31.化粧品と心霊現象
錫色は首をかしげながら訊ねる。
「たとえば水から、そのままえーい! ってやったらお化粧水が出来るのですか?」
「理論を飛ばせば、だいたいそういうことですね」
「すごい! 作り放題じゃないですかー! たくさん売れますね!」
「そうでもないんですよ」
無邪気な発想に癒やされながら、私は脚立の上で首を横にふる。
「作るのには繊細な技量を必要として、大量生産はできません」
「残念ですね」
「それに……高価な商品なので大量に作っても、購入する顧客層も限られているんです」
「確かに、魔力がある人ならお化粧品買わなくても、自分でパーッと作れちゃいますもんね!」
「実は、それもできないんです」
「えー」
「あ、錫色さん、次の束お願いします」
「はい!」
背伸びして束を手渡してくる錫色。
受け取りながら、私は彼女の疑問に答える。
「中央国において、化粧品作りは許可が必要なんです」
「えっ、そうなんですか!?」
「魔力保持者の専門職としてみなされているので。……東方国では規制はないのですか?」
「ありません! 東方国では女の人は、みんな自分の家でお化粧水とか、軟膏とか色々作ってます!」
「買うものではないのですね」
錫色の表情が明るい。好きな話題なのだろう。
「錫色さんも作られるのですか?」
「えっと、女薬師の使用人が作ってくれることもありますが、母上様がお手製で作ってくれています! あっもちろん、私も作り方は知っています!」
言いながら、細い体を反らせて胸を張る。可愛い。
「でも憧れちゃいますね、専門のこすめいかーさんのお化粧品……きっととても綺麗になれるんでしょうね」
「うーん」
「あれれ、なんだか曇ったお返事ですね」
私は肯定も否定もできず、軒下で揺れる十薬へと目をそらす。
――実際、化粧薬師の化粧品を使っても綺麗になれるとは言い難い。
むしろ、あまり意味はないというのが魔力保持者としての私の所見だ。
理由はいくつかある。
まずひとつ。
化粧薬師の腕や経年による魔力のムラで品質が非常に安定しにくいこと。
ふたつ。
顧客の肌年齢や生活習慣も年齢や状況によって、必要な栄養素や成分がころころと変わるので、日によって肌に合ったり合わなかったりの差が激しいということ。
それでも化粧薬師は魔力保持者の中でも社会的地位の高い職業だ。
彼らを雇用することは中央国の貴族・大商家にとって大きな社会的地位であり、社交の場で化粧薬師を持たない貴婦人などは足元を見られてしまう。
肌に合わなくても、使い続けるものなのだ。
例えば。
「なんだかこのお化粧品、最近肌がぴりぴりしてくるんですけど……」
「おめでとうございます! それはお肌が生まれ変わる『好転反応』が出てきた証拠です!」
「あら、そうなの……?」
「そうですそうです。我慢してもうしばらく使用していると、ピカピカの新しいお肌に生まれ変わりますよ!」
――こんな感じに。
肌に塗って、多少ピリピリしたり赤くなったりしても、肌に良い変化が現れる――そう納得して顧客が使い続けてくれている隙に、化粧薬師は次の化粧品から成分を少し秘匿修正して、また肌に合うような化粧品に調整する。
すると顧客からは、
「使い続けたから綺麗になった! 肌が生まれ変わったわ! うちの化粧薬師は最高ね!」
……という風に受け取られるのだ。
受け取られてしまうのだ……残念なことに。残念なことに。
結果、化粧品を使わない庶民のほうが、むしろ綺麗な肌をしているとさえ言われているほどだ。それでも化粧薬師の化粧品を使わないなんて貴婦人にはもってのほかなので、永劫、この消費活動は終わらない。
――その茶番に馴染めなかった時点で、私はしょせん、田舎娘だったのだろう。
十薬を吊るしていると、中庭のほうで学生たちが大きな家具を運び入れてくれているのが目についた。
揃いの制服を纏った彼らは私たちに気づくとビシリ!と背筋を伸ばし、一斉に声を張り上げる。
「失礼いたします!」
声変わり中のかすれた少年の声だ。まるで野球部のように清々しい。
彼らのきらきらと輝く姿を見送りながら、私は前々から思っていた事を口にした。
「東方国の方は……男性も含めて、皆さんとても肌が綺麗ですよね」
「そうなんですか?!」
「ええ。色白で、髪の毛も艷やかで……お若く見える方が多いように感じます」
錫色が素っ頓狂な声を出す。
「そんなこと考えたことありませんでした!!!」
「……ずいぶん驚きますね……錫色さんもとっても綺麗ですよ」
