23.夜伽。――陛下は帳の奥で鶺鴒を待つ。
――夜。
燈明を片手に、雪鳴様は太鼓橋をひとり渡ってきた。
月と燈明の明かりをきらきら反射させる堀の水面に、漢服に似た群青の衣。
長い髪を揺らして来るその姿は、まさに美丈夫の一言だ。
「行くぞ」
の一言で先に進む彼の二歩ほど後ろをついて、夜の北宮――陛下の寝所へと向かう。
「ご足労いただき恐縮です。ここ、城よりずっと遠いですのに」
「構わぬ」
雪鳴様は一言で返す。
「直属部隊は交代で夜の晩をしているが、今日が私だったという、それだけだ」
「ありがとうございます」
毛先を結んだ黒髪が背中でゆらゆらと揺れるのを見ながら、私は雪鳴様のご配慮をありがたく思った。
言葉では淡白な素振りながらも、細やかな気遣いを欠かさない方だ。
元後宮の案内も、夕方の夜伽に関する連絡も、今こうして迎えに来るのも。
『左翼官』の彼ではなく、他の部下でもよかったはず。
「ここからは玉砂利になる。足元に気をつけろ」
「ありがとうございます」
こういうときも、彼は振り向かずに声をかけてくる。
私の足元まで気遣ってくれる所も、すたすたと先に進むようでありながら、意識的にこちらの歩に合わせてくれている所も紳士の振る舞いだ。
陛下直属の武官ともなれば、このような気遣いもきっと当然の行動なのだろう。
さすがだな、と思う。
「あの、雪鳴様」
「何だ」
「……もしかしてご結婚されてらっしゃいますか?」
雪鳴様が初めて足を止め、そして驚いた顔をして私を振り返る。
「なぜそう思った」
「配慮の目の付け所が、女性を連れて歩くのに慣れていらっしゃる様子でしたので……」
「……よく見ているな」
目元を細めてわずかに笑みを浮かべ、雪鳴様は先へ進む。
「妻と、男女一人ずつ子がいる」
「そうなのですね。……なんだか、少し腑に落ちました」
「……所帯じみているか、そんなに」
「あ、いえ、そういう訳では」
「冗談だ」
声がどことなく明るいと思う。
見た目はちょっと厳しそうだけれども、案外話しやすい人なのかもしれない。
「――わあ」
私は宮廷を歩きながら、感嘆のため息をついた。
北宮だけでなく宮廷全体が、明るい。
軒に吊るされた燈明が常に輝き、まるで夜間点灯のようだ。
火は、危なくないのだろうか。
「城内は燈明が、多いのですね」
「陛下の雷だ」
雪鳴様は思わぬ返事を返してきた。
「陛下に雷の魔力を竹炭に籠めていただき、それを硝子で覆って燈明としている。破壊された場合は魔力を失うので、延焼することもない。まれに経年劣化で発光が消えるが、その時は改めて陛下が修復なさる」
陛下の雷を竹炭に通電させて、白熱球と同じ構造のものを作っているということらしい。
雪鳴様に置いていかれないように、ほんの少しだけ立ち止まり、夜景を見渡す。
「……陛下の輝きなのですね、これは」
夜空の星が散っているような城内も、陛下の『皇帝』としての力を示す象徴なのだ。
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北宮は元後宮より広く、天井の高い作りをしていた。
足元から立ち上るように甘い麝香の香りが漂い、廊下には等間隔に見張りの武官が像のように立っている。
長い廊下を何度か曲がった先に、豪奢な帳の降りた扉が現れる。
雪鳴様はぴたりと止まり、黙って、目線で私に入るように促す。
「……陛下。サイでございます」
絹の帳が幾重にも重なって透ける先に、天蓋つきの寝台がある。
私は一枚一枚、めくるように先へ進んでいく。
ぱち、ぱち、と音を成す燈明が部屋のあちこちで、間接照明のように柔らかく光る。
透けた絹の先、真っ白な敷布が重ねられたその上に、狗鷲の翼が飾りのように大きく広がっているのが見えた。
最後の絹の帳を抜けると、ふわ、と中から甘い陛下の匂いが漂った。
「サイ。こちらへ」
寝台の枕元に肘をついて身を委ね、陛下がしどけなく寝そべっていた。白く薄い夜着をまた幾重にも重ね、耳飾りなど装飾品を外してくつろいでいる様子だった。
身長より大きな翼が、歓迎するように、風を巻き込んで動く。
「おいで」
陛下は甘くかすれた声で、寝台をぽんぽん、と叩く。
一瞬思考が止まる。
「陛下……そこは流石に、気が咎めます」
「どうして?」
どうして、と言われると確かに命令を拒否する理由はない。
「夜伽、でしょう。遠かったら、伽ができないよ」
「……失礼します」
陛下の言葉には逆らえない。
私は帳をめくるようにして寝台へと座る。
「サイ」
近づいた私に、陛下の灰青色の相貌が優しげに細くなる。
帳のなかに、体温の熱が滞留している。陛下の体温を、いっそう間近で感じるようだ。
「今日は何かと疲れたでしょ?」
「とんでもございません。刺激的で、あっという間に終わった楽しい一日でした」
「そう。……よかった」
陛下は柔らかく目を細める。
「何か困りごとがあったら、いつでも言うんだよ」
近くで見ると、柔和な顔立ちがより魅力的に見える。
ついうっとりと眺めそうになったので、私は背筋を伸ばし気を引き締める。
「陛下は、ここにこうしてよく臣下を呼ばれるのですか?」
「まさか」
この距離感が東方国の常識なのかと一瞬考えそうになったが、やはり違うらしい。
陛下は楽しそうにして、肘置きにした大きな枕の位置を変える。機嫌がよさそうだ。
「では、どうして今夜は私を」
「うん。人払いをして話したいことがあったのと――頼みたいことがあったから」
唇に指をあて、陛下はささやく。
「まずそうだね、『鶺鴒の巫女』って結局どういう能力を持っているのか教えてほしいな」
「能力、ですか」
「鶺鴒県時代の史料にも、『鶺鴒の巫女』の固有能力の記録はない。よほど綿密に隠してきたのだろうね」
ここに呼び出された理由がわかった。
東方国に入国してすぐに、人目を気にせず話をできるのが、寝所だったからだろう。
なるほど、夜伽。
寝物語として、周りに聞かれてはならない話をするにはぴったりの呼び出し方だ。
「これは、僕の予想なのだけど」
陛下は足を組み、くつろいだ様子で話し始める。
「僕を癒やしてくれた能力……『言葉』で対象の魔力抵抗をなくし、最大効率で対象に魔力の影響を与える――それが、『鶺鴒の巫女』の固有能力だよね」
「はい。陛下がおっしゃるとおりです。……子細、お話させていただきます」
陛下の問いかけに、私は一礼して説明を始めた。
「私の持つ『鶺鴒の巫女』の『言葉』は、人体の持つ魔法抵抗を奪います。……簡単に言えば、私が100の力で魔力を発動させたら、そのまま抵抗なく、100の力で相手に作用するのです」
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