37.先帝陛下の悪評と実情、そして軟膏。馬刺と馬油は産地が被っている。
生霊の対処と生霊の元となった妃嬪たちの情報収集をした私は、続いて資料には載らないような、生の声を調査することにした。
何の調査か。
陛下について、他に変な噂がないか調査。
そして――鶺鴒宮の運営費用を得るための、化粧品にまつわる調査。
二つを同時並行に行っていく予定だ。
これは両方とも、宮廷で資料をまとめた男性官吏や、売薬の行商に出かける男性ではわからないことだ。女性にまつわる物事はたいてい、公式の場と別の場所を探らなければ本当のところは見えてこない。
まずは宮廷内から。
私は鶺鴒宮で試作品として作った軟膏の使い心地を試してもらう、という口実で、鶺鴒宮の侍女たちに集まってもらった。
陛下については――彼女たちは、ほぼファン心理に近い熱量で陛下を敬愛しているようだ。
面紗で顔はよく見えなくても、あの麗しく気品ある、柔らかな佇まいを間近で見ているのなら当然だろう。
「陛下って皆様からとても敬愛されていますよね。よくない噂のひとつも聞きませんし」
「もちろんです! だって陛下ですもの!」
私が陛下に関して話題を振った途端、彼女たちは瞳をきらきらとさせて饒舌に語りだす。
熱がすごい。
私は極力余計な口を挟まず、彼女たちのお喋りの流れに任せて耳を傾けた。
「恐れ多くも陛下に対して口さがないのない事を言う人がいるとすれば、先帝陛下の支持者か、先帝時代に美味しい思いをしていた人たちくらいでしょうか。でも陛下、そういう人たちの扱いもお上手ですし」
「あの、すみません」
私は思い切って口をはさむ。
「差し支えなければ教えていただきたいのですが……先帝陛下って……皆さんからご覧になって、どういう方だったのですか?」
ずっと聞きたかった事なので、陛下の噂に関係がない話だが聞いてみる。
侍女たちは顔を見合わせた。
「もちろんここでみなさんがお話してくださったことは、鶺鴒の巫女の血に誓って漏らしません」
「……そうねえ、なんというか……」
彼女たちは誰からともなく、先帝陛下について語りだした。
「先帝陛下の時代はひどかったのですよ。西方国から大発生した蝗の被害で東方国西部の村々は大損害を蒙りましたし。冬も雪がひどくて、建国以来『天鷲神』のご威光で守られ続けた首都でさえ雪の重みで建物がいくつも崩壊して犠牲者も多く出ました」
「後宮をお作りになったことで『天鷲神』の怒りに触れた、とも言われてましたよね……」
「そうそう。これまでは宮廷に入る女性といえば、皇后陛下の別邸が仮設されたとき、そこで務める女官や侍女だけという慣例でしたし……」
「ま、待ってください」
聴き逃がせない重大事項が飛び込んできた気がする。
「ええと……先帝陛下の時代以前には……皇后陛下以外、女性は入ったことがないんですね……?」
「はい」
「儀礼や祭事などで入ることはもちろんあったそうですが、居住する方はいなかったと」
彼女たちは一様に頷く。
とんでもない情報を話しているにも関わらず、彼女たちのその顔はにこやかだ。
その眼差しはどこか生温かくすら、ある。
「私が住むことで……鶺鴒宮が作られたことで……天鷲神の怒りに触れたと……思われる方はいないのでしょうか?」
「大丈夫ですよ斎さま。斎さまは鶺鴒の巫女様ですもの」
「『天鷲神』に人の営みを自ら伝えた巫女として宮廷に住まった事があると、神話に書いてありますので」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。陛下が斎さまをこの国にお迎えする前に、事前に図書寮で古代の前例を告知していらっしゃいました」
「なるほど……『鶺鴒の巫女』は別、と」
彼女たちはなぜかにこにこと笑っている。
なぜだろうか。
しかし。
私――『鶺鴒の巫女』本人ですら知らない、創世神話以来の記述を調べ尽くすのは、どれだけ大変だったか。対応した図書寮の官吏は大変有能な人なのではないか。
顔も見たことがないその官吏に対し、私は心のなかで感謝と敬意を示す。
いつか顔を合わせてお礼を言いたい。
「先帝時代に関して、庶民は災害の多さと後手に回りすぎた災害対応に不満と不安だらけでした。そして夫の話によると宮廷でもずいぶんと荒れたそうです」
「荒れた、とは?」
