28.鶺鴒宮の創立。神を祀る「斎」の文字。
事故物件――もとい元後宮は『鶺鴒宮』と名がつくことになった。
『鶺鴒の巫女』として東方国に来て一週間がすぎ、正式な巫女御迎の儀が行われた。
ずらりと並んだ宮廷官僚達の前に出るのはとても緊張したが、中央国から付いてきてくれた侍女とは気心が知れていること、何かと雪鳴様が取り計らいをしてくれたことで気持ちも和らぎ、失敗すること無く完遂することができた。
祭儀中の陛下は『皇帝』の姿をして、遠い玉座で天使のような輪冠を纏って座していた。
玉座に広がる大きな狗鷲の翼と、真っ白な白練の衣の対比が荘厳だ。
「鶺鴒の巫女、サイ」
名前を呼ばれるその響きも、夜ごと話す陛下の声とは全く違う。
あの方は本来、私などがお話できるような相手ではない。
きちんと身分をわきまえなければと、改めて気を引き締める。
「汝に名を与えよう。東方国の汝は『鶺鴒宮・斎』とする」
サイはサイのままで、クトレットラが東方国語になった。
斎の文字は陛下が決めたものだという。
なにか意図があるのか、それともただの当て字なのかは、私には分からない。
「有難き幸せに存じます。東方国に迎えていただいたばかり、至らない事も多々あるかと思いますが、陛下、そして御国の為、鶺鴒の巫女としてご満足いただけますよう、誠心誠意を尽くして参ります」
面紗の奥、陛下が微かに微笑んだ気がする。
「斎。予をどう満足させてくれるのか、楽しみにしているよ」
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『鶺鴒宮』は皇帝そして東方国に、魔力で奉仕する陛下直属の機関と定められた。
主としては鶺鴒の巫女である私が置かれ、配属はいずれ全て女性で構成されることなる。
しかし現状ではまだ不可能なので、管理や運営に関する業務は当面、神祇官――陛下の禊祓などの公務を管轄する省庁――の官吏が代行的に務めてくれるらしい。
建物に急に命が宿ったように、広々としていた『鶺鴒宮』に机や書棚が次々と持ち込まれていく。
それを見ていると、いよいよ「動き出した」という感じがする。
「錫色ちゃん、次は箪笥一式入るので、案内お願い!」
「はい! 承知いたしました! こっちです!」
「早い早い、走らないで(笑)」
既に官吏たちから、ちゃん付けで呼ばれている錫色。
女官見習いとして、錫色は既にぱたぱたと忙しく働いてくれている。
声が大きく素直な彼女は、少女に慣れない官吏たちともすぐに打ち解け、妹のように可愛がられているようだ。
女官は他に来るのか尋ねると錫色は、
「はい! とりあえず私だけだと聞いてます!」
とシャキシャキと答えてくれた。
人件費の意味でも管理の意味でも、私は少しほっとした。
私だけが暮らす宮なのだから、できれば人手は少なくあってほしい。
「……そうは言っても、早めに女官を少しは増やさないとね……」
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今日も鶺鴒宮の整備や手続きに関して働いているうちに、あっという間にお昼になった。
お腹がすいてくる。
庭から厨房のほうへと目を向けると、侍女たちが忙しそうに働いてくれていた。
「つい一年前まで侍女務めだったから……なんだかそわそわするわ……」
私も働かなければ、と腰を上げたくなってしまうが、私の仕事は別にある。
頬をぺち、と叩いて気合を入れ、私は手続きの書類へと目を通す。『鶺鴒の巫女』として読み書きを叩き込まれていて助かった。芸は身を助ける。
鶺鴒宮では后候補ではなく純然たる「働き手」として女性が出仕している。
勿論後宮制度が廃されているため、彼女らは『妃候補』ではない、らしい。
先帝時代に後宮問題で荒れたわけだから当然だ。
その塩梅は日本の宮廷制度における女官の扱いに似ていて、和製の設定の気配を感じる。
女性陣の顔ぶれの半分は既婚者で、もう半分は現在結婚しているわけではない女性たちだ。
意外にも東方国は結婚をしない人の数が男女ともに案外多い。
貴族階級では婚姻と出産が家を繋ぐ女性の務めだ。
しかし庶民階級となると労働力として家業に従事して生涯を過ごす者が、男女問わず意外と多い。
製薬に強い国らしく乳児死亡率が低いことや家庭を持たず行商で働く次男以下の男性が多いこと、いわゆる未婚の母が多いこと、村が一つの家族として成立しているので嫡子以下の結婚の利益が低いこと、製薬業や織物など東方国の産業における女性従事者の比率の高さなど――様々な理由があるだろうが、まあそういうことらしい。
しかし私はあくまで中央国育ち。
前世の記憶を持ち出して考えても、把握できるのはこの程度だ。
鶺鴒宮の主としては、長く務めてくれる人が居てくれるのは本当に助かる。
特に、後宮があった時代を知る女性がいてくれるのは、同じ過ちを繰り返さないためにも良い相談者としてありがたいことだ。
