16.禊祓、陛下の本来の力
なぜ、道を逸れたと気づいたのか。
絶えず行き交っていた大きな荷馬車や行商人の流れがぴたりと消え、行き交いも難しい細い道へと入っていくからだ。
整備の行き届かない道にがたがたと馬車の揺れが大きくなり、窓外の景色に緑が増えていく。
どうやら森に入っていくようだ。
私が困惑しているのに気づいたのだろう。
窓外を覗く私に、陛下が「心配しないで」と声をかけた。
陛下の態度は些事のそれだ。
「ちょっと立ち寄り先が増えたんだ」
「立ち寄り……何か問題が起きたのですか?」
「ん。ちょっと、溶け残りの雪があったみたいでね」
話しているうちに馬車の速度が緩やかに落ち、しばらくの後に停車した。
ぞろぞろと人が出ていく音が聞こえる。
がちゃがちゃと響く鎧の音に、きびきびとした男性の声。外に出ているのは武官だ。
そのとき、低くよく通る声が聞こえた。
「陛下」
左翼官・雪鳴様だ。
彼はかぐや姫のような黒髪をなびかせ、馬車の扉を開いた。
「準備できました。どうぞ」
「ん」
陛下はかき上げていた面紗を下ろし、馬車の外へと出る。
そして陛下が白い指で宙を撫ぜると、空気から溶け出すようにきらきらとした金色の杖が生じる。手に掴んでくるりと回すと装飾が擦れてシャン、と涼やかな音がする。
錫杖に似た作りの權杖だ――おそらく、魔力制御に用いるのだろう。
嵌め込まれた宝玉を反射し、陛下の髪や絹に虹の欠片を飛ばしている。
軽く權杖を慣らしたところで、陛下は私を振り返った。
「そうだ。サイ」
「は、はい」
「よかったら一緒に来ない?」
まるで散歩に誘うような言い方だ。
「かしこまりました」
私は迷わずに頷いた。
どんなことでも陛下が命じるならばついていく。
陛下と雪鳴様について先に進むと、馬車の列の前では武官たちが大きな盾でこちらをかばっているのが見えた。まるで暴動を前にした機動隊のようだ。
陛下が歩きながら雪鳴様へ訊ねる。
「周辺住民の避難は?」
「完了しております。人的被害、家屋損壊等はまだ発生しておりませんが、足止めになった行商人や農家が複数名、近くの村に避難しております。物資の遅延は必至かと」
「了解。さっさと済ませよう」
陛下は雪鳴様を連れてすたすたと歩いていく。
もつれそうな裾をひらひらと捌く陛下は意外なほど足が速い。無論武官の雪鳴様も足が速い。
二人とも早足の上に背も高いので、一歩の歩幅も大きく、あっという間に遠くに行ってしまう。
空気抵抗の多い出で立ちをしているのが信じられない。
置いていかれないように、私は小走りに後を追う。
武官たちの前には、道を塞ぐように、人の何倍もの大きさの雪の塊が崩落していた。
今はまだ春先だから、雪が残っていてもおかしくない。実際ここに着くまでも雪が積もった場所を何度も通った。
しかしこの塊は異常だった。どしゃり、と道を塞いだ雪玉はちょうどビル4階建てほどの大きさだ。
(この季節に、これだけの雪が、街道に……? それに陛下が除雪? ……魔力で?)
混乱する私をよそに、陛下の姿を見た前線の武官達がわっと盛り上がった。
「陛下! 左翼官殿! お待ちしておりました!!」
「皆、私から離れなさい」
陛下の『皇帝』としての声が響き、その一声でぱっと武官達が散っていく。彼らは期待のような興奮のような、わくわくした雰囲気に満ちている。彼らが退くことで、盾を向けていた対象が露わになった。
――やっぱり雪だ。
サイの領地、鶺鴒も高地なので、降雪に慣れている。
だからこそ違和感がある。なぜ、平地の街道の真ん中に、いきなりこれだけの雪の塊が?
次の瞬間――『雪』の首が動く。
雪は長い首をぐるりと回し、四足を立てて立ち上がった。
「り、竜ッ……!?」
考えるより先に悲鳴が出ていた。
「あ、サイ見たことなかった?」
陛下は振り返った。面紗の隙間から覗く目は楽しそうだ。
「こういうのって……いたんですね……」
「中央国は魔力保持者が多いから、出ないんだろうね。これ、土地の魔力が溢れすぎて生じるものだから」
陛下は当然といった様子だったが、私は初めて見る現象を前に、恐怖で硬直していた。
――自然界で溢れ出す魔力も、魔力保持者が大勢いれば消費され、問題は生じない。
中央国ではむしろ魔力保持者による魔力消費と枯渇が問題視されているレベルだ。
しかし。
魔力保持者の少ない東方国では、魔力が溢れて形を形成する――そういうことらしい。
雪鳴様がすらりと刀を抜く。
「そこを動かないでくれ、サイ殿」
刀身の輝きに竜が反応する。
竜は雪鳴様に向かい、鋭い氷の爪を振り下ろしてきた。
「――ッ!!!」
息を飲む私の前に影が降りる。刀でかばう雪鳴様の背中があった。
ぼとりと、切られた雪の塊が落ちる。
陛下は權杖をくるりと回し、軽やかに竜へと駆け出していく。
そして、とん、と權杖を軸に跳躍し、狗鷲の翼を大きく広げる。
弾むように竜の上に舞い上がった陛下は、そのまま雪竜に權杖を向けた。
『――――、――、――』
聞き取れない早口とイントネーションで、陛下が言葉を紡ぐ。
ばちばちと静電気の音を立て、陛下の權杖が輝く。
同時、私の目前にいる雪鳴様の髪がふわりと舞い上がる――陛下が結界を張ったのだ。
雪竜が巨大なスノードームに包まれたようになる。
その次の瞬間、陛下の權杖がばちばちと雷光を帯び――
ドドドドドドドドドド!!!!!
