108. このあいだ言ったじゃない。南方国の子を娶るって
「このあいだ言ったじゃない。南方国の子を娶るって」
久瀬様が南方国へと帰国の途について数日後。
妹の件について、陛下の住まう北宮の禊ぎ祓いの手伝いで一緒になった緋暉様に尋ねると、彼は私ににっこりと笑って告げた。
「娶るとは聞いてましたけど……まさか妹だなんて聞いてませんでしたよ」
私の妹の事については陛下も知らなかったらしく、あの後大変な騒ぎになったのはいうまでもない。
「そうかそうか、知らなかったか!」
と吉報をケラケラと笑いながら告げる久瀬様と、それに対して頭を抱えた私と陛下と、宮廷。
私の妹ーーサクラ・クトレットラが存在したことは、東方国ではまだ緋暉様しか知らなかったのだ。
禊祓の塩を一緒に撒きながら、緋暉様は悪びれず肩をすくめて語る。
「ほら。彼女の気持ちもあるし、何より俺の実家は斎を妻にもらいたがってたから、ギリギリまで俺は君を狙いたかったの。そういうわけで、陛下にも言い難い事情があったってことさ」
「はあ……」
「よかったじゃん。妹いて、嬉しいでしょ?」
「そりゃあ、嬉しいですけど……」
「ところで斎、それ陛下の下賜した絹帯だろ? もー、これみよがしに髪に結んじゃってぇ」
緋暉様が指摘するのは例の、陛下が朝渡してくださった絹帯だ。これをつけているとどうやら、陛下の特別な人という意味があるらしい。そういえば、先帝陛下に寵愛されていたらしい来夜様も、経年劣化で傷んだ絹帯を大切に髪に結んでいた。
緋暉様は柔らかく、年上の男性らしい穏やかな目で私をみた。
「もう斎は陛下のものだもんな?」
「……」
「あ、そういう顔するようになったんだ」
「私、結構緋暉様のこと信用できないなって思っているところなんですからね? せめて……妹がいること、一言でも、ご存知だったら教えて欲しかったです」
じろりとみやった私に、緋暉様は平然と肩をすくめる。
「まだ妹を迎えられるかどうか、南方国との国交が正式になる前に言えないのは当然のことさ。君だってわかるだろう」
「まあ……そうですけど」
「こういう理不尽に怒った顔ができるようになった斎ちゃんも、かわいいよ」
にこにこと笑う緋暉様は、さらに続けた。
「でも、斎のお陰だぜ? トントン拍子でサクラが妻に来れるようになったのは。斎がこうして、『鶺鴒の巫女』としてしっかり努めて、『鶺鴒の巫女』の評価や地位を上げてくれたから」
「私……そんな大層なことは……」
「大層なことをしているよ。だって陛下の妃になるって話が出ても、誰からも反発が出ないでしょう? まあ、陛下の根回しは相当なものだったけどね」
何かを思い出すように、緋暉様は上機嫌に笑う。
「まあとにかく、郷家も『鶺鴒の巫女』をお嫁さんに迎えられるしね。みんな喜んでるよ」
大団円。本当に、そう思っていいのだろうか。私はふと嫌なものが脳裏をよぎり、手をぴたりと止める。
「どうしたの?」
「……緋暉様。……私が、妹に鶺鴒の巫女を押し付けることになってしまうのは……」
妹はそもそも『鶺鴒の巫女』を継承する立場ではない。それなのに、私が陛下の妃となるために東方国に嫁いで『鶺鴒の巫女』を引き継ぐことになるのならーーそれは、彼女にとって不幸ではないのだろうか。
私の考えを表情で読み取ったらしい緋暉様は、「大丈夫だよ」と目を細める。
「むしろあっちはやる気みたいだぜ? 俺を見てすぐに求婚してきたのはあっちだし」
「……え?」
「それがさー。あの血気盛んな南方国育ちだろ? 斎と顔はすごく似てるのに、気が強すぎてちょっとうんざりしてたんだよな」
「ええ……?」
「俺、尻に敷かれるのは嫌だから。だからお淑やかな斎ちゃんがいいなーと思ってたんだけど」
「ちょっと緋暉様。妹にそういう気持ちで接するのは」
「はは冗談冗談。笑うと可愛いし、妹が増えるって感じで楽しみだよ」
