27.夜伽。――魔力が上がったのはそういうこと。
「……もう……無理……」
陛下は肩で息をして、寝所に突っ伏している。
私は汗を拭い、陛下に向かって頭を下げた。
「お粗末様でございました」
「……ありがと、うん…………すごかった……」
声がまだ上ずっている。髪が汗で張り付いているので、私は陛下の汗を拭った。
ぴく、と陛下の体が跳ねる。
「ん、い、いい。自分でやる」
私から手拭を受け取ったところで……陛下はあれ、という。
「こんなのあった? 持ってきたの?」
「今、魔力で生み出しました」
「……えっ?」
蕩けていた陛下の顔が変わる。
「いったい何を媒体にして、こんな……」
「これです」
私は服の内側に入れていた糸切れの一つをつまんでみせた。
陛下は目を瞠る。私の手から糸切れを受け取り手拭と交互に見やる。
「あれだけ魔力を注いでくれたのに……糸くずだけで、こんな大きくて柔らかなものを?」
「実は『鶺鴒の巫女』の秘密はもう一つ御座いまして……」
陛下の視線が私へと向く。そのまま、私は話を切り出した。
「これまで確かめる術がなかったので、ただの口伝だと思っていたのですが……陛下に二度触れさせていただき、確信を得たのでお話いたします」
「……うん。何?」
「人の営みを『天鷲神』である陛下に伝えるというのが、巫女の本来の役目です」
「そうだね」
「陛下のお肌に触れると、触れるだけ魔力の上限が上がるんです。天鷲様のお役に立つために」
「……」
陛下の目が点になった気がする。
「特に、陛下が快楽を感じられたとき、上昇が顕著で」
「……へ、へえ……そう…………」
顔は先程と同じだが、翼の先がばたばたと揺れている。
大きな翼が揺れるので風が舞い、少し旋風っぽくなる。
陛下は制御のままならない己の翼にぼふ、と布団をかぶせて押さえつけた。
「……そうだね、うん」
ようやく陛下が言葉を絞り出す。
「うん。魔力回路施術としてとても気持ちよかったよ」
「それは本当によかったです」
「魔力回路施術として、ね」
言葉が切れる。顔をそむける陛下の耳が赤い。
「あの、陛下」
「ん」
「陛下がもしご不快でなければなのですが」
私は意を決して、陛下に進言する。
「私は今後も……もしよろしければ、この『鶺鴒の巫女』の能力で、陛下を癒やしたいと思ってます。陛下に触れれば触れるほど強くなれるなら、それと比例して陛下の体をもっと強く癒やしていくことができます」
「……触れれば、触れるほど、ね……」
灰青色の双眸が私を見やる。目元が赤い。
「陛下のお体に触れるなど、私には畏れ多い行為だとは思うのですが……」
「……触られるのは、別に、嫌じゃ、ないよ」
「……そうですか?」
「まあ……」
それならよかった。私は安堵し、話を続ける。
「疲弊なさった陛下の魔力回路をこのままにしていると、お命を縮めかねません。公務や翼のために魔力の行使が必要ならば、是非私に、魔力回路を整えさせていただきたいです」
「…………そうだね」
陛下はちらりと、己の翼へと目を落とす。
両腕を広げるより大きな双翼は、施術を経て艷やかに輝いているように見えた。
「短命なのは翼を得たときから覚悟はしていた。『皇帝』になって魔力は飛躍的に増大したけれど、同時に生きているだけで、魔力が僕の命を縮めているのもわかるからね」
「陛下……」
「父も、僕に譲位してからそう長生きしなかったし……これは『皇帝』の運命だ」
翼を見ながら、陛下は少し自嘲するように笑う。そして、私をまっすぐ見つめた。
「けれど決して、早死したいわけじゃない。サイがしてくれるのなら、僕は喜んでお願いしたいかな」
「ありがとうございます……!」
花がほころぶように微笑まれると、私も嬉しくなる。
自分のやるべきことが見えてくるのは幸福だ。
「遠くない未来、陛下も后様をお迎えするでしょう。そのとき寝所に入る訳にはまいりませんし、それまでに陛下の魔力回路大改善に尽力いたします!!」
「……后、ねえ」
どこにあてるともなく低くつぶやき、陛下はため息を漏らす。
「もう既にお婿に行けないような気分にはさせられてるけどね、こっちは」
「……?」
「ううん、なんでもない。……ねえ、サイ」
陛下は言葉を切り、こちらへと向き直った。
するりと衣擦れの音を立て、私の至近距離に近づいた。
こうして傍にいると、不思議なくらい大きく感じる。翼が、わずかに包むように広がった。