「前例のない人事を多く行っていらっしゃったようです。御三家である錐屋家、郷家、花則家以外の右祐を側近として置き、家臣を多く重用したことや、下級官吏への門戸を庶民へと開いたこと……他にも色々と、旧来の臣下が驚くような人事が多かったみたいで」
私は彼女たちの話を、頭の中で整理する。
先帝陛下は宮廷を改革すべく大胆な人事を行った。
恐らく世襲制と慣例で保守的に凝り固まった政治を抜本的に改革しようとしたのだろう。しかし根回しが足りず、また急進的すぎて周りが追いつけなかった。
そうして皇帝と臣下の連携がうまく取れなくなったところで、不運にも『天鷲神の怒り』といえるような自然災害が立て続けに起こる。
政治の連携が取れていないのでもちろん、災害対応も後手後手に周り、庶民も甚大な被害を被った。というわけだ。
(……しかし、今もたしか庶民に開かれた試験制度で官吏への門戸は開かれたまま。つまり、先帝時代の改革も全てが消えてしまったわけではないのね……)
私が東方国までやってきたときに通った街道の整備も、春果陛下の治世以前から準備されてきた一大事業のはずだ。あの街道は今、春果陛下の功績として絶賛されている。
――先帝陛下は、色んな恨みを必要以上に買っている方のようだ。
どうして。
「……とはいっても、一番はやっぱり、あれでしょうね……」
「ええ」
彼女達は表情を曇らせ、示し合わせたように頷く。
「『北方国の奸狐』」
「北方国……ですか? もう既に、数百年前に滅亡したはず……」
私の質問に、彼女たちはあえて明るい声でなんてこともないように言う。
「いえいえ。まあ、大した話じゃないですよ」
「とにかく、春果陛下の時代になって、公共事業も盛んになって、中央国との国交も回復して、商人も農民も官僚も以前よりずっと豊かになって私達は嬉しいですよ」
中年の侍女が、うんうんと深く頷きながら言う。
「治安もよくなったし、売薬の行商もずいぶん行きやすくなりました」
「私達、元後宮侍女も、こうして再び鶺鴒宮での仕事をいただけるようになりましたしね。以前の職歴を認めていただけて本当に有り難いことです」
「そう思っていただけるのでしたら、嬉しいです」
改めて、鶺鴒宮を無くすわけにはいかないと心に誓う。
私はここで話を切り出した。
「ところで、皆さんにお見せしたいものがあるのですが……」
私は横に置いていた桐箱を開き、彼女たちの前に開く。
東方国の海で取れる貝殻の中に軟膏を入れたものだ。
「あら、これは……」
「皆さん、いつも水仕事を頑張ってくださっているので……よかったら手荒れ予防にお使いいただけたらと思いまして」
この世界にワセリンはない。その代わりに蜜蝋、それに南方国輸入の馬油を少量混ぜて、そこに庭で取れた薄荷で作った薄荷油を混ぜたものでハンドクリームを作った。
1kgくらいの量にわさわさと生えた薄荷から水蒸気蒸留で抽出したのだが、やはり油の量はごくごく微量にしか取れなかった。そのためちょっと魔力で薄荷油に補強して、薄荷の芳香と効果、メントール作用を強くしている。
油や蜜蝋などの素材は製薬業に強い土地柄、簡単に手に入れることができた。特に馬油が手に入るとは思わなかったので私は驚いた――どうやら、南方国では馬刺しを食べる文化があるため、馬油の輸出も盛んらしい。
馬食の文化がない東方国ではちょっとおどろおどろしい油として敬遠されていたので、想像よりずっと安く手に入れる事ができた。
香りについては、今後はもっとバリエーションを増やしていきたいけれど……今はまだ、庭に生えていた薬草で作るのが精一杯だ。
彼女たちの反応は芳しいものだった。
「あらこれは……スーッとして気持ちいいですね」
「軟膏と言えば薬でしか使ったことがないので、不思議な感じです」
「お仕事終わりやお風呂上がりに使っていただけると、香りで気持ちが穏やかになる効果があると思います」
「そうですね! 魚料理や掃除をした日に使えば、指先を香っても気持ちよさそう」
「ありがとうございます、斎さま」
彼女たちは手先に使いながら、嬉しそうに指先を広げて見つめている。
「今後このような商品を作って、東方国ではなく……東方国外に売れないか、考えているんです」
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