113.筋書きの先へ
ーー春、鶺鴒宮。
すっかり鶺鴒宮に慣れた母サエと妹サクラ、そして私サイ。
私たち母娘は三人で四阿の茶会をしていた。
雪はまだ残るものの、庭には春の花がちらほらと綻び始め、魔力の炉が一つあれば屋外の四阿でも楽しくお茶が飲めるくらいには暖かくなってきていた。
「お姉ちゃん、明日の皇妃披露の式典は任せてよ。『鶺鴒の巫女』がちゃんと晴れさせてみせるからね」
櫻は勝ち気な目を細めて胸を張る。
最初は南方国の衣を身に纏っていた妹だったけれど、東方国に落ち着いてからはこちらの襦裙を身につけている。鶺鴒宮の女官たちより色の薄い、白に近い桜色だ。
「まだ魔力が安定していないのだから無理はしないで」
私は妹の言葉に、首を振って遠慮する。
「あのね、お姉ちゃん。私にとっても緋暉様と並んで一緒に出る初めての式典なんだから。晴れて欲しいの」
「我欲で巫女の能力を乱用してはなりません」
「が、我欲じゃないし!」
手厳しい母の言葉に反論する妹。母も東方国の衣を身につけているが、質素な女官と変わりない襦裙に白衣を羽織っている。
母は皇后になった私の代わりに、鶺鴒宮の責任者の地位についていた。
「しっかし、お姉ちゃんってば。こんなに強い魔力を持っていたのに、よく調子づかないで生きられたよね」
私が『聖女』を異世界追放したことで、天意は私の魔力を奪った代わりに妹に『鶺鴒の巫女』の魔力を引き継がせた。櫻は日々向上する能力に浮かれている。
「サイは生まれた時から『鶺鴒の巫女』としての覚悟を叩き込んできましたから当然よ。サクラもこれからは、」
「はーい。お母さん、わかってるって。だから来夜せんせにちゃんと魔力のイロハ教えてもらってるじゃん」
「ああ……頭が痛い。サイが真面目だったから、この子の教育をしてると……」
「え!? ひどくない!? ねえお姉ちゃん、私の擁護してよ」
「ふふ。……お母さん、大丈夫よ。来夜先生に師事するのなら、ちゃんと色々鍛えられると思うから」
「皇帝陛下の教育係の方なんて、この子には少し不相応なんじゃないかしら……」
「ちょっとお母さん! 私のこともっと期待してよー!」
お茶菓子とお茶を前に、どれだけお喋りしても話題は尽きない。楽しい。
きっとサクラはこれまでも力強く両親を励まして、照らしてくれていたのだろう。私にはできない能力だ。明るくて頼もしい妹と巡り会うことができて私は嬉しかった。
長い間離れていたのが嘘のように、私たちは母娘としての時間を取り戻している。
「今日はサクラ、午後は何をするの?」
「郷家に行って緋暉様と明日の衣装の合わせをするわ。真っ赤でキラキラしててすっごく可愛いんだから。お姉ちゃんも明日ちゃんと見てね?」
「サクラ。明日の主役はお姉ちゃんよ?」
「知ってるって。だからお姉ちゃんと並んで一緒にいる姿、国民の皆さんにばーんとお披露目して、新生『鶺鴒の巫女』を認知してもらわなくちゃ」
「……妹は本当に大物ね、お母さん……」
「ええ。色んな苦労をかけてきたはずなのに、なぜかこんな子になっちゃったのよ」
「なぜか?! なぜかってなによ」
ーーこんな風に、妹・櫻の緋暉様へ嫁ぐ準備も滞りなく進んでいる。
東方国では雪が溶けた春先に一斉に結婚式を行うのが慣わしで、婚礼節と呼ばれる三十日間である今は、毎日国のあちこちで、新婚を祝う花吹雪ーー祈花が空を舞っている。
私の皇后としての儀式は既に完了していた。
あの日傷ついた春果様の体の回復に合わせて、冬のあいだで少しずつ儀式を済ませてきたのだ。
庭に春風が吹く。
遠くから錫色が手を振って合図をしてきたので、私は立ち上がった。
「行って参ります」
二人は笑顔で見送ってくれる。私はすっかり大人びた錫色と共に、春果様の休む北宮まで歩く。
空を鵲が舞う。
私はここ数ヶ月のことを思い返していた。
ーー
『聖女』の異世界追放をする前に考えていた、「この世界に戻ってこられる可能性」の希望について。
それはーー母と妹と私、三人の『最も濃い鶺鴒の巫女』の女が同時に魔力を発動すれば、異世界から帰還できるのではないかという物だった。
これまでの歴史においては『聖女』追放と同時に『巫女』と『巫女の血統』が消えていた。
しかし。
それらの消滅原因が聖女異世界追放によるエネルギーが原因だとすれば。
三人の『鶺鴒の巫女の強い女』が同時に魔力を放出すれば、一人頭の負担が減るのではないかと考えたのだ。
もちろん、それはほぼ神の隙をつくような夢物語に近かった。
母と妹とは何ら打ち合わせはしていなかったし、そもそも二人が中央国に来ていた事も知らなかった。
けれど私は、うまくいく根拠のない確信があったのだ。
母と妹は南方国王・久瀬様の保護下にある。
私が担うことになった聖女異世界追放の役目を、久瀬様は確実に母に伝えていたはずだ。
