閑話:リリーという聖女
※生霊編の前に、リリーを挟んでみます。
聖女リリーは軽快な足取りで王宮を闊歩していた。
メイドはもちろん、騎士も貴人も、ほほえみながら彼女へ、当然のように道を譲る。
国王夫妻が召喚した『聖女』は不可侵の存在だ。
天意と国王夫妻以外に、彼女を止められる者はない。
薄衣を纏っただけの彼女は肌も露わで、動くたび、細い金の飾りがしゃらしゃらと音を立てて柔肌を滑る。
たゆたう髪は桃色の雲のように柔らかく弧を描き、長いまつげに彩られた瞳は夢幻の色をしている。
現実感のない、絵画からそのまま飛び出したような存在だ。
彼女が歩いていると、その先からカートで食事を運ぶメイドと鉢合わせた。
「――ッ!!」
メイドはビクッとするが、彼女と目を合わせないように俯き気味に廊下の端をそろそろと歩いていく。
震える手で押すカートが、かちゃかちゃと音を立てる。
リリーは声に出さずに笑う。
かくれんぼの子どもを見つけたような笑顔で、音を立てずにひらひらと、巫女服をなびかせて距離を詰める。
「ねえ」
白い指先が、つん、とカートをつついた。
息を呑んだメイドの顔を覗き込み、リリーはにっこりと笑う。
「あっ」
「あなた、可愛いわね。お名前は?」
「あ、……あ、……」
「おなまえ、教えて?」
メイドは震える唇で名を口にする。
『……そう。××××さん、なのね?』
リリーは彼女の顎を捉え、目を合わせる。
――数秒。
メイドの目が濁る。
まるで糸で操られた人形のように、ぱか、と口を開く。
「はい、あーん」
リリィはその唇に、食器に乗せられたぶどうを一粒押し込む。
もぐ、もぐ、ごっくん。
飲み込んだところでメイドは青ざめて口を抑えた。
「それ、国王陛下にお持ちするぶどうよね?」
メイドは声を出さず崩れおちた。
「あーあ、食べちゃった」
リリーは笑い、そして立ち去る。
角を曲がったところで、ざわざわと騒々しい音が聞こえてくる。
「ばいばい」
リリーの能力に薄々気付いた余計なネズミがまた一匹片付いた。
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この世には魔力というものがあり、聖女たる自分は強靭な魔力を持っている。
それこそ、神の血を惹く王族や、古き血の巫女に負けないほど。
しかし魔力は万能ではない。
万能に操るには、相当な修練を積まなければならなくて。
学と、頭と、才能と、努力。
バランスよく全てが整わないと、魔力なんて宝の持ち腐れだ。
「あたしにとって、ここはどうせ夢に見てる世界、みたいなものよ」
リリーは召喚された聖女だ。
しょせん仮初の世界。
そんな場所で、努力なんて馬鹿らしいと思っていた。
自分は特殊な『聖女』の能力を持つ。
それに加えて、国家権力さえ自由に翻弄できるのだから、それ以上の努力なんてしたくなかかった、
リリーは条件こそいくつかあれど、瞳を見た相手の行動を操れる。
できないことは『心』を操ること。
――けれど、心なんてどうだっていい。
人は行動で無自覚に自分の心を作っている。
毎日のようにリリーに会っていればドキドキする。
辛いことが起きたとき、慰めてくれるリリーがいたら好きになる。
人の行動を操って、心を操るなんて簡単だ。
アレクセイは最初からリリーに惚れ込んでいた。
けれど、婚約者を持つ手前、絶対にリリーに手出しはしなかった。
だからリリーは彼の手に触れた。
そして目を見つめ、関係へと誘った。
そして、ベッドに腰掛け頭を抱える彼の耳元に囁いた。
「ねえ、本当は恋をしたかったんでしょ?」
彼の目の色がはっきりと変わったのは、このときだ。
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リリーは王宮から中庭に降りて、神殿へと向かう。
緑でいっぱいの中庭の向こうから、太陽を反射して目に眩しい甲冑の男が手を振る。
大きな体で犬のように駆け寄ってくるアレクセイに、リリーはにこやかに手を振り返す。
「リリー! 護衛もつけないでどうしたんだ」
「護衛なんていらないわ。神殿に行くだけだもの」
「『聖女』だろう。城内だからって安全とは限らないぞ」
「あら、そうかしら」
適当なお嬢様言葉でリリーは笑う。
頬を撫でる手に嬉しそうにすれば、アレクセイはわかりやすく頬を染める。
権力も腕力もあるプライドが高い男が、こんな風に犬になるのを見るのは良いものだ。
「大丈夫ですわ。『悪の巫女』もいないし、あなたもいるこの国は、庭でうたた寝だってできます」
アレクセイの顔がわかりやすく曇る。
ぐいっとリリーの手首を掴み、神殿の方へと連れて行く。
「俺が送る。君になにかあれば国の一大事だ」
そう口にしたきり、アレクセイは無言で庭を突っ切っていく。
――『例の事件』以降、彼は聖騎士団長の肩書を失った。
騎士団長の座は一旦空白となり、代理として教皇補佐が騎士団の面倒をみているらしい。
それ以上の人事についてリリーは知らない。
知る気もあまりない。
ただ、目の前の美男子がずっと打ちひしがれていることは確かだ。
「おかわいそう。あの『悪の巫女』がいなければ、アレクセイ様も、国も困ったことにならなかったのに」
リリーは立ち止まり、めいっぱい悲しい顔をしてアレクセイを見上げる。
案の定彼は、泣き出しそうな顔をした私に体を硬直させた。
わっかりやすい。
「……リリー。お前が何も考える必要はない。あの事なんか、忘れろ」
アレクセイは抱きしめた。
リリーは知っている。
人は行動で、無自覚に自分の心を作っている。
行動が人格や運命に通じる。
――なんて、偉い人は言うのかもしれないけれど。
勝手に行動させた後、理由を後付で囁いてやれば案外みんな信じるのだ。
魔力なんて使わなくたって。
壺を割らせて「あの人に虐められて辛かったからでしょ?」と囁く。
するとなぜか、あの人を『いじめの加害者』にする。
商人に宝石をたくさん買わせて、「どこかで帳尻合わせればいいのよ」と笑えば不正する。
リリーの能力には条件がある。
だから万能ではないけれど、そんなことどうでもいい。
リリーはただ、今日が楽しくて全部をめちゃくちゃにできたら、それで充分。
大抵のことをやっても、みんな許してくれる。
だって私ががんばんないと、この国終わっちゃうんだもん。
……何をしてあげる気も、ないけどね。
彼女は最終的にざまあになる予定ですが、彼女の今後についてどれくらい期待されているのか…(笑)
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