「はい」
「神話で、鶺鴒ってどういう役割だったか覚えてる?」
「覚えております」
私は頷いて、話を続ける。
「創世神話では、『天鷲神』は人の営みを知りませんでした。巫女は人間として、『天鷲神』に人の営みを伝えたと言われております」
「……うん、東方国の神話でも、中央国の神話でも同じ内容だよね……」
前世の世界においても、鶺鴒は世界各地で夫婦和合を意味する鳥だった。
あまり詳しくは覚えていないが、神社か庭園かに名付けられた鶺鴒の名も、夫婦和合や円満を願う意味でつけられたものが多かったはずだ。
婚礼でも鶺鴒台という飾り物があった気がする。
――それは、この世界でも似たようなものなのだろう。
そんな事を考えているあいだに、陛下との距離が近くなっていた。
甘い陛下の香りが私を包み込む。
陛下は灰青色の眼差しで私をじっと見つめている。何か、言いたいことがあるだろうか。
「……陛下?」
翼を包み込むように広げられると、まるで逃れられないような気持ちになる。
優しく柔らかな人だとは知っているけれど、こうしていると狗鷲の翼もあいまって、まるで猛禽のように見えた。
「サイ。君は……君が、僕の后になりたいとは……思わないの?」
綺麗な顔にじっと見つめられて、私は顔を伏せる。
真剣な眼差しでこちらを見る陛下に、私は大変申し訳なくなる。
「陛下」
「なに?」
「私は婚約者に処刑されかけたような女です。容色もこの通り、色気も何もありません」
「…………そんなこと、ないとは思うけど……」
「勿体ないお言葉恐縮です。しかし身の程はわきまえております。……元婚約者とは手を繋いだこともありませんし……それどころか、何度も、私の女としての魅力の至らなさを、常々叱られてきました」
「……そう」
陛下の眼差しが一瞬険しくなった気がするが、私は話を続ける。
「なので……私は、神話の『鶺鴒の巫女』のように……夫婦のお話など、陛下と未来のお后様との関係についてのお手伝いは一切できません……」
ぎゅっと、膝に乗せた拳を握りしめる。
「しかし!」
そして、至近距離の陛下の顔を見上げた。
「その代わり、私は陛下のために尽くします。たくさん気持ちよくなっていただいて、そして私も魔力を増大させ、そしてどんどん、陛下をとろとろにしてさしあげます!」
「言い方、言い方」
陛下は深くため息をついて……そして、眉尻を下げてにっこり笑った。
「ありがとね。サイの本気、伝わったよ」
陛下の翼がぱっと広がる。空気がふわりと広がり、帳が揺れて幻想的だ。
「じゃあ、これからもよろしくね、サイ。……うん、お互いに、これは多分悪くない関係だと思うから」
「私とふたりきりになるのが不都合でしたら、見張りの方を置いていただいてもかまいません」
「絶対嫌だ」
――こうして私は定期的に、陛下の寝所で魔力回路施術をすることが決まった。
『鶺鴒の巫女』である私ならば、たびたび寝所に入ろうとも未来の正妃に誤解されることもないだろう。
「ふふ。じゃあこれから……サイの事、たびたび夜伽に呼ぶからね?」
「陛下。夜伽という呼び方では、いささか問題がございませんでしょうか」
「どうして?」
「はい。……尊き方の寵愛を受ける寵姫の事を、夜伽と呼ぶこともございます。后を迎えられる前の陛下が私を夜伽という名目で夜毎お呼び出しになられますと、そちらの意味で捉える方もでるのではないでしょうか」
「…………」
陛下はなぜか、呆れるような、呆然とするような顔をした。
そして――深く、深く、ため息をつく。
「陛下……?」
「……逆にきかせて、サイ。サイは、寵愛されている寵姫と思われるのは、嫌?」
「え、ええと……」
私は混乱する。
私がどう思っているかという話ではなく、実際の誤解についての問題だと思ったからだ。
「私は陛下とあくまで伽をする相手として、そして施術役として呼ばれていると承知しておりますが……」
「じゃあ、それでいいじゃない」
「え、あの」
「決まりね♡」
話は一方的に打ち切られ――陛下は問答無用で、私を夜伽に呼ぶと決めた。
東方国に来て初めて得た、私の当面のお勤め。
必ず陛下をとろとろに癒やしてみせると、私は握りこぶしを握り覚悟を誓ったのだった。
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