110.おもちゃ箱。ごっこ遊びの少女と、人形になった少女。
リリーはここに幽閉されているくらいだから、私がなぜここに来たのか理解しているはずだ。
彼女は相変わらずの妖艶な眼差しで微笑む。
しかし以前のような取り繕った慇懃無礼なおっとりした様子はなく、ぎらぎらとした欲望と敵意を包み隠さず剥き出しにしている。
彼女はきっと、これが本性なのだ。
「あたしをどうするつもり? 婚約者を取った恨みを返してもいいのよ」
「……そういえば、婚約者をとられたんでしたね」
「ひっどい。アレクセイ・ストレリツィ。よ。名前くらい覚えていてあげてね」
東方国の暮らしがあまりに幸福な上、私はもう身も心も立場も春果皇帝陛下のものだ。
あれだけ痛めつけられて辛い思いをさせられた元婚約者だとしても、もう名前を聞いても感慨ひとつ湧かなかった。
心の防衛反応かもしれない。
もう、暗く惨めだった頃の自分に引きずり落とされないための。
沈黙した私を上から下まで眺め眇めつしながら、リリーは鼻で笑う。
「随分と顔色もよくなって、いい服きちゃって。幸せそうで何よりだわ」
「もうあの丁寧な口調やめたんですね」
「そう! あんたは気づいてくれるのね」
存外に人懐っこく、リリーが身を乗り出して嬉しそうにする。
「聖女っぽい雰囲気を出してあげようと思ってたんだけど、やっぱ育ちがわるいあたしには無理だわ、むり」
彼女は急に生き生きと饒舌になり、私に人懐こく笑う。
「あんたもその敬語はやめてくれない? あたしに丁寧に対応したって、どうせいいことないでしょ」
「いいことがあるから丁寧に対応する、訳ではありませんので」
「いい子ちゃんね」
リリーは呆れた風に肩をすくめる。
「そんなんだから権力者どものおもちゃになるのよ」
彼女は片目を眇めて憎々しげな顔をする。
その目は私を憎んでいるというより、運命の前に『おもちゃ』になった、私の立場を憎んでいるように見えた。
「あんただって強い『巫女』の能力持ってんでしょ? どうしてあたしみたいに好き勝手しないわけ?」
「私は貴方と違って異世界召喚された身ではありません。この世界で血と責任を継ぎ、地に足をつけて命を繋ぐ立場。……やけっぱちになっても得るものはありません」
「真面目に生きて、家を失ったのに?」
彼女はケラケラと笑う。私は溜息をついた。
「もうこれ以上は平行線です。私たちは背負うものも、背負うものに対する意識も違う」
「まー、そうよね」
「……あなたは」
「ん?」
「あなたは……この世界でうまくやれば『聖女』として幸福になれるはずだった。それでも、この立場となることを、敢えて選んだのですよね」
私はある種の確信を持って、彼女を見据えた。
それでも彼女は動じなかった。
「だって聖女だなんだでちやほやされて、だから何? 私は全てを壊したいだけ。くそつまんない世界で、くそつまんない生まれ育ちで、くそみたいに世界に使い潰されて、消費されて擦り切れたあたしが『聖女』様として最高の美貌と立場と能力を持って異世界召喚されちゃったのよ?」
自分の姿を愛するように、彼女は自らの髪をなで、肌を撫で、恍惚とした顔をする。
「データ上でしかなかったような作り物の連中が、さも人間ですって顔をしてのさばって、あたしに聖女様聖女様って傅いて。ちょっと遊んでやったら破滅したり死んだり、サカっちゃったり。馬鹿みたい」
「違います」
私は強く首を振る。
「私たちの知る『シナリオのキャラクター』だからといって、彼らが必死に生きていないわけではないです。そして私たちには好き勝手に、彼らの人生を損なう権利もない」
「シナリオ変えて、大好きな男を守ったくせに?」
「ーーッ!!」
一瞬、息を呑む。
その私の態度にリリーは は核心をついた手応えを感じたのだろう。赤い唇でにやりと笑った。
「今のではっきりしたわね。『鶺鴒の巫女』ーーあんたも、あのゲームのプレイヤーだったのね?」
「……そうです」
「けれど転生だから本当のことを知らないのかしら?」
「え、」
意外にも彼女は、丁寧に私に解説をしてくれる。
「あのね、一応公式読切コミカライズで東方国皇帝生存ルート、サイ・クトレットラをヒロインとして追加されたのよ」
「そう……なのですか、?」
「あんたが運命を変えたから『読切コミカライズ』が生まれたのか、『読切コミカライズ』があるからあんたが皇帝陛下を助けられたのか、あたしにはわかんないけどね」
私は内心安堵した。
それと同時に不自然さも感じた。
彼女は『読切コミカライズ』の話をせず、私を言葉で追い詰めて反撃することも可能だったはずだ。
ーーそれをせず、どうしてこの世界に暮らす私を安心させた?
