19.陛下、気持ちよかったんでしょうか。
学生たちが消えた食堂は、がらんとして広々としていた。
「女性に食事を出すのは後宮ぶりですよ。よろしくお願いしますね」
料理人が厨から、私にわざわざ声をかけてくれた。
頂いたのは香草を刻んだ炒飯と魚出汁で取った野菜スープで、ここでもしっかりと焙茶が出された。
パンやチーズがメインの中央とは趣が違う、優しい味の食事だ。
広々とした食堂の隅で食べていると、なんだか特別な気持ちになって少し楽しくなる。
厨房までお礼に向かうと、料理人は恐縮した。
「美味しかったです。ありがとうございます」
「それはよかった。中央の料理を知らないから、どんなのを作れば喜んでいただけるか不安だったんですよ」
「もしかして、私のためにわざわざ?」
「勿論です、勿論です。『鶺鴒の巫女』様に、学生たちと同じものなんて」
「……私も、少し厨房を覗いても構いませんか?」
興味があったので、私は厨房を案内してもらった。
「『鶺鴒の巫女』様にお見せできるようなものではないのですが」
そこには見たことのない調理器具から、用途のわかる器具まで清潔に整頓されていた。
衛生管理は中央国より徹底しているように思う。
おそらく、新鮮な食材を使う機会が多いからだろう。
保存食メインの厨房より、生鮮食品を扱う厨房の方が衛生管理に過敏なのは当然だ。
ふと、茶葉が大量に捨てられているのが目にとまる。
学生のぶんだけ消費されているので、随分な量だ。
「これはどうなさるのですか?」
「菜園の肥料にいたしますよ」
「……もし可能でしたら、こちらいただけますか?」
「こんなもので宜しいのですか?」
「ええ。ちょうど欲しかったんです」
私は茶葉を籠に一抱え受け取り、後宮へと戻る。
中庭を掃除してくれていた学生たちの姿はもうなかった。
「とりあえず回廊と、今夜寝る部屋だけでも臭い取りとお清めをしましょう……」
ちょうど太鼓橋のところに、頼んでいた岩塩が壺に入って置かれていた。
私は茶葉の籠に砕いた岩塩を入れ、手のひらをあてて数秒、魔力をあてる。
香りを強くして脱臭作用を強化する。生き物相手ではなく、無機物相手なら簡単だ。
きりの良いところで止めて、匂いを確かめる。
「……あれ?」
想像よりも遥かに香ばしくなった。
「魔力入れすぎたかな……」
入れすぎに越したことはない。私は茶葉を回廊にぐるりと一周撒き散らす。
空き部屋も覗き込んで、「あやしい」と思う部屋には塩を多めに。
緞通の裏や鏡の裏に貼ってある、謎の御札は取り外しておいた。
不気味なだけで、効果はまったくない。
これから訪れる女官や侍女が怖がるのは避けたい。
彼女たちが揃うまでに、事故物件の印象を拭うのが当面の仕事だ。
一通り撒き終わった後に掃除道具入れを覗く。
ちょうど雑巾と箒があったので、二つを掛け合わせ魔力をかけ、モップを作る。
「……ん?」
生み出したモップを手に取り、私はあちこち眺める。
想像より、随分とがっしりした立派なモップができてしまった。
「もしかして」
用具入れの隅に落ちていた木片と糸くずを手にとり、私は再び魔力を込める。
ぽん、と乾いた音を立てて同じモップがもう一本完成した。
「……」
木くずと糸くずで、全く同じものを作ってしまった。ただ合体させてモップの形にするだけではなく、形成に足りない部分を増やしてしまった。
私は確信をもって、己の手のひらを見つめる。
「やっぱり魔力、上がってる」
上がった理由に心当たりは一応、ある。
「……陛下、そんなに気持ちよかったんですか」
夕日が顔に当たって、我に返る。
いつまでも感慨に浸っていては陽が落ちてしまう。
私はモップ2本を更に合体させて横幅の長いT字モップを作成、さっそく掃除にとりかかった。
魔力をかけながら掃除をしたいので、魔力を見慣れていない東方国の侍女に任せる訳には行かない。見つからないうちに、さっさと済ませてしまおう。
きゅ、きゅ、とモップで茶葉を集めるように床を磨いていくと、屋敷に籠もった空気が変わっていく。
『なんとなく嫌な』物件は大抵、場の魔力と、人の思念が絡み合って澱んでいるのが原因だ。
魔力で芳香を強めた茶葉は、元空き家独特の匂いをすっきりと変える。
そして一緒に混ぜた岩塩で簡易的なお祓いをして、魔力の滞りをほぐしていった。
今後の為にカビ予防の魔力も込めたので、雨の季節も怖くない。
「――ふう、」
私は開始地点に戻り、軽く汗ばんだ額を拭った。
あちこちの部屋を改めて確かめながら、私は今後欲しい設備を想像する。
「広いから薬置き場や書斎、作業室もあると助かるわね。聖騎士団では隅っこしか使わせてもらえなかったから……どれくらい、原料分けてもらえるかしら」
考え始めるとだんだん楽しくなってきた。
焼却処分された家には古い本と製薬の材料、その他『鶺鴒の巫女』の秘術に必要な道具を揃えていた。あれの再現とまでは行かずとも、多少整えれば、中央国時代に聖騎士に卸していた薬よりずっと良質な薬を作れる。
東方国の薬と競合しないような商品をひっそりと作って、ゆくゆくは生活の糧にしようと思う。
いつまでもあると思うな親と金、だ。
「霊現象は起きたら起きたで考えればいいし、むしろ、実体化した霊なら対話を試みるのもいいかも――」
一人思索にふけりながら部屋を出たとき、私は一人の女の子に気づいた。
陛下の住まい――北宮と、元後宮を繋ぐ太鼓橋の上に、十二、三歳ほどの少女が佇んでいる。
(あれが、霊――?)
一瞬ゾクリとして、すぐに思い直す。霊じゃない。そもそも霊はいない。
石橋に影が降りているし、涼しい南風に総髪が揺れている。
彼女が息を吸う。次の瞬間、
「失 礼 い た し ま す !!!」
生きている人間しか出せないような声量で、彼女は叫んだ。
中庭で遊んでいた鵲の番がばさばさと羽音を立てて逃げ去っていく。
「私は竜花・錫色と申します! そちらに渡ってもよろしいでしょうか!!!!」
ブクマ評価凄く嬉しいです!
はげみになりますので、よかったら評価よろしくお願いしますm(_ _)m
生きる糧です…