114.比翼の鳥に祝福を
「春果様」
「……斎」
あの日より少し伸ばした髪を揺らし、春果様は私を振り返って目を細めた。空いた右手で手招きされたので隣に立つと、肩を抱くように片翼で私を包む。それだけでふわりと春果様の温度に包まれた。
大きな翼は片翼となってしまったが、残った翼は既に美しく回復している。
体の重心がずれた春果様は、今は大抵杖を突いて立っている。
「海が綺麗だね」
「……そうですね」
会話はそれ以上続かない。私が黙り込んでいるのを見て、春果様は私の頬を撫でる。
「浮かない顔をしているね」
「春果様を、片翼にしてしまった私がーー民衆の前で皇后として姿を表してよろしいのでしょうか」
「またその話?」
春果様は片眉をあげて呆れた顔をする。
「斎は為すべき事を命を張って果たした。僕も翼と魔力があったからこそ、君を異世界から連れ出せた。……確かに僕も魔力が大幅に落ちたから、やれることは減ったけど。……けれど、それでいいんだと思う」
春果様は私の髪を撫でる。家を焼かれた1年前と同じくらいまで短くなった髪は、ようやく最近櫛を挿せるまでに伸びていた。
「魔力が減ったおかげで僕は、顔を隠さずとも民の前に出ることができるようになった。翼を失ってから、『天鷲神』の呪いが解けたんだ。……君が『鶺鴒の巫女』として消滅せずに済んだことも含めて、奇跡が起きた。奇跡が起きたのなら何らかの代償が必要だ。翼の一つで済むのなら、僕は喜んで差し出す」
「春果様……」
「僕たちの知らないところで神様が書いた、神様都合の予定調和なんて、もういらない。神話の先に僕たちは生きられる」
春果様が耳朶に触れ、そして額をこつ、と寄せてくる。体を支えるように腕を回すと、彼は嬉しそうに目を細める。翼を失ってから春果様はますます神々しさを増して美しくなったように感じる。まるで、翼と共に憂いや迷いを振り払ったように私は思う。
「それに、翼が無くなってもう一つ良かったこともある」
「良かったこと、ですか……?」
「うん」
目を細めて私に顔をよせ、春果様は口付ける。そして私の手を強く握った。
「公務の時でもいつでも、君が僕の杖代わりに傍にいてくれるでしょう? 堂々と君を離さないでいられる」
「……もう、離れません」
「うん、二度と離れないで」
私を抱き寄せる腕が強くなる。背伸びをして体を委ね、空を望むとーーまるでまた、かつて二人で飛んだ空にいるような錯覚を覚える。
けれど。翼があった頃よりもずっと、私たちは自由で幸福な思いでいっぱいだった。
陛下が『天鷲神』の力を失ったことで、今後、政の制度も大きく変えていく必要がある。
巫女異世界追放と共に『鶺鴒の巫女』の能力が血統から消えなかった事も、今後の未来に影響を与えていくかもしれない。
国としての機能をほぼ失った中央国の解体も遅かれ早かれ行われる。
考えることはいくらでもある。不安だって尽きない。
けれど比翼の夫婦として共にあるという真実があるだけで、どうしてこんなに心強いのだろう。
その時。
びゅう、と一際強く吹きつけた海風に、白い粒が混じって舞う。
過ぎ去った冬を名残惜しむ白雪だ。
「祈花みたいですね」
「うん。……まるで、祝福されてるみたいだ」
「誰が祝福してくださっているのでしょうね」
「さあね。……天意が祝福してくれようとも、くれまいとも、僕は幸せになるけれどね。絶対」
陛下は雪に目を細め、そして笑顔で私を見た。
「長生きしよう、サイ。呪いも過去も運命も解き放って、僕たちでたくさん幸せになろう」
花曇りの空、春果様の双眸に私が映っている。
「はい、春果様」
私は陛下に唇を寄せる。
神様にも誰にも聞かせないように、私は愛しい狗鷲の皇帝陛下の唇に、直接愛の言葉を囁いた。
お付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
サイと春果のお話は一旦ここで完結させていただきます。
番外編も検討しております。
よろしければ一言二言、ご感想いただければ嬉しく思います。
お読みいただきまして誠にありがとうございました。





