36.生霊に見えるから、生霊は怖いんですよ。
――高楼で生霊と噂話の対応策について話してから、一週間。
私は急ごしらえの除霊ととある計画の準備に追われていた。
---
「奉織祭で僕と『雪鳴の妹』が、同時に出れば変な疑いも解けるというわけだね」
奉織祭とは、初夏に天鷲宮祭殿にて行われる織物献上の祭儀だ。
東方国内の各県から陛下へと絹織物が献上され、陛下から彼らへ撤下として蚕精が春に生み出したばかりの絹糸を渡すという行事だった。
祭の様子は民にも一般公開され、もちろん絹織物問屋の秋月家の一族参列する行事だ。
私も今年の奉織祭から『鶺鴒の巫女』として、蚕精と文化の繁栄を祈るために参加する。
他にも織女として巫女が複数参加するらしいのだが、もともと宮廷には侍女・女官は存在しないため、全員祭儀に応じて招集される官僚や商家の娘さんがた――つまり、繁忙期の臨時バイトの巫女さんのような感じらしい。
「祭で陛下と春色様の体格を対比させたいのです」
今後、鶺鴒宮を利用して陛下が女性の姿で宮廷内で動きやすくするため、陛下と雪鳴妹は全く別人だと印象付ける必要がある。
しっかり印象付けられれば、鶺鴒宮の生霊が何を言おうが問題ない。
「そのためには、できるだけ目立つ好機で、女性のときの陛下――春色様と誰かを並べて……そして、その誰かが後で本当の姿の陛下と並べば、全く別人だと印象付けられます」
「その間、僕の席には誰か代わりを置けばいいね。顔も隠すし、まあ体格が似た人を使えばいけるでしょう。ね、兄様」
陛下の言葉を、雪鳴様は無視する。
陛下は私を見て笑った。
「そうだね。斎の案でそのままやっちゃおうか」
「……良いのですか? 私の浅知恵で……」
「少なくとも斎は、生霊を対策はできるんでしょ?」
「はい」
それは確信を持って頷ける。
「それが一番大切だからね、今後の鶺鴒宮の運営にあたっては」
「……はい……」
陛下の言う通りそう簡単にうまくいくのか。どきどきする。
しかし不安に思っていても何も変わらない。とにかく祭までに私がやるべきことは、鶺鴒宮の生霊対応だ。
---
私はまず、鶺鴒宮全体の生霊を改めて調査した。
結果だけを言えば鶺鴒宮の中に合計五ヶ所、しつこくこびり付いた思念が生霊となってわだかまっているのが見つかった。
最初の掃除のとき――鶺鴒宮がまだ「元後宮」と呼ばれていた頃――私が気づかなかったのは、おそらく、まだ鶺鴒宮が廃墟だったからだろう。
人の活気が生まれて空気が変われば、霊現象の大半は収束する。
霊は魂ではなく、あくまで魔力の滞りだ。人の去来が増えれば普通は、自然に魔力の滞りも消えていく。しかし生霊の場合、かえって生霊の主張が激しくなり悪化する場合もある。これは中央国に暮らしていた頃に得た知識だ。
私は机に鶺鴒宮の見取り図を広げながら、筆でとんとん、と丸を描いていく。
「生霊と共存していく方法を考えていくべきですね……」
「きょ、共存ですか!?」
宮廷の関係各所から集めた元後宮時代の資料を整えてくれていた錫色が、泣きそうな顔になる。
「ええ、共存です」
私は首を縦に振った。
「正直なところ、人生で悩みを完全に無くすなんてできません。生霊を染み付かせるほど『念』が強い女性なら余計に、一生で何度も鬱屈を抱えては生霊にイキイキとした栄養を与え続けるでしょう」
「うう……」
「もちろん、彼女たちの現状の生活環境や状況を調査して、彼女たちの今の悩みを解決させることはします」
ちらりと、私は集めた資料を見やる。そこには後宮を辞した後の女官、侍女、妃嬪のその後についての情報が集められている。宮廷に保管されていた資料しかないので、もっと現状の情報を得なければならないが。
「悩みが軽くなれば多少、生霊の力も弱まるでしょう。そして、同時に……」
「そして同時に……?」
「生霊が出てきても、鶺鴒宮の生霊なら怖くない!という風にすればいいのです」
「な、何が出ても怖いですよ!」
「どうして生霊は怖いのですか?」
錫色は例の生霊を思い出したようで、肩を抱いてぶるりと震える。
「だって、そりゃあ怖いですよ。いきなり隅っこから出てきてびっくりしますし、見た目も怖いですし、うう……」
私はふふ、と笑う。彼女の言う「怖い理由」は当然だ。
それは、生霊が普段の生活において明らかな異物だから。
――つまり、生霊が異物でなくなればいいのだ。
「……人の目なんて、結構適当なんですよ」
私はつぶやきながら、女性の姿になった陛下を思い出す。
陛下は女性の姿を取っていても、それはあくまでそういう風に見せているだけだ。本当に女性というわけではない。
それと同じ用に――ちょっとした道具で、生霊が出ても生霊に見えないような感じにすればいいのだ
