25.夜伽。――とろとろにしてほしいのですか、皇帝陛下。
「え、いや、あの……、私はそんな。あの、ご説明するために来たのですし、お召し上がりになるのは陛下だけで……!」
「夜伽」
陛下は思い出させるように、その単語を口にした。
「伽をしにきてくれたんでしょ? それなら多少口にするものがあってもいいと思うよ」
「……あの、……は、はい……」
そう言われてしまえば私も強く拒絶はできない。
「せめてお水で……お願いします……」
「ん。じゃあ僕も同じで」
「陛下は遠慮なさらず、お口にされてください!」
「ん。他にも頼みたいことがあるから、今は夜食もお酒もいいかな」
「……さようでございます……か……?」
私は困惑していた。陛下はなぜ、突然食事の話をしたのだろう。
――と一瞬不思議に思った直後、ハッと気づく。
私が話しすぎて声が枯れないように、気遣ってくださったのだ。
陛下は従者を呼び、飲み物を用意させる。
ほどなくして春椿を添えた盆が届けられたので、私は椀に水を注いで先に自分が一口毒味をし、そして陛下へと渡す。
水は甘い花の香り付けがされていた。
元々用意してあったのかもしれない。
「喉渇いてたんだね」
「申し訳ありません……」
「自分で気づいてないの、可愛いね」
私が水を呑んでいるのを見ると、陛下は満足した様子で目を細め――質問を続けた。
「それで……どうやって能力を発動するの? 生まれつき? 年齢? それとも訓練で?」
「個人差がありますが、私は七歳頃に発動しました。鶺鴒の巫女の第一継承者として血が認めた娘に発動します」
陛下はぱっと顔を明るくする。
「へえ、そうなの。僕と同じだ。僕も『皇太子』として覚醒してから翼を得たから」
「生まれつきではないのですか?」
「そうそう。翼が生えたとき、痛かったなあ」
陛下はふっと笑顔を消し、私を見つめた。
「……陛下?」
なにか不快だっただろうか。
陛下は少しじっと私を見つめた後、首を振って小さく笑ってみせた。
「なんでもないよ」
その表情は柔らかいものの、なにかを堪えるような顔に見えたのは私の気のせいか。
「いつか……その時のお礼も言えるといいな」
「お礼……ですか?」
「うん、お礼」
「……もしかして……!」
私が忘れているらしい、過去の記憶に関係しているのだろうか?
身を乗り出しかけた私を陛下は眼差しで柔く制する。
「その話はまた今度、ね」
「はい……」
今は話す機会ではないのだろう。
陛下は己の広げた翼を見ながら言葉を続ける。
「先帝が『天鷲神』ーー皇帝の(かみさま)としての加護を失うとき、僕の体に眠る『天鷲神』が目覚めるんだ。そして皇帝になる。死ぬまで、翼は消えることはない」
寝台に広がる狗鷲の翼。
大きくて綺麗でーー文字通り、陛下の背負う皇帝の重責、そのものだ。
陛下はこれを、後天的に扱っているのだ。
「大変ですね……」
「悪いことばかりではないよ。この翼があったお陰で、サイを守れたのだから。僕としてはよかったかな」
確かに、と思う。
陛下は中央国の首都から飛んで私を助け出してくださったのだ。
「……陛下」
私は一度、寝台から降りる。そして緞通に膝を付き、改めて深く頭を下げた。
「陛下。重ねてのお礼となりますが……私を助けていただき本当にありがとうございました。私は『鶺鴒の巫女』として東方国、陛下のお力になれるよう今後も研鑽を続けて参ります」
陛下は静かに見下ろし、私の宣言に耳を傾けている。
「一娘相伝の秘密についてお話しいたしましたのも、今後陛下の為に、私の持てる能力全てを捧げる所存でした。……私で何かお力になれることがありましたら、いつでもお申し付けください」
「……いいの?『全てを捧げる』なんて言っちゃって」
私は頭を下げたまま答える。
「サイ・クトレットラはあの日、死にました。今ここにある命は全て陛下のものです」
「……」
「先祖伝来の領地も財産も失った天涯孤独の身。奇しくも天鷲神の末裔である陛下に救っていただいた奇跡……きっと『鶺鴒の巫女』の血が陛下に再び仕えることを天命としているのでしょう。どうか、陛下の思いのままに」
「……そう」
しばらく緞通に伏せていると、陛下はしばらくの沈黙のち、私に声をかけた。
「じゃあ、早速命令しようか。……頭をあげて」
「……はい」
緊張しながら頭を上げると、次は手を差し伸べられた。
「手を取って」
「はい」
「元の場所に座って」
「……はい」
