35.シナリオにおいて、愚帝は『身代わり』を残して逃げていた
タイトルの意味は、追って。
突然の美女。
そして軽く頭を抱える雪鳴様。
二人を前に私は混乱した。
「え、ええと……」
「僕だよ、斎」
彼女は私を見てにっこりと笑う。
象牙色の柔らかな髪に、抜けるような白い肌、睫毛の長い夢のような美女。紅も引いていないが、それでも端正な顔立ちは鮮烈だ。
彼女は白練りの男装をだぶつかせ、灰青色の瞳を細めてこちらを見やっている。
私は必死に思考を回転させる。
「鶺鴒宮の方……ではありませんよね。雪鳴様のご家族様……ですか?」
雪鳴様を見れば、彼は苦いお茶を呑んだような渋い顔をしている。
私ははっと思い至る。
「奥様!?」
「「違う!!!!」」
雪鳴様と美女、ふたりは口を揃えて強く強く否定した。
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「陛下でございましたか……大変失礼いたしました」
膝をつき礼をしようとする私に、普段よりふた周りほど小さくなった陛下は笑って手を振る。
「僕は今『春果』じゃないから。『鶺鴒の巫女』が雪鳴の妹に膝を折ったらだめでしょ?」
華奢な手首に、いつも頭に乗せている、天使のような輪冠を腕輪のように引っ掛けている。
細く薄くなった背中には、重厚な狗鷲の翼もない。魔力で消しているようだ。
「い、妹……ですか?」
「……かつては春色という名で、私の妹として実家で匿っていた」
雪鳴様は陛下の様子にため息交じりに答えた。
陛下は私に説明した。
「幼い頃は雪鳴の妹という名目で、身元を隠してすごしていたんだ。幼い頃はまだ魔力が弱かったから、体も女の子にして誤魔化すときは先帝の魔力を借りて」
「先帝陛下の魔力、お強いんですね……」
「愚帝扱いだけど、一応、皇帝だからね」
声や容姿こそ女性のものの、陛下の口調や仕草はいつもの陛下そのままだ。
元々柔和な物腰の方だと思っていたが、こうしていざ女性の姿となって、いつも通りの振る舞いをすると――どこか、宝塚の男役のような男性風味があるのが面白い。
「――翼が生えてなくて女なら、だれも皇太子とは思わないでしょう?」
「……なるほど……」
私はふと、陛下が面紗をかけていないことの意味に気づく。
「……姿を変えると、表出する魔力も隠せるんですね?」
「うん。姿を変えるとこうして面紗なしに雪鳴と顔を合わせても、目を焼かない」
言いながら、陛下は空いていた籐椅子に座る。
座ると同時にふわりと翼を広げて陛下は元の姿に戻っていた。輪冠を整え、ぱらりと面紗を下ろす。
ふわりと霍香や白檀が入り混じった匂いが舞う。
その香りは、いつもの陛下の香りそのままだった。
「見た目ってそんなに……簡単に変えられるのですか」
「性別と年齢はね、半日は保たないけど。僕、そもそも半分『人間』じゃないし――変装する必要があるときは、こうして普段は少年従者のふりをすることが多かったのだけど」
言いながら陛下の体の様子が代わり、あっというまに少年になる。
「でも、年齢を変えるのって女性になるより面倒で」
その声は少し掠れたボーイソプラノだ。
「……そもそも、少年の姿だと、僕の素顔を知ってる人にはばればれだから」
そして再び女性の姿になり、にこりと笑う。
「こっちのほうが便利ってコト。化粧できるしね」
「……確かに……。陛下としていらっしゃるときは面紗でお顔がよく見えませんし、陛下の素顔を私が存じ上げなければ、同一人物とは思わないかも……」
「そういうこと。女性の姿が一番、魔力消費効率がいいんだ」
私ははっと思い至る。
「鶺鴒宮を創設したのは、もしかしてより動きやすくするため……?」
象牙色の前髪を揺らし、陛下は化粧っけのない唇で弧を描く。
「そう。今はまだ宮廷内を女官が歩いていたら目立つけれど、今後は鶺鴒宮のおかげでごまかせる」
「春色」
ここで口を挟んだのは雪鳴様だ。口調が、まさに妹を嗜めるそれだ。
「春色。皇帝の衣を着たまま駄弁るためにここに来たのなら不敬だぞ」
「わかりましたわ、兄様」
わざとらしくしなを作り、陛下は元の姿へと戻った。
白練りの衣がふわりと広がり、風を起こしながら翼が広がる。
「――で、斎」
灰青色の眼差しが私を射た。
「この件に関して、斎はどう対処したい?」
「そうですね、まず……」
二人の視線が私に向かう。そして私は真っ先に思ったことを伝えた。
「陛下」
「うん?」
「陛下がさきほどから展開されていた魔力の動きを見ておりました」
「?……う、うん?」
「まず、魔力を開放するのに右手を使っていらっしゃいましたね」
「…………」
「女性になられるときは、陛下はまず翼に魔力をかけます。ぎゅっと翼を肩甲骨に押し込めるように、魔力で圧迫して……そして、その魔力の流れに沿って、骨格を背中から順番に変えて。お若い姿になられるときも、です。ですがそれは……陛下のなされていることは、陛下という器のなかで――繭の中で蝶が変態するように、どろどろに、全く別のものに作り変えるということ」
「さ、斎……?」
「また改めて、今の陛下の像を結ぶためには、どれほどの負担を体に強いていらっしゃるのか。考えるだけでもぞっとします」
私は陛下をまっすぐ見つめた。
隣で雪鳴様が「もっと言え」と言いたげな目で頷いているのが見えている気がする。
「陛下。どうか必要以上になさらないでください。よほどでない限り。陛下のお立場や『目』の事情からしても、恐らく宮廷を行き来するだけでも障りがあることが多いのでしょう。……雪鳴様とお話なさるときも、目をそらしてらっしゃいますよね」
「よく見てるね。……ううん。斎は僕の顔を真正面から見られるから、分かって当然か」
「周りの方に万が一の事故を起こさないため、姿を変えやすい環境を作ろうとなさっているご配慮で、それでかえって陛下の御命が縮むのは……私は……『鶺鴒の巫女』として見過ごせません」
私は陛下の命を守るために、ここにいる。
面紗を傾けて、陛下は灰青色の目をのぞかせ――優しく笑った。
「ごめんね、心配かけて」
陛下は笑う。
「斎に見せておきたかったんだ。……後で、違う姿を見せた時に、がっかりされたくなくて」
「陛下……」
「どんな姿でも、僕は僕だから」
どこか寂しそうな言い方をして、陛下は私に首をかしげてみせる。
私ははっとする。
軽やかに姿を変えていたのは、陛下の特殊な能力に慣れていない、私への気遣いだったのだ。
「陛下にそんなご心配をおかけして申し訳ありません。私は陛下がどんなお姿でも、本来の陛下の姿に見えております。魔力回路を持つ人間にとって、変えた容姿は全て別のものです」
「斎……」
「差し出がましい事を申し上げました。陛下……陛下のお心遣い、痛み入ります」
私は強く言った。
「今夜はしっかり施術させてください」
「……う、うん」
ごほん、と雪鳴様が咳払いする。
「陛下。そして斎殿。……生霊について、どうするんだ?」
「私の考えをお話して……よろしいでしょうか?」
私は二人に向けて、私の考えている話を話した。
「それは――確かに、一番無難で手早いだろうね」
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