13.ライフスタイルは新しいステージへ。東方国宮廷直通、後宮という選択。
「け、結婚」
「そう、結婚♡」
陛下は灰青色の瞳を細めて、どう?と言わんばかりに小首をかしげる。
私は青ざめていた。
「冗談でもお慎みください陛下……ッ!」
「冗談でもないよ」
「どこでこの話が、漏れて、誤解され、陛下の足枷となるか」
冤罪とはいえ、一時は処刑されそうになった女を妃にするなど冗談じゃない。
陛下と御国を守りたいと決意したというのに、私自身が国を山折りにして傾けてしまうところだ。
「ふふ、まあいいけど」
狼狽する私を眺めながら、陛下は八重歯をのぞかせて愉快そうにする。
天使のような顔立ちの割には、無邪気な表情をみせる人だ。
こちらは楽しく笑うどころの動揺ではないが、笑う陛下は可愛い。
「たまに武官みたいな口調になるよね、サイ」
「……一緒に働いていた侍女からも、指摘された覚えがあります」
「でしょ?」
「ずっと、聖騎士の方々と話していたからかもしれません」
「そんなものなの?」
「あとは、古典や学問書ばかりを読んでいたからでしょうか……」
「それは『鶺鴒の巫女』として? 仕事として?」
「両方です」
生まれ持った宿命としても、生活のためとしても書物は私にとって大切なものだった。
「継承した書物を完読する必要がありましたので、語学の学習も兼ねて幼い頃からよく読んでいました。婚約後は、非公式にですが、聖騎士団医薬局で働いておりましたので……実家の所蔵する書物を参考にしながら、日々学んで働いていました」
「学校は行ってないんだよね」
「はい。両親と、祖父母に読み書きと書物の読み方を学びました」
本来は貴族子女の入学する学校で学ぶ予定だったが、両親が亡くなった事によりそれも叶わなかった。
学のない私を元婚約者が嫌うのも、当然だったのかもしれない。
陛下は黙って、私のことをじっと見つめていた。
「――日常的な手紙は得意? 詩歌を詠んだりしていた?」
「高尚なことは、とても。……城では侍女として御婦人方の手紙を運ぶ仕事をしていた程度で」
「謙遜しなくてもいいのに。僕と話す時の東方語、とても綺麗だよ」
「そうですか?」
嬉しくなって思わず顔を上げると、陛下は微笑む。
「全然違和感がない。綺麗な黒髪も黒目がちな瞳もあいまって、サイは最初から東方国の民のように見える。きっと無理なく向こうに馴染むだろう」
「そうだといいのですが……」
「……頑張って勉強していた成果があったね」
陛下に微笑まれながら、私は中央国で暮らしていたときの事を思い出す。
暗い部屋で、母からの教えを忘れないように魔力の明かりを頼りにこっそり勉強した日々。
――なんだかもう、遠い昔のことのようだ。
「……侍女仕事に、薬作りに、領主としての仕事に、いっぱい雑務もしていたんでしょ?」
「はい。役目でしたので」
「知ってはいたけど、よく働いてたね、サイ……」
「そんな事ないです。私なんかよりもっと苦労されている人はおります」
ガタガタッ
そのとき。
馬車が街道を折れ曲がり、大きく馬車が揺れる。
少しバランスを崩した私に、陛下は向かい側から手を差し伸べて支えてくれた。
「大丈夫?」
「ありがとうございます」
私の腕を支えた陛下の手は、私が黒い衣を着ているので、より一層白く大きく見える。
陛下はそのまま、目を見開いて――私の腕に触れたまま沈痛な顔をしていた。
「陛下……?」
「君の体に合わせて仕立てたのだけど、……もっと細くなってるね」
陛下は一瞬、悲しげにつぶやき――そっと押し戻すように、私から手を離す。
私は腕をさすりながら答える。
「そうですね。勾留期間中はあまり食事を食べられなかったので……」
いつ私の衣を仕立てたのかはわからないけれど、衣の出来栄えからおそらく、私が勾留される前――半年近く前に仕立ててくださっていたはずだ。侍女として働く時のメイド服を仕立てた仕立て屋に問い合わせ、寸法を調べていたのかもしれない。
「子細問題ありません。東方国の方の衣は中央国と違って、帯や着付け方でいくらでも調節ができますので。お心遣い本当に感謝いたします」