彼女たちは婚家や実家が官僚であったり商家だったり様々だ。
これから若い女官も増えてくるから、それまでにしっかり鶺鴒宮の基盤を整えておかなければ。
「斎さま。そろそろお昼のお時間です」
「ありがとうございます。参りますね」
ちょうど声をかけられたので私は筆を置き、さっそく廊下を渡って食堂へと向かう。
鶺鴒宮の食堂は改装したてで、毎日侍女が花を活けてくれていて綺麗だ。
経費をかけず、庭に咲いた野草をいくつか寄せて活けているだけだが、それだけで部屋がぱっと華やぐ。
今日は菜の花だ。
昼鐘に合わせ、侍女たちは食事を運んでくる。
「斎さま。今日は筍の炊き込みご飯と菜の花の炒めもの、お吸い物は卵です」
「ありがとうございます。良い匂いが外まで漂っていたので楽しみにしてました」
昼食は食堂で、錫色と一緒に食べるのが通例になっていた。
「大いなる天意の元に、今日も命を繋げる事を感謝いたします――」
天へと祈りを捧げていただく。
箸を運ぶだけで、ふわりと漂う春の香りがたまらない。
「はうー、甘い卵のお吸い物、錫色大好きですー」
ほわほわとした笑顔で咀嚼する錫色をみているとこちらも癒やされる。
錫色は当面のところ制服ではなく、女学生時代の襦裙を着て働いていた。
はむはむと食べる錫色に私は訊ねる。
「東方国では、日常のお料理にお砂糖が使われるのですか?」
そういえばこの国の食事は甘いものが多い気がすると、言葉にして改めて気づく。
中央国において砂糖は高級食材だ。
全く口に出来ないとまでは言わないが、少なくとも庶民階級が口にできるものではない。
私もごくごく何度か口にしたことはあれど日常使いなんてとても無理だ。
上級階級の社交の場や王への献上品、記念日の菓子としてはふんだんに砂糖が使われた品が出ることはある。
しかし大抵の甘味は蜂蜜や、もっと別のもので対応している。
「お砂糖はそこまで珍しいものではないと思います。えっと……東方国は薬の原料を、海の向こうの別大陸から仕入れているので」
錫色は熱いお汁にはふはふしながら、私の質問に薬種問屋の娘らしい返答をした。
「別大陸……南方国でも、西方国でもない別の場所ですか?」
「はい! それは……どこかは忘れちゃいましたけど。で、その仕入を、東方国は南方国の商船を介してやっているんです。だから南方国でよくとれる砂糖がうちの国にもざくざく入りやすいのだと、父から教わりました!」
中央国と南方国は国交が途絶えている。それならば確かに、砂糖は入ってこないだろう。
「南方国はお砂糖がすごいんですよ。なんでも、お砂糖がざくざくとれる鉱山があるとか」
「お砂糖の……鉱山、ですか?」
前世の世界では砂糖は鉱山で取れるものではない。
ちょっと驚きながら、私は今食べている甘いほくほくの卵に目を落とす。
まさかこれも、鉱山で取れた砂糖。
「南方国では砂糖がとれる作物もさかんに栽培されているそうですが、それはすごく高いらしくて、あんまり私の実家でも見たことがありません」
「錫色さんのご実家でも見たことがないというくらいなら、よほどなのでしょうね……」
「でも鉱山で取れる砂糖はたくさん東方国に輸入されていますよ! 別の町はわかりませんが、ここ首都はお砂糖を使ったお菓子がいっぱいありますし!」
錫色はぱっと目を輝かせる。
「お祭りの時は甘味の出店が並びますし。お茶会や冠婚葬祭では必ず出します!」
「その常識の違いは、覚えておいたほうが良さそうですね」
東方国と中央国は、同じ大陸で言語も似ているが、文化が大きく違う。
知識としては知っていたが、実際こうして暮らしてみると想像以上のギャップがありそうだ。
魔力もこちらの国では迂闊に人前で使えないが、中央国では比較的どこでも見る技術だし。
「北都港に南方国の商船が来る時は、ちょっとしたお祭りになります! うちの店も大忙しになるんですよ」
錫色はうっとりした様子で語る。
「私も大きな船が見たくて……いつか北都港まで行ってみたいんですが、父上様に『お前は小さいから迷子になったら困る!!』と一喝されまして……一緒にも……連れて行ってくださらないんです……」
ぺしゃ、とわかりやすくしょげる錫色。
「まあまあ。いつかきっと連れて行っていただけますよ」
確かに彼女の背丈なら人混みであっという間に埋もれてしまうだろうし、彼女が好奇心のままに飛び出していかないわけもない。
止めてしまう父上様の気持ちがわかってしまう。
「そういえば、斎さま……」
「ん、どうしましたか」
彼女にしては珍しく、顔を近づけて声を潜めて話し始める。
私はお吸い物を口にしながら顔を少し近づける。
「斎さまは陛下の寵愛をうけていらっしゃるのですよね?」
――むせそうになった。
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