111.稲妻のように、空を切り裂いて
※少し流血描写があります。ご注意ください。
ーー気がついた時には、私は柔らかいものの上に落ちていた。
ぐえ、という酷いうめき声がする上で身を起こし、私は愕然とする。
乗用車の音。
行き交うスクランブル交差点。高く聳える高層ビル。輝く信号。
「ここは、……渋谷……?」
私は自分の姿を見た。真っ黒なセーラー服に、赤いスカーフが巻かれた高校生の姿。
記憶が雪崩のように押し寄せてくる。私は、この服で前世を終えた。
通りすがる人たちは不審な顔をしながらも、綺麗に避けて足早に歩き去っていく。非日常に慣れた東京の人間にとってもはや、変な若い男女が道で転がっているなどカメラを向けるものでも、気に留めるものですらない。
「うそ……うそ、こんな、こんなこと」
私の下に転がっていた女が、アスファルトに擦りむきながら声を裏返す。
「嘘、やだ、なんで、こんな、もうこんな世界戻りたくなかったのに、どうして、どうして」
声がリリーだ。その隣には異世界そのままの姿をしたアレクセイが、呆然として座り込んでいた。
「俺たちは……一体……」
信号が点滅をし始めた。
「いきましょう、二人とも」
急速に戻ってきた前世の記憶を便りに、私は二人の手を掴んで立ち上がり、なんとかスクランブル交差点を脱出する。
息を切らした二人は歩道に座り込む。渋谷の路上、まるで昨晩からの酒が残ったままのカップルのような二人はともかく、昼間からカップル二人を引き連れた高校生姿の私はよく目立つようで視線がチラチラと集まってくる。
「なんで、……なんでこんなことを……どうしてくれんのよ!!!! サイ!!!!」
リリーが叫びながら私の襟首をつかむ。彼女はネオンピンクの髪も失い、荒れた金髪を振り乱した日本人女性らしい風貌になっていた。
その瞳に映る私は、なんだかサイ・クトレットラそのままだ。
私は一度本当に死んで転生した身ーー既にこちらの肉体というものがなかったのかもしれない。
「あの世界を守るためです、リリー」
私はキッパリと彼女に言い切る。彼女は唾を飛ばし、喉を枯らして叫んだ。
「そのためにこんな世界に戻ってくるなんて、最低だわ!」
彼女の絶望はわかる。
全てが嫌になって逃げ出した先の異世界で、楽になれると思ったのにここに戻ってくるのはどれほどの地獄か。
けれど私はこれでよかったと思っている。
あちらの世界で、彼女の暴走で破滅して壊れていった全てに対しての償いとして、穏やかな聖女の死は相応しくない。
「あああああ!死んでやる!!!!死んでやる!!!!」
彼女は錯乱しながら叫びだし、そして走り去っていく。
「リリー!」
アレクセイが彼女を追いかける。彼にはどうやら、彼女がリリーだとちゃんと認識できているらしい。
「アレクセイ、」
私は彼の背中に声をかける。彼はつんのめるようにして立ち止まり、私を振り返った。
「なんだ!」
「貴方はリリーのこと、追いかけてあげるんですね」
「当然だろ!? よくわからんが、あれは俺の女だ!!!」
そして彼は錯乱したリリーを全速力で追いかけていった。その走る所作はきちんと鍛え上げられた騎士のもので、私は急に、なんとも言えない感情が込み上げてきた。
彼は私にはとても冷淡な男だった。殴られた痛みと信じてもらえなかった悲しさは忘れない。
けれど彼は少なくとも本来は、努力して聖騎士団長として功績を得るまでに頑張ってきた人だった。
聖騎士団長の座を失っても、彼は鍛錬を忘れていなかったのだろう。
「……貴方も、こちらの世界でどうか、幸せに」
私は二人の姿が見えなくなるまで見つめていた。
しかしいざ消えてしまうと、もはや私は何をすることもできない。
「どうしましょうか、私は……」
私はセーラー服姿で立ちすくみ、そしてショーウィンドウに映った自分の姿を見つめる。
転生前の私とは違う、サイ・クトレットラは現代日本に戻っても黒髪黒瞳で浮かない容姿をしている。
見た目でいえば馴染めるけれど、手のひらを見つめ、そして空を見つめーー一つの結論に至る。
「戸籍も名前もない女子高生一人、どうすればいいんでしょう」
もしかしたら結構まずい状況なのかもしれないと気づき始めた。『鶺鴒の巫女』としての能力を使い果たし、私はもうこの世界では魔力なんてものは持ち合わせていない。ただの一人の小娘だ。
その時。
私の頭上で空が割れる。
「斎!!!!」
空が割れた先の空間から、天使が舞い降りる。
ガラス質の空を割り、その破片で傷つきながら、翼を大きく広げ、春果様は舞い降りてきた。
私は天使のような彼に向かって、両腕を広げて叫ぶ。
「春果様!! 私は、ここにいます!!!!」
人混みの中、彼は私を見つけて目を見張る。
切り傷だらけ、白練りの衣もズタズタにして、春果様は私に舞い降り、そしてーー塞がりかけた空を突き破るように、舞い戻った。