「そこに、寝そべって?」
「失礼いたします」
指で指し示された敷布の上に体を横たえる。
陛下は目を丸くして見下ろす。
一瞬固まったところでーーぎしりと、私に覆い被さってくる。
翼が音もなく広がり、天井を覆う。
ーーそして。
「……っふふ、ふふふふふふふ、もう……」
陛下は覆い被さってしばらく真面目な顔をしていたがーー耐えきれないといった風に声をあげて笑い始めた。
「陛下……?」
「サイのそれはわざとなの? 無防備なの?」
「……?」
身を起こした陛下に尋ねられ、首を傾げる。
言われるがままに粛々と従ったわけだが、陛下としては面白いらしい。まだ笑っている。
「起きて」
「?……はい……」
「もう。そこまで気にしなくていいって言ったでしょう。僕が悪い皇帝だったらどうするの」
「陛下が悪人なんてことは、まさか…」
「うん、ごめん。……ふふ、そういうとこ好きだよ」
陛下は笑い泣きの目尻をぬぐい、楽しそうに呼吸を整える。
よくわからないが、楽しそうなので何よりだ。
「あのね、サイ」
「はい」
「サイが『鶺鴒の巫女』として、無理のない範囲で力を貸してくれたり、仕事をしてくれたら勿論有り難いけれど、僕はそれ以上は求めないよ」
求めない。
その意味がよくわからない。
これまで婚約者にも、聖騎士団にも、婚家にも、有益な自分であろうと努力してきた。
だから今回助けていただいた陛下に対しても、自分の持てるもの全てを捧げるつもりだった。
魔力とか、能力とか、そういう私の持っている僅かな価値ーーその、全てを。
それなのに陛下は、笑って、「無理のない範囲以上は求めない」という。
初めての対応に、どんな顔をすればいいのか、どんな風に受け止めればいいのかわからない。
「……それでは私にばかり旨味がありすぎて、なんだか申し訳ないです」
「たまにはうまい話があってもいいじゃない」
不意に陛下は灰青色の目を細め、流し目で私に問う。
「それとも、僕に悪用して欲しいの? 君の能力を」
「……私が『善意』でできるようにうまく扱っていただけましたら、悪用していただいても構いません」
「危なっかしいこと言うなあ、ほんと」
呆れた様子で、陛下は肩をすくめる。
「何度か言ったけど、『鶺鴒の巫女』を東方国に取り戻したというだけでも、僕は評価してもらえている。すごいことなんだよ?」
「そんな価値は……私には……」
「あ・る・の」
私の自己卑下を断ち切るように、陛下は一言一言強調して言い切ってくる。
「お、恐れ入ります」
「そう。だから……サイにもし、何かを命じるとすれば……」
「はい」
「元気に幸せに暮らしてほしいってことくらいかな」
「元気に幸せに……ですか」
「難しい?」
逆に難しいと思ってしまう。
そもそも「元気で幸せに暮らす」がよくわからないのだ。
私は思わず考え込んでしまう。
「……人の役に立つために生きるのが、『鶺鴒の巫女』としての役目だと思ってきたので……」
「まあ、ゆっくり分かってくれたらいいよ」
「申し訳ありません……」
「とにかく『鶺鴒の巫女』としては既に役に立ってるからね。だから僕は、次はサイに幸せになってほしいの」
「……かしこまりました。しかしもし何か私がご入用でしたら、遠慮なくご利用ください。私の命は陛下のものです」
スッと、陛下の目が細くなる。
普段は柔らかい表情をしているのに、陛下は時折、猛禽のような目をすることがある。
「ふふ。そんなに利用してほしいならお願いしたいことはあるかな。……そのために今夜、この寝室に呼んだのだけれど」
「伽以外に、……ですか?」
「サイ。寝所でできることは、伽以外にもあるよ」
「……え、……」
翼がふわりと広がり、私に翼の影が降りる。
陛下の体が近づいて、覗き込むように顔が近づいてくる。
身動ぎすれば、ぎしり、と寝台がきしむ。
先程のように、また体の距離が高くなる。
「ねえ、サイ」
陛下は甘えるような声音で私の名を呼び、自らの夜着の襟に手をかけて。
私の前ではらりと夜着を肩から下ろし――こちらへ背中を差し出した。
「背中、お願いしていい? ――翼が重いんだ」
肩越しに、少しためらいがちに陛下は言う。
こちらへと差し出すかのように翼が私の前に大きく広がった。
私は確認のため、陛下に問いかけた。
「……魔力施術ですね?」
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