3.皇帝陛下。取り急ぎ私のドレスを敷布にどうぞ
「――サイ。サイ、」
天使の眼差しが、気遣わしげに私を見下ろしていた。
どうやら気を失っていたらしい。私は彼の膝から頭を上げ、ぼんやりとしたままあたりを見回す。
「……ここは……」
「湖のほとりの洞窟。雷鳥の谷のすぐそばなんだけど、分かる?」
私は魔力で位置方角を確かめた。
――ここは先程の村から遠く離れた、街道近くの洞窟だ。
体を起こして、改めて彼に向き直って膝を突く。そして深く頭を下げた。
「窮地をお救いいただきありがとうございます。東方国皇帝、春果陛下」
「あ、やっぱり分かった?」
「……それは、まあ……お翼もありますし、お召し物も……」
この世界で翼の生えた、十二単や漢服のような白練りの衣を纏った佳人など一人しかいない。
「楽にして。二人っきりだし、もっと気楽にしてほしいな」
改めてご尊顔を仰ぐと、眩しいくらい美しい人だ。
「陛下に膝枕までしていただくなど……不敬極まりない態度を取ってしまい申し訳ありません」
「まあまあ。僕が勝手に助けて、勝手に膝枕してたわけだし。具合はどう?」
「お陰様で、体調は問題ありません」
「魔力は?」
「首輪を壊していただいたので、こちらも問題なく」
「よかった」
陛下は柔らかく安堵の笑みを浮かべた。
その綺麗な顔に、象牙色の髪に、湖の水面の光がゆらゆらと揺らめいている。
穏やかな輝きを見ていると、先程までの喧騒が嘘のようだ。
「日が落ちるまでには臣下がここに拾いに来てくれる。それまでちょっと待たせるけど、まあ安心して。もうサイに危害を加えさせたりはしない」
「……どうして、そんな……」
なぜ私は面識のない東方国皇帝陛下に守られているのか。
なぜ陛下はこんなにざっくばらんで親しげに、にこにこと話しかけてくるのか。
混乱する私をよそに、陛下は空を見上げてうーん、と一人で唸っている。
「天気が良すぎるね。聖騎士がこっちに来ちゃうかも……そうだ」
陛下は唇を尖らせ、発音記号θのような息を吐いた。
それから数秒。
洞窟の外、晴天の空がどんどん暗くなっていき、数秒も置かずに雷鳴が響いた。
ザッと、森に激しい雨が降る。
「雨雲を呼んでみたよ。東方国じゃないから限定範囲、一時的でしかできないけど」
「……天候を操る魔力なんて、初めて拝見しました」
「皇帝だからね」
彼はにっこりと笑う。
私も『鶺鴒の巫女』として多少の魔力は自負しているが、それでもせめて、風を起こす程度だ。
聖騎士もこれが魔力の作用とは気づくまい。きっと高地独特の天気雨だと思うだろう。
「ほら、雨に濡れちゃうから奥に入ろう。座って一緒に積もる話しでもしようよ」
「積もる話……? あ、陛下。お待ち下さい。腰を下ろされる前に」
「ん?」
ビーーーッ。
音を立て、私はドレスの裾を割いた。
「ちょ」
陛下が変な声を出す。
私は洞窟の奥、少しでも平らな場所を探すと、そこに破いたドレスの裾をふわりと広げた。
陛下のお召し物――東方国特産、最高級の絹が傷んでしまっては大変だ。
「汚いもので申し訳ありませんが、敷布としてお使いください」
「思い切り、よすぎない? いや……うん、ありがとう」
腰を下ろして落ち着いたところで私は陛下を見た。
「……あの、陛下。失礼ながら、色々とお伺いしたいことがあるのですが……」
「いいよ。何でも聞いて」
ゆったりと足を組み、翼を広げて座する陛下はこんな状況でも宗教画のようだ。
美しさに意識を奪われつつ、私は真面目に質問をした。
「恐れながらお伺い申し上げます。――なぜ私のような、中央国の罪人を、東方国の陛下が、単身で、空を飛んで、お救いくださったのですか?」
「うん、きちんと要点がまとまってるね」
陛下はにこにこと頷く。
「まず、君の領地はかつて東方国が中央国に譲渡したクトレットラ領――東方国名鶺鴒県だ。それは知ってるよね」
「はい。私も領民も、中央国の民より東方国の方々に髪色も顔立ちも似ています」
「うん。じゃあ、その領主である君が冤罪で処刑されるのを黙って見てたら、僕の面子は?」
明快だった。
「……潰れますね」
「政治的に言うならば、そういう理由かな」
奥歯に物が挟まったような言い方だ。
政治的以外の理由があるのだろうか。
私は疑問を持ったが、とりあえず今聞く話ではないだろう。
「……どうして私の罪が冤罪だとご存知なのですか?」
「はは」
陛下の目が一瞬、ものすごく仄暗い色になった気がした。
お目通しいただき有難うございますm(_ _)m
ブクマ&評価いただけたらすごく励みになります!
もしよかったら下のクリック、よろしくお願いいたします…!