私は指先を軽く切り、血を墨に混ぜ――さらさらと、半紙に文字を書いていく。
「それは……御札ですか?」
「はい。ちょっとした装置を作ります、鶺鴒宮に」
私は御札を書いて立ち上がった。
「私はちょっと生霊退治に参ります」
「はい! 錫色はいかがいたしましょうか」
「これから鶺鴒宮に庭師さんが整備に来ます。錫色さんは彼らに挨拶と、植樹する場所の確認や細かな申し送りをお願いします」
庭の計画書を渡すと、錫色はぴしりと背筋を伸ばして受け取る。薬問屋の娘らしく、錫色は意外と細かいところまできっちり仕事をしてくれる。彼女に任せておけば、庭のほうは大丈夫だろう。
私はそれから錫色と別れ、生霊がはびこっている場所に向かう。
立入禁止の張り紙が書かれた部屋に入れば、案の定今日も、梓色さんの生霊が三角座りで浮かび上がり、部屋の隅っこでぶつぶつと呪詛をつぶやいていた。
「今日もお元気そうですね……」
私は生霊の出ている場所の隅、棚で隠れる位置に御札を貼る。
そして私はもう一度、さきほどの指先の怪我から血を滴らせ――生霊にかけた。
「鶺鴒の巫女が命じます。あなたは、もう……その姿は取れません」
血が人あらざる生霊を伝い、そして淡く光る。
生霊の像が乱れ、そして――生霊が、もふもふとした鵲に変化した。
「かちかちかち」
鳴いている。
「……鶺鴒宮は鶺鴒宮なのに、なぜか鵲ばかりがいるわ。それならば多少鵲が増えても問題ありませんし……かちかちと鳴いても、何を言っているかわからなくなる」
もふっ。もふっ。
「かちかちかちかち(陛下は……女よ……)」
「ふふふ。一安心です」
私は続いて、鶺鴒宮各所の生霊スポットに御札を貼り、同じように彼女たちを鵲へと変化させた。
生霊は、多少の魔力保持の才能がある人の思念と、自然に存在する魔力(あの雪竜を生み出したようなものだ)が結合して生まれたもの。
それならば、自然に存在する魔力と思念の生み出した像の形を変えればいい。そのための御札だ。
生霊の鵲はあくまで生霊だ。
触れることもできなければ、鶺鴒宮から離れたところまで飛び立つこともできない、ホログラムのようなものだ。
根本解決は全くしていない。生霊は今でも鶺鴒宮にそこそこ存在するままだ。
しかし、見た目が変わってしまえば誰もそれを生霊だとも思わないし、怖がらない。
むしろ鵲――瑞鳥として歓迎されるだろう。
あとは自然に場の空気が変わって、生霊が散っていくのを待つ。
「生霊に関しては、これで一件落着ということで」
私はそれから鶺鴒宮を出て、鶺鴒宮の出入り口でもある太鼓橋へと向かう。
煙管をふかしていた力者の人に声をかける。
「恐れ入ります。ちょっと資料庫に向かうので、人力車を出していただけますか」
「はい、巫女さま!」
彼は立ち上がり、いそいそと脇につけていた一人乗りの人力車を準備する。
人力車はいかにも前世で観光地にあったようなものそのままで、私が荷運び用の一輪車と鶺鴒宮にあった椅子、そして傘を魔力で合体させて作った急ごしらえのものだ。
毎回輿で移動するのは大仰で大変で、移動に毎回何人も力者を用意してもらうのも勿体ない。というわけで作ったのだが、期待以上にずっと乗り心地もよく便利だ。
乗り込んだ私に力者が背中越しに訊ねる。
「どこに行かれますか?」
「図書寮へお願いします」
「はいっ! しっかり捕まっててくださいね!」
彼は勢いよく駆け出す。
びゅんびゅんと過ぎていく景色を眺め風に当たりながら、私は生霊となった女性たちについて考えていた。
(梓色さんは危険な人だったけど、他の人は……)
宮廷に妃嬪として入った女性は現在30代から50代前半ほど。彼女たちは後宮に入るために徹底的に教育されてきた女性なので、皆優秀で社交にも慣れた貴婦人たちだ。
――しかし後宮を辞して市井に入っても、この国ではその能力や後宮の知識を使うことはできないだろう。女性の社会進出が進んでいる社会とはいえ、それはあくまで平民の話。後宮に上がる為に磨いた知識や能力を、女官や侍女として活かす場は少ない。
そして。
彼女たちは恐らく、後宮を辞して舞い戻った市井で居心地が悪く感じる人も多いはずだ。
なにせ、後宮自体が黒歴史になっているのだから。
――だが彼女たちの能力や知識は、私にとっては大切なものだ。
「資料だけでなく……もっと、彼女たちの情報を調べる必要がありそうですね。宮廷の外の話をうかがう丁度いい口実もありますし……」
私はそっと、指先を撫ぜる。今日は柑橘の匂いが漂う指先は、作りたての軟膏を塗っていた。
ご評価、ブックマーク、ご感想いつもありがとうございます。更新の糧です!
お読みいただきありがとうございました。m(_ _)m