礼を言う私に、陛下は少しだけ微笑んだ。
「さっきも言ったけれど。東方国はごはんが美味しいよ。雪解け水と海流のお陰で、よく肥えた魚が採れるし米も甘い。良いものをたくさんとって過ごして。……いつか『鶺鴒の巫女』として子を為したいのならば、自分も大事にして」
「御配慮感謝いたします。大使館での食事も日々の楽しみでした。きっとより素晴らしい味覚を楽しむことができるのでしょうね」
馬車の速度が落ちていく。
街道は少しずつにぎやかになってきた。もうすぐ宿場町に入るのだろう。
「そうだね……サイが不安に思わないように、少し今後の話しでもしようか」
陛下が話を切り出す。
「サイには宮廷内に住んでもらうよ。新築じゃないのは申し訳ないけれど、広くて綺麗だからきっと気にいると思う」
「ありがとうございます。ちなみにそちらは、元々何に使われていたのですか?」
「ん? 後宮」
コウキュウ。
頭の中で、例の高級マンションの広告が頭を去来する。
――ライフスタイルは新しいステージへ。東方国宮廷直通、後宮という選択。
「どうしたの、顔色が悪いよ。馬車酔いした?」
「申し訳ありません。少々耳の調子がよくないのか、聞き間違えてしまったようで」
「後宮だよ。僕の寝所のある北宮から直通。庭付きで広いよ」
聞き間違えじゃなかったらしい。
私が硬直していると、陛下は「そうか」と思い出したように付け加えた。
「サイは知らないんだったね。先帝――僕の父が帝政改革の一環で建てた後宮があるのだけど、東方国において皇帝は神様。そんな神様の子供が色んな妃との間に生まれるなんてとんでもない! って、後宮文化はうまくいかなくて。結局、今は誰も使っていないんだ」
「あ、仔細……理解いたしました」
話の流れ的に大きな誤解をしてしまった。恥ずかしい。
顔を合わせるのも恥ずかしいしなんなら逃げ出したいけれど、馬車は動き続けるし逃れられない。
「顔上げないと馬車酔いするよ?」
「……は、はい」
陛下はざっくりと、後宮開設から廃止までの歴史を話してくれた。
本来皇帝は古来より原則一夫一妻だ。しかし、前皇帝は改革の一環として後宮を作った。
皇帝の血と諸家の結びつきを深める目的だったが、それはかえって皇帝の神性を損ない、不信を生じ、諸家は他国と同様、後宮の娘たちで権力争いを行おうとしてしまう。
結局十数年足らずで後宮制度は廃止となり、元の原則一夫一妻制に戻された。
――つまり。
豪奢な建造物が宮殿の敷地内に余っているが壊すにも惜しく、再利用するにもいわくつきだ、と。
そこで『鶺鴒の巫女』を迎えることになったようだ。
「色々あったから、怨念がこもってるとか夜に生霊が出るとか言われてるけど、内装は全部綺麗に塗り直したし新築同然だよ」
陛下はさらりと怖いことを言う。
「あ……人は死んでないから、一応」
「それに匹敵することはそれなりに起こったんですね? 生霊が出ると噂されるからには」
「サイなら除霊もできるだろうって、臣下一同みんな期待してるよ」
「……除霊の経験はありませんが、できれば岩塩と紙と筆のご用意いただけましたら助かります……」
霊は信じていない。
ただ、思念の強さが自然に存在する魔力と結びつき、現象を引き起こす事例はある。
新居に入って真っ先に行うのが除霊とは、私も予想だにしなかった。
「しかし……私などの為にそこまで色々と取り計らっていただくのは申し訳ないような気がします。まるで、東方国の方々の血税を無駄にするようで」
「ああ、それなら大丈夫」
前世の世界ならピースでもしそうな快活さで陛下は言う。
「そのぶん色々と中央国から搾り取ってきたから安心して」
「搾……」
「東方国が譲渡した鶺鴒県の『鶺鴒の巫女』をひどい目に遭わせたわけなんだから、少しはね?」
時々陛下の眼差しが、猛禽のそれになるのは気の所為だろうか。
ちょうどそのとき馬車が止まる。今日の宿泊地にたどり着いた。
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