21.温泉と錫色
「お風呂、どんなところでしょうか?」
「実は私も初めてです。なので、錫色さんについてきて欲しくて」
「承知いたしました! やったー!」
うきうきと跳ねるようについてくる錫色と一緒に、私はお風呂へと向かう。
正妃の部屋のそばから伸びる石畳、その先にある離れの湯殿。窓がないそこは中に入ると石造りの浴場だった。
外から見ると、城の位置する丘陵地から見渡す景色が素晴らしい。遠くにはうっすら、海の様子が見えた。
「綺麗……」
浴場に入ればかけ流しの湯はこんこんと湧き出し、手に掬うととろりとした湯触りがする。透度も高く最高品質の湯に間違いない。
顔をあげると、そこには檜の壁がある。
先程までの美しい景色が隠れてしまっているのが勿体ない。
「そうだわ」
私は浴室の壁に手をついて、魔力をそこに注ぐ。
ぱちぱちと静電気が弾け、壁が一気に――透けた。
「サイ様〜!錫色もまいりま キャーーー!!」
後ろからついてきた錫色が、丸見えの光景にギャーと声を上げる。
「どういうことですか!? 外から見え放題です!!! 破廉恥です!」
「落ち着いて、落ち着いて錫色さん」
慌てる錫色に私は外を指す。
「一度ここから出て、中を覗いてみてください」
「はい!」
風のごとく駆けていく錫色。
しばらくして、露天の光景のなかに、外でキョロキョロとする錫色が入り込んできた。こちらから手を振っても彼女は気づかない。
戻ってきた錫色は興奮気味に、
「外から見ても、窓がありません!!!!」
と、叫ぶ。
「どういう作りなんでしょうか!? 魔力でしょうか!?」
「そうです。錫色さん、こちらに来てください」
私は裸足になり、浴室へと入って壁に手をのばした――ぺとり、と壁の手触り。
開放的な露天風呂に見えるが、しっかりとそこには壁がある。
錫色は透明な壁に手をつき、不思議そうな顔をする。
「あれ? 壁がありますね? あれあれ?」
「外の様子が、中から一方的に透けて見えるようにしてみました。……せっかくの、美しい景色なので。一緒に楽しみませんか?」
「すごい……」
彼女は大きな目を興奮で見開いて、壁に映る外の光景をみていた。
「魔力って、こういうことができるのですね……」
「この国では、あまり魔力を使ったものを見る機会はないのですか?」
「はい」
ぽかんとしたまま、錫色は頷く。
「あ、でも広場とか道路の燈明は魔力ですし、冬の雪下ろしとか、そういうのに魔力を使った特別な道具が使われているのは見ます!」
公共のものには積極的に魔力が導入されているが、一般的な個人の生活では見る機会がないということらしい。中央では個人がほいほいと魔力を使う分、公共事業にはほとんど魔力が導入されない。魔力はあくまで個々人の能力なのだ。
東方国においては魔力を持つ人が少ない分、持つ人は公共の為に使う事を求められるのだろう。
(……普段は、魔力を使うところはあまり見せないほうがいいかもしれないわね)
ゆっくり、この国の常識を学んで行こう。私は思いながら一旦浴室から出て、まだ壁を撫でながら放心している錫色を振り返った。
「錫色さん。早速お風呂はいっちゃいましょう」
「はい!!!」
子犬のように、錫色は元気よくついてきた。
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日が昇っているうちからの温泉は格別だった。
「サイ様! お背中流します!!!!」
「ありがとう。ではお願いします」
「はい!! こんな感じでよろしいでしょうか!!」
「ひゃ、えっと、っ、……いいです。錫色さん、やっぱり、私が自分でやります」
「あっ!! 申し訳ありません、下手くそで……!」
「いえ。錫色さんが悪いのではなくて……私が、人に触れられ慣れてないんです。私が触れることは平気なんですが」
「えっ」
長い髪をくるくると結い上げた錫色がきょとんとした。
手には、石鹸であわあわにした晒を持っている。
――余談だが。
東方国でも前世の衛生環境と似ていて、とてもありがたい。清潔感を重要視する女性向けシナリオの世界に転生してよかったと、衛生面でも健康面でも心から感謝した。
前世の記憶とはいえ、一度「毎日風呂に入って体を洗い、清潔な服を身にまとう」日々の記憶を取り戻してしまうと知らない頃にはもう戻れない。
特に東方国は和に近い世界なだけあって、衛生感覚が前世の肌感覚に馴染んだ。
「『鶺鴒の巫女』様とあろう方が、侍女をつけずに湯浴みしてらっしゃったのですか?」
「そんなものですよ」
私は苦笑う。
「私は錫色さんが思われているより、ずっと普通の暮らしをしてきました」
「そうなんですね。意外です……ああ!! でも、そうですよね!」
言いながら、錫色の表情がぱっと得心がいった!という顔をする。
「巫女様に触れるのって遠慮しちゃいますもんね、みんな!!」
「うーん、そういうことではなくて」
どちらかというと、私が背中を流すほうだった。
――とは、言わないほうがいいだろう。
錫色と話していると、この国でどれだけ『鶺鴒の巫女』が大層なものとして扱われているのかと驚く。中央国では『鶺鴒の巫女』など、「古いが胡散臭い田舎領主一族」という扱いだった。しかもその古さを尊重してくれるのは学者や、信仰心の深いごく一部だけ。
民に大歓声を受けていた、陛下の姿を思い出す。
あの陛下が尊重してくれているという後ろ盾に、私は今後も助けられるのだろう。しっかりしないと。
一緒に湯に浸かると、ふにゃあ、と言わんばかりに錫色が溶けた。
「きもちぃいです~」
湯は少し熱めで心地よい。夕日が傾いて染まっていく景色を見ながら入る温泉は格別だった。ずっと張っていた気持ちがほぐれていくのを感じる。
ほっと息を吐いたとき、隣の錫色がきらきらとした瞳で、こちらをじっと見ているのに気付いた。
「どうしましたか?」
「はい! 父上は冗談を言っていたのだなと思ってました!」
「とは?」
私が首をかしげて見せると、彼女は溌剌と続ける。
「父上が『鶺鴒の巫女』様には陛下と同じように翼が生えていらっしゃるーとか、なんとか色々言ってたんですよー」
「……そうなんですか」
「鶺鴒の翼は、生えてらっしゃらないんですね」
――あの鳥獣の国。
元婚約者の罵倒を思い出してどきりとする。
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