一瞬気を取られているうちに、彼女は塔の窓辺に座っていた。
彼女の最後のなけなしの魔力が、彼女に魔力無効の効果を与えている。
外の景色が空しか見えないような、高い高い塔。
ここから落ちて仕舞えば、どうなるかなんて明白だ。
「リリー」
「なぁに? サイ」
「……貴方は、この世界で死にたかったのですね? 最初から」
「そうよ。……もう、ああ、悔しい」
突然、彼女は顔を覆って笑い始める。
「ははは…ふふ、貴方は一番の私の理解者だったみたい。もっと仲良くしたかったわ」
風になびく髪を押さえながら彼女は笑う。
太陽の光を背に浴びたリリーは、壮絶なほど美しかった。
「異世界転移前は私、自分で命を絶ったの」
「……そんな……」
「死んで新しい世界に来て、また新しい世界で、聖女として頑張らなきゃいけなくなった。もう、人のために生きるなんて、飽き飽きしていたの」
リリーの表情がわずかに曇る。
私は何も言えなかった。
「玩具箱をひっくり返すように、全てを滅茶苦茶にして。恋だってして、楽しかった。異世界転移前は悪い男に騙されて、お金儲けに使われて終わりだったから」
言葉に一瞬とろけるようなものが混じるのに、私は気づいてしまった。
彼女は、元婚約者をーー心から愛していたのかもしれない。
「リリー。あなたは国をめちゃくちゃにして、そして暴れて捕まえられた。暴れることで、『鶺鴒の巫女』を呼び出そうとした。……聖女に対抗できる力を持つ『鶺鴒の巫女』に貴方を始末させるために」
「大体そうね」
「でも私は貴方を死なせません。絶対に」
リリーはじっと、窓に座ったまま私を見据えている。
「貴方が元の世界でどんなに辛かろうと、別世界の人間を蹂躙していい理由にはならない。貴方の目的が死ならば、その死の引導を私が渡すわけにはいきません」
「別に渡さなくてもいいわよ。 ここから飛び降りれば一発なんだし」
リリーは肩をすくめる。
「貴方が最後に来るように仕向けたのは、殺してほしいっていうより、最後にはお話したかっただけ」
「え、」
「貴方がお仲間ーー元の世界を知る人だと感じていたから。だから、お話したかっただけ」
「どうして、そんな」
私は信じられない気持ちで首を振る。
「普通に、友達になればよかったじゃないですか」
「だって今際の際以外に、元の世界のことを思い出したくなかっただけよ。最期に話すのは貴方がよかった。それだけ」
「理解できません」
「貴方に、あたしの気持ちが一つでも理解できたこと、ある?」
リリーは妖艶に笑って体を傾ける。そして躊躇わず壁を蹴る、
最後に、美しい笑顔で私に笑った。
「さよなら」
その時。
「リリー!!!!」
聴き慣れた声が私の後ろから聞こえ、そして風のように私を追い越してリリーへと向かう。
自慢の銀に輝く鎧も失った、ただの男となったアレクセイが、リリーの体を掴んでいた。
「アレクセ、イ……!?」
二人が真っ逆さまに塔から落ちていく。
私は考える間も無く、二人に向けて術を発動した。