母も『鶺鴒の巫女』として転生前の記憶を持つ人ならば、聖女異世界追放と『巫女』の消滅について、私と同じ推論を立てているはず。
私の役目を母が知れば、母はきっと私と同じ希望を持って、時間を合わせて祈ってくれると思っていたのだ。
ーー結論として、私の読みは当たっていた。
あれから後日、妹があの日の顛末を教えてくれた。
「久瀬様に言われて中央国に待機してたんだけどね、お姉ちゃんが塔に行ったという連絡が入った途端、お母さんがいきなり『祈りなさい!!』って。いきなりでびっくりしたんだけど、お姉ちゃんのためならと思って祈ったらいきなり、ごっそり魔力を吸い上げられるから……本当にびっくりしちゃったよね」
北宮で療養する春果様に魔力を注ぎながら、妹はやれやれといったふうに話してくれた。
「でもよかった。あの時のお母さんの機転で、東方国の超重要な二人を救えたんだから! 私もこれから一躍英雄ってやつよー」
「ありがとう、本当に…」
「なぁに、今後はお姉ちゃんやお母さんよりじゃんじゃん活躍してっちゃうからね。美丈夫の旦那様とも結婚できちゃうし。ふふふ」
「頼もしいわ」
わざと戯けたふりをして話す妹に、私は心からの感謝を何度も伝えた。
妹も『鶺鴒の巫女』として目覚めたのだから、今後転生前の記憶を思い出すだろう。
結局『鶺鴒の巫女』の血統は消えることなく、魔力を失ったわたしから妹へと引き継がれた。
それが何を意味するのかは、神様のみが知る話だろう。
また次の『聖女』が呼び出される遠い未来まで、私たちの血は続くのかもしれない。
—-
北宮に向かう途中、車椅子の父と来夜様の姿が見えた。
錫色が元気に挨拶する。
「来夜様、それにクトレットラ師。北宮に行かれていらっしゃったのですか?」
「ああ。わざわざ北宮まで足を運んでやらないと、すぐにホイホイそのへんを歩き回るからね、皇帝陛下は」
来夜様は男性としては華奢な肩をすくめて呆れ顔を見せ、その隣で父は苦笑いする。
「今日もそのお姿なのですね」
「ん。……子供の姿はそろそろ卒業かなって」
髪に結んだ白練りの絹紐をくるくるしながら来夜様言う。彼は最近青年の姿で過ごすことが増えていた。
春果様は朝廷で来夜様の功績を明らかにし、ついに『北方国の奸狐』と謗られていた過去の悪評を晴らした。
来夜様が携わった改革のその後の情報を精査していくと、災害対策も官吏の試験採用も確かな成果を上げている。
そして何より彼に師事した春果様が東方国の領地回復、南方国との国交締結を成功させ、『鶺鴒の巫女』の一族を国に呼び利益をもたらしたという事実が、来夜様の政治的立場の回復にも繋がったようだ。
今でも名義上は図書寮に在籍しているが、宮廷のあちこちで意見を求められて忙しそうにしている。
「これからお二人はどちらへ?」
「そりゃあ愛娘の明日の婚礼に向けた準備をするのさ」
父は片目をつぶって笑う。
「しかし、サイだけじゃなくてサクラも一気に結婚するなんてなあ……」
「はいはい、クトレットラ師。花嫁の前でぼやきはなんですから図書寮に行きますよ」
二人は仲良く宮廷の方へと去っていく。
最近の来夜様は南方国や中央国にまつわる情報を父から熱心に聞き出しているらしい。
父も東方国の知識を得るのが楽しいらしく、医師としての仕事の合間に来夜様と過ごす時間を大切にしているようだ。
「行きましょう、錫色」
「はい」
錫色は大人びた顔で頷く。
彼女もこの1年で随分と雰囲気が変わったように感じる。最初は大声でおばけを怖がっていた錫色も今では、私が最も頼れる女官の一人だ。
—-
北宮の前で、錫色は膝を追って私に別れを告げる。
宮に入った中には雪鳴様がいた。腿に付くほどの長い髪を揺らした彼の姿を見るのは久しぶりだ。
「皇后陛下。陛下は中でお待ちです」
「お久しぶりです。……あれから、奥様と春色さんは息災でいらっしゃいますか」
「ええ。冬の出産で何かと慌ただしかったのですが、最近は母子で庭に出る日も増えてきました」
「それは……何よりです」
柔らかな声音に父の優しさを滲ませながら雪鳴様は目元を柔らかくする。
「あの春色くらい、元気な女の子に育ってくれると良いのですが」
女性の姿を取った時の春果様の仮名を持ち出され、私はつい笑いそうになってしまう。
春果様はもう女性の姿に変化することはできない。
「もう二度と、あの『春色』さんと一緒に過ごすことができないのは少し寂しいですね」
「妹はもう懲り懲りです。どれだけの恋文を誤魔化したか」
雪鳴様と別れ、私は一人で先を進み陛下の寝室へと向かう。
扉の前の衛士の礼を受け、幾重にも重なった帳の奥へと入っていく。
その先、ひらけた寝室は、全ての雨戸が解放されていた。
窓が開け放たれ、欄干の先には遠く空と海が望む。
風がふわふわと吹き抜けて、帳を揺らす先に春果様が佇んでいた。
次で完結です。