勢いよく太鼓を鳴らすような爆音が響き、衝撃で大地が揺れる。
スノードームの中で雪竜はガラガラと、あっというまに形を崩し、雪の塊になっていく。
陛下が再び、呪文を口早に唱える。雪竜だった雪はスノードームの中でただの雪になり、溶けて水になり、そして内部で沸騰し――蒸発していく。
『――!』
陛下が最後の言葉を唱える。
そして結界が解かれると同時、ばしゃり、と水音をたてて雪が『消えた』。
「……さて、最後の『祓』をしようか」
狗鷲の翼を大きく広げ、陛下がゆったりと舞い降りる。
ふわ、と白絹が風をはらんで広がり、まるで夢のような美しさだ。
翼を畳み、陛下はぬかるんだ土地に權杖を立てた。
シャン、と音が鳴る。
地面には雷撃の跡がクレーターになっている。
『――――、――、――――、――、――』
陛下が古語を紡ぐと、道を濡らす水分が、ざっと消えていく。
歩を進める。
竜が居た場所を祓うようにゆっくりと、權杖で線を引きながら、陛下は古代語の詩を詠った。
単語がわからず、文法も現代語と違っており、聞き取りにくい部分も多かったが、なんとか要点はつかめた。
雪は春に解けて水になり、空に帰りまた雪になる。その正しい循環が滞りなく行われるように、土地の精霊たちへ『天鷲』として祈りを捧げ、要請する詩だった。
みんな歌に聴き入っていた。
陛下の登場に武官たちが興奮していたのも理解できる。
これは土地の禊でもあり、民に『陛下』の神徳を見せる『祭り』なのだ。
「――、―、――、――――」
陛下は調子を早めながら、よく通る声で、軽快な拍子を刻んで詩を歌う。舞うように權杖を回し、音を鳴らす。ぶわ、と翼が広がる。
その光景はぞくぞくするほど壮麗で、時折、面紗から覗く陛下の眼差しは鋭くて、そして艷やかだ。
足さばきや身振りも、厳かな舞で美しかった。
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放心しているあいだに、全てが終わっていた。
「サイ殿」
馬車を再出発させるざわめきのなか、雪鳴様に声をかけられはっとする。
「雪鳴様、……失礼いたしました。ぼーっとしてしまって」
「初めての『祓』、驚かれたか」
「はい……」
未だに、陛下の歌に魂を抜かれたままのような心地だ。
雪鳴様の傍に陛下がいない。迷子のような心細さで、私は陛下をきょろきょろと探す。
「あの、陛下は……?」
「後ろ」
「ひゃっ!?」
陛下は私を見下ろし、さも愉快げに八重歯を見せて笑う。
「あはは、サイもそういう顔するんだ」
厳かな『皇帝』が、屈託なくにこにこと笑っている。私は深々と頭を下げた。
「勿体ないものをみせていただき、ありがとうございました」
「よかった。サイに絶対かっこいいところ見せないとって思ってたんだよ」
そのとき従者が小走りにやってきて、新しい靴を陛下へと差し出す。雪と土で汚れたからだろう。
陛下が靴を換えるその隙に、私は隣りにいる雪鳴様の袖を引いた。
黙って体を屈めてくれる雪鳴様に、私は耳打ちをした。
「陛下のお体、障りはありませんでしょうか。あれだけ天候を操ったのでは……」
前回、通り雨を呼んだだけで暴走しかけた陛下の体が心配だった。目の前の陛下は汗の一粒も零していないけれど……
私に対して、雪鳴様は静かに答えた。
「東方国では土地の加護がある。そもそも本来、陛下が暴走することはないのだ」
「そう、……なんですね」
先日見た陛下の壮絶な状況が目に焼き付いていたので、今日軽やかに稲妻を召喚しているのが信じられなかった。それだけ強い人が、あの時はどれだけ弱っていたのだろう。
雪鳴様は言葉を続ける。
「鳥は風切り羽の起こす浮力で、軽い体を風に乗せる。陛下は人の肉体で空を飛ぶ。魔力で、自重と風を制御して」
「――!!」
何が言いたいのかわかり、私は息を呑んだ。
今の『祓』でも、陛下が飛んだのは少しの間だった。
權杖ではずみをつけ、己の足で跳躍して。そこから、滞空するのにどれだけの魔力と体力を要するか。
陛下は、私を助けるために中央国首都から国境近くの領地まで飛んだ。魔力制御の權杖も持つことなく。
「……中央国から鶺鴒県までは、相当な距離がありますものね……」
「裁判院の法廷に色硝子があるだろう」
「はい」
「陛下はあれを正面から破って飛び出していった――陛下は時に、思い切りがよすぎる」
私は裁判院の窓を破って飛び出す衝撃的な光景を想像した。多分間違っていないだろう。
「サイ殿。そういう顔をする必要はない」
黙り込んだ私に、雪鳴様は言い添えた。
「東方国として『鶺鴒の巫女』の損失は見逃せぬ。それだけのことだ」
雪鳴様はそう言い残し、部下たちの元へ戻っていった。
入れ替わるように、靴を履き替えた陛下がやってくる。
「サイ。馬車に戻ろうか」
「……はい」
踵の高い靴で、陛下は軽やかに馬車へと向かう。ひらひらとした裾と、翼。綺麗だ。
こんなに強くて当たり前の方が、あの時は本当に、壊れそうになっていたのだ。
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かくして、中央国首都を出発して一週間。私達を乗せた馬車は東方国首都に到着した。
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