22.夜伽の命
――大使館であの日暴れた元婚約者の言葉が頭をよぎる。
『さらっていったときのあの翼!!!! お前も見ただろう、あれが皇帝の本性だ。正真正銘の人間である中央国陛下の元に人が集まり、鳥獣の末裔らが東方に住んで中央国を守護した。それが創世神話にも書かれた正当な歴史であり、真実だ。巫女のくせに、それくらいも覚えていないのか!!!!』
思い出すだけでも腹が焼けるような怒りが、ぞくりと湧き上がってくる。
私を冤罪で陥れて、私の言葉を信じてくれなかっただけでなく。
よりによって東方国の大使館で、あの言葉を口にしたあの男への、言いようのない怒り。
私自身が貶められたときには、一度も感じたことのない『怒り』だった。
(……ああ、そうなのね、私は)
私は自分の怒りに向き合い、ふと気づく。
(怒るということを、久しぶりに思い出したんだわ……)
「あの、サイ様?」
錫色が伺うような声を出す。
はっと我に返ると、大きな目でじっと私の様子を伺っているようだった。
「なにか錫色、悪いこと申し上げちゃいましたか?」
「すみません、違うんです」
私は心配をかけてしまった錫色に首を振り、笑う。
「ちょっと違うことを思い出してしまっただけで……」
「そうなんですね! よかったー!!」
錫色はけろりとしてにっこりと笑う。屈託のない子で助かる。
「サイ様のお背中、綺麗ですね」
「そうですか……?」
自分では見られない場所なので、よくわからない。
「……貴き方は翼を持っていると、東方国では言い伝えられています」
錫色はとても好意的に、まっすぐ私の背中を見つめていた。
こうして大人びた表情をすると、彼女の整った顔立ちが急に際立つ。唇が小さくて瞳が大きく、無垢な面立ちは子猫みたいだ。
「サイ様にお会いするまで、ずっと……今を生きる『鶺鴒の巫女』様も、きっと美しい鶺鴒の翼を持っている方なんだろうなと思ってました」
「生えてなくてすみません。本当に、ただの人間なんですよ」
「いえ! とんでもないです!」
ふにゃり、と美少女は微笑む。湯にあたってきたのか、少し顔が赤い。
「本当のところ、ちょっとホッとしました。お翼生えてたら、どうやって背中流せばいいのか分からなかったと思うので。こうやってお風呂までいただいて、錫色光栄です!!!」
「……そうですか。期待はずれじゃなくてよかったです」
あまりに率直な好意の表現に、私も頬が緩むのを感じる。
あまり悩まずに、ありがたくこの好意を受け止めよう。
「ありがとう、錫色さん。私も何かと不慣れですが、これから宜しくお願いしますね」
ぎこちなく微笑み返せば、錫色の顔が喜色でいっぱいになる。犬なら尻尾をちぎれんばかりに振っていたことだろう。
「はい! 勿論です!!!」
ざばりと立ち上がり、錫色は元気に宣言した――
そのとき。
錫色の足元がふらりと揺れる。顔だけでなく、全身が真っ赤だ。
「あ」
気がついたときには遅かった。
「す、錫色さん――!!!!!」
錫色が石に向かって倒れる前に、私は強化をかけた腕で、慌てて体を受け止めた。
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「サイ様~、申し訳ありません……!!」
「いえいえ。緊張していたのでしょう、大事なくてよかったです」
私は侍女と一緒に、錫色をぱたぱたと仰いでいた。
湯にのぼせた錫色は、風通しの良い中庭の椅子に座ってぐったりとしている。
昼に掃除をしてもらったおかげで、庭は気持ちのよい夕暮れの風が吹き抜けていた。
「まったく、お前というやつは……」
「ふにゃ~……」
隣で呆れているのは、錫色の叔父上様だ。大商家の竜花の家で唯一、試験を通り官吏の職についている人らしい。叔父とはいっても十三歳の錫色の叔父なので、年齢は二十歳すぎに見える。
太鼓橋まで迎えに来た彼を中庭に案内すると、ふにゃふにゃになった姪を見て頭を抱えていた。
「申し訳ございません、『鶺鴒の巫女』様。なんとお詫びをすればよいのか」
膝を折って謝罪する竜花氏に、私は慌てて立つように言う。
「とんでもありません。中央国育ちの私が慣れない入浴をしていたので、姪御さんは気遣って傍にいてくれていたのです。どうか責めないでさしあげてください」
「『鶺鴒の巫女』様、うちのアホになんとご寛大な…………ありがとうございます」
隣で錫色が眼差しを輝かせて見つめているのを感じる。
実際、ずっと緊張していた錫色を配慮できなかったのは私の落ち度だ。
「これから長いお付き合いになりますし、私も東方国の文化に慣れていきます。錫色さんもこれから、よろしくお願いしますね」
「はい……!!」
バッと体を起こして返事をしようとする錫色。
「あ、そんな急に体を起こすと……」
「はっ! ……ふにゃ……」
案の定また、ふにゃりと倒れ込んだ。
竜花氏は頭を抱え、深くため息をついた。
「本当に申し訳ないです、『鶺鴒の巫女』様……アホだからお前には女官は無理だと一族で言っていたんですが……こいつの父親が『何事も挑戦するのが大事である!!!!』ってこう、鶴の一声で決めてしまって……」
「とんでもないです。錫色さんが一番最初の女官さんでよかったです」
申し訳無さそうにする竜花氏に、私は首を横に振る。
「一生懸命で良い子ですね」
「こいつはアホなんですが……学問はできるしやる気はあるしよく働くし、悪い子じゃないんですよ……」
「はい、今日一日だけでも、姪子さんに東方国の文化についてたくさん教えてもらいました」
「そうですか……?」
竜花氏は謙遜するような言い方をしながらも、姪っ子が褒められて安心したような顔を見せている。私は改めて彼に挨拶をした。
「私も何かと不慣れな事が多いですが、色々と教えていただけると嬉しいです、竜花様」
「は、はい。勿論です!」
錫色はぐったりと横になったまま、必死ににやけ顔をごまかそうとしているようだった。
(可愛い子だなあ)
良い子が女官見習いとして、入ってきてくれたと思う。
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「それではサイ様、また明日宜しくおねがいします!」
「ばか、前向け、前!」
錫色は叔父に手を引っ張られながら帰っていく。
「温かな家族っていいものですね……」
私は温かい気持ちで二人の背中を見送り、不意に空を見上げ――空がすっかり暮れているのに気づいた。
「そろそろ、色々片付けて寝ることを考えないと」
太鼓橋から元後宮へと戻ろうとしたとき、
「サイ殿」
ここ数日ですっかり聞き慣れた、低い声。
振り返ると、先程まで錫色がいた太鼓橋に雪鳴様がひとり、燈明を片手に佇んでいた。
顔が燈明に煌々と照らされ、硬質な青の鋭い眼差しが冴え冴えと光る。
かぐや姫のように長い黒髪が、堀から流れてくる風でたなびいて、まるで夜闇を切り取った短冊のようだ。
――急に、場の空気が変わった。
「雪鳴様。いかがされましたか」
「陛下が今夜、貴方をお呼びだ」
どきりとする。
「陛下が。……今夜、ですか……?」
雪鳴様は頷く。
「『鶺鴒の巫女』に夜伽をご所望だ」
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