「はわ」
頬を両手で包んで照れる錫色も、控えめに言っても色白で可憐な美少女だ。
黙って小首を傾げていれば舞姫といっても通じそうだ。
まあ――みんなが一様に美しいならば、特に取り立てて気にもしないのだろうか。
私は空を見上げる。
「色白なのは……天気のお陰でしょうか」
中央国より日差しが柔らかく、曇り空のことが多い。
程よい湿度と気温が、肌にも優しいのかもしれない。
そもそも日常的に温泉に入る文化があるなんて、美容にとっては最高の環境だろう。
私は錫色に訊ねた。
「こちらの方は、基礎化粧品はみなさん自家製なのですか?」
「はい! どんなお金持ちの女性でも、大抵は自家製です。商品にして売られているのも見たことありませんね……んーと……あ、紅とか、色がつくお化粧品は専門店もありますが!」
「なるほど……」
「東方国は薬草も、薬草の知識がある人も山ほどですからね~」
錫色は十薬を括りながら元気に語る。
「家で薬を作った後の余り物とか、薬として売るにはちょっと出来が悪いものとか、練習に作ったものとかを弄って化粧品に使ったりします。庭に薬草を植えたり。だから、化粧品を買うというのは特別なことです!」
相変わらず声が大きい。
それでも最初の日よりはだいぶん落ち着いてきた。
私との暮らしも少しは慣れてきてくれたのなら嬉しい。
「あっ、そうです! 私の面皰も、母様の薬で直ったんですよ!!!」
「確かに……錫色さんは、きれいでとてもかわいいですね」
「えへへ。斎さまに褒められちゃいました」
「髪も綺麗ですね。それにいい匂いがします……万年露の香油ですか?」
「はい! こちらも母上様特製です!」
錫色の髪は錫色だ。
老人の白髪とは違うつやつやで深い色をした銀髪で、ポニーテールにした髪はまっすぐで美しく、針金の束のようだ。
褒めると素直に錫色は嬉しそうにした。
「母が庭で育てて髪油を作ってくれているんです」
「素敵なお母さまですね」
「はい! 父上様はとても怖い方ですが、母上様はいつもにこにこして、怒った所をみたことがありません! 大好きです!」
「いつか是非お会いしたいものです」
「あっ!! もちろん父上様も大好きですよ!」
「ふふ、わかります」
錫色と話しながら手を動かすと、作業の時間なんてあっという間だ。
「化粧品、ですか……」
これまで化粧品――身なりの事なんて、『鶺鴒の巫女』としての身だしなみ以上に考える事はなかった。
そんな私でも、東方国に来てから朝の身支度の時に侍女にせっせと薄化粧をされるようになった。
夜伽に呼ばれるときも、侍女たちは綺麗に身支度を整えてくれる。
ただ陛下とお話をして、魔力回路施術をするだけなのに、そこまで……と遠慮したくなってしまうほど、彼女たちは綺麗にしてくれる。
身支度をして鏡をみて、自分を見て少し気恥ずかしくなるのは初めての経験だった。
不相応だと思うけれど、陛下と会う立場として、身なりに気遣うのも配慮だろう。
あの綺麗な人と会うのにやぼったい田舎娘のままでいるのは失礼だ。
出来る範囲では綺麗にするのも、『鶺鴒の巫女』としての役割だ。
――それに『化粧品』は良い方法かもしれない。
製薬業に強いこの国の元々の産業を邪魔せず、また、外貨を手に入れるための方法として。
私は自分の頬を撫で、ぽつりとつぶやく。
「……せっかくだから、私も作ってみようかしら」
「ぜひ! 斎さまが作ったら、ぜったいすごいものができます!……あ、次の十薬、刈り取ってきますね!!!!」
錫色が元気に庭へと駆け出していく。
きっと親御さんや周りの人に、たくさん愛されて育ってきたのだろう。
――同時に。
あの元気な様子に、昔の自分を思い出してしまう。
医師の父と、元『鶺鴒の巫女』の母。
母が作った菜園で、晴れた日はよく一緒に庭いじりをした。
厳しい母だったが、回診から戻ってきた父を迎えるとふわりと表情が和らぐ。
私はそれを見るのが好きだった。
――もう戻らないあの頃を思い出したということは、きっと、今が同じくらい幸せということだ。
「ギャー!!!!!!!!!!!!!!!!」
バサバサバサバサバサ
鳥を締め上げたような叫び声と、一斉に逃げていく鵲の羽ばたき。
腰を抜かした錫色が這いずるように出てくる。
「斎さまー!!!! オバケですー!! 手がー!!! 棚の奥からーーーー!!!!」
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