐなんて死なないよ。斎がいるしね……」
「……」
「斎?」
陛下が名前を呼ぶ声も、私の耳には入っていなかった。
私は、陛下が考えている事とは全く別のことで震えていた。
家を燃やされたときに思い出した前世の記憶。
そこで陛下は、替え玉を残して逃げた『愚帝』だった。
(陛下は前世読んだシナリオでも、逃げていなかったんだ。……替え玉として死んだのは、『陛下』だった、なんて)
当時『脳死周回』で適当にスキップしたシナリオは、あくまでヒロイン――中央国の聖女の立場から描かれたものだ。
――破壊された広場、落雷と豪雨。
泥まみれになった白絹の衣。
土気色の肌、ぐちゃぐちゃになった、象牙色の髪。
身代わりを見捨てて宮廷から逃亡した、滅亡帝国の『愚帝』が置き去りにした最期の身代わり。
あれは身代わりなんかじゃない。
本当は、陛下は創作物の中でも、決して逃げ出していなかった。
(このまま、仮に国に有事があれば……陛下が殺され、愚帝扱いとなるのは……ありえる未来なんだ……)
「斎?」
声をかけられてはっとする。心配するように、陛下が私の顔を覗き込んでいた。
長い睫毛に縁取られた、灰青色の瞳が近い。
ぼおっとしていたらしい。
「……申し訳ありません。陛下の御身に何かあったならばと思い、気が動転して……」
「そこまで、僕の事を大切に思ってくれているんだね。……ありがとう」
陛下はふっと眉尻を下げ、私に柔らかい声で命じた。
「斎。お茶が飲みたいな。温かいもの、お願いできる?」
「かしこまりました」
私は席を立ち礼をして高楼を降り、厨へと向かう。席を立たせてくれた陛下の気遣いがありがたい。
厨までの途中、収穫した薬草を整理する錫色の後ろ姿が目に入る。
侍女と一緒に賑やかに仕事をする彼女の声と様子をみて、ほっと呼吸が楽になる。
「……駄目ね。記憶に、呑み込まれては、だめ」
私は足早に厨へと向かい、煮物の番をしていた侍女から白湯をもらう。
「大丈夫ですか、斎さま。お顔色が真っ青です」
侍女は私を見るなり心配してくれた。
「問題ありません。少し体が冷えただけです。……私とお客様の分で2つ、お茶の準備をお願いできますか?」
「勿論です。準備が終わるまで、そこにおかけになってゆっくりしてくださいね」
私は白湯の入った椀を両手で包み、目を閉じる。
(……死の想像ひとつだけで駄目になるなんて……『鶺鴒の巫女』失格だわ……)
陛下が死ぬ。そんな未来はこの世界にはないと思う。私が守ってみせる。
そう覚悟しているけれど怖かった。
(大切な人をもう、私の無力で何も失いたくない)
椀を侍女へと返し、私はぱん、と軽く頬を叩く。
そしてお茶を持って私が高楼へと戻ると、陛下は自らの翼に触れながら待ってくれていた。
「おまたせいたしました。……申し訳ございません、取り乱してしまって」
「ううん、僕こそごめんね」
翼から抜けた羽根を弄びながら、陛下はゆるく首を振る。
「そうだ。これあげる。抜けたから」
言いながら陛下は、髪をかきあげている私の耳元に羽根を挿した。
「これは……」
「僕の羽根。簪にでも加工して使うといい。それがあると宮廷の中なら大抵どこでも申請なしに通れるようになるから」
私は思わず耳元から引き抜き、羽根を光にかざして見た。
大きな狗鷲の羽根は魔力を帯び、光の加減でほんの少し淡い金粉をまいたような輝きを見せている。鳥の羽とは違うとひと目で分かるものだ。
「よいのですか? そのような大切なものを」
「斎は調査するために、毎回申請書を出して、宮廷の色んな所をぐるぐる回ってるよね。あの荷台みたいな椅子で」
「あ……あれは……」
私は恥ずかしくなる。人力車で爆走しているのを陛下に認知されていた。
「斎はもっと、ただの女官ではなく『鶺鴒の巫女』であることをもっと利用してほしいんだ」
「利用、ですか」
「うん。君は今、ある意味宮廷の中で一番自由な立場にいるからね。官吏でもなければ従者でもない。貴族の姫君でもない。……巫女の斎にしかできないことを、自由にやってほしいな」
陛下の期待の重さが心地よい。
大切な人に信頼され、頼られることがどれだけ嬉しいことか。
「ありがとうございます。陛下のご厚意、無下にしないように励みます」
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