結局、緋暉様も『郷家に鶺鴒の巫女を迎える』という目的を達成できるというわけだ。
お互いにとって結局、なんだかんだ最良の結果になった。
「でも陛下は個人的にはおすすめしないけどな」
「どうしてですか?」
「一緒に寝にくいだろ、あの背中の翼」
「……」
そうだっけと、私は陛下と共に寝る褥を思い出す。
「そうは思いませんでしたが……」
「そんな事思う余裕もなかった、ってやつ?」
「え……?」
「ねえ、陛下と普段どんな睦言話してるの? 俺と斎は親戚だろ? ちょっと教えてよ」
その時。
背後から文字通り「冷気」が漂ってきた。はっとして振り返れば、翼を大きく広げて腕組みした陛下が立っていた。
「右翼官殿♡」
「へ、陛下」
「なにを、ぼくが、いないところで、はなしてるんだ?」
一言一言区切るように口にして、陛下は翼を威嚇するように大きく広げて、にっこりと笑っている。薄絹越しでもその表情は、十分に怖い。
私たちは急いで膝をつき礼をした。
「我が妻に余計なことを言わないように。いくら斎が郷家の親族としても、辱めることは許さないよ」
「は……申し訳ございません」
「斎。顔をあげて」
鋭くいうと、陛下は私を見て薄絹をちら、とかき上げる。
曇天のような灰青色の瞳を細め、ふわりと微笑んでみせた。
「今夜もそっちにいくよ。まっていてね」
「かしこまりました、陛下」
しかし今日は、陛下はそれで納得しない。笑みを浮かべたまま、陛下はにっこりと首を傾げる。
「春果って呼んで?」
「いや、しかしここでは……」
「呼んで♡」
「……は、はるかさま……」
「ありがと♡」
満足した陛下が絹擦れの音を立てて去っていく。その音がすっかり聞こえなくなった頃に、頭を下げたまま緋暉様がうめくように呟いた。
「明らかな威嚇を臣下にしないでくださいよ……」
---
最近の陛下は、周りに誇示するように鶺鴒宮へと夜渡りするようになった。
私が『夜伽』として扱われるのではなく、『后』として扱われている証拠だった。
この国の伝統では、冬を越えて春に正式にお披露目の儀式を行うことになる。
その時に私は両親と、そして妹と初めて会う。
「斎、嬉しそう」
「……まさか、鶺鴒の巫女として私よりきちんと教育を受けた妹がいるなんて……嬉しいです」
私たちは今日も、褥を共にして二人きりの時間を過ごしていた。月明かりが眩く差し込む部屋で、陛下の翼に包まれていると、とても温かい。
もう遠い昔の話ーー中央国での処刑の日。全て燃やされた知識は、日々の仕事をしながら少しずつ写本を残している。妹に全てを渡したい。私でできることなら、何でも手伝いたいと思う。嬉しかった。
「斎。もっとくっついてよ」
陛下が甘い声で耳に囁く。体を震わせながら、私は腕の中にしっかりと潜り込む。抱きしめられ、そして翼もしっかりと包み込むように閉じて、あっという間にふかふかとした暖かさに包まれていく。秋が深まってきたことも信じられないくらい温かい。
その体温だけで、すぐに眠気に誘われるくらいだ。
微睡ながら、私は陛下に呟く。
「昼間、緋暉様に言われたのです。その、一緒に寝にくくはないのかと」
「…………へえ?」
「でも温かいですよね。お布団も大きいので、隙間が空くこともありませんし」
「……」
「春果さま?」
ぎゅっと抱きしめられると眠気が吹き飛ぶ。少し痛いくらい抱き寄せられる。頭をやわく鎖骨あたりに押し付けられるように引き寄せられ、陛下の髪と肌の香りが近くなる。
「こういう状況になって今更、父が何を考えていたのか、どうしてそうしたのか、わかるのが嫌だ」
「後宮の事ですか?」
「違う。……大切な人ほど、人目に触れないようにしたくなった意味が分かっただけ」
「ご心配されなくても、私は春果さまから離れませんよ」
「……そういう心配はしていないよ」
どういう心配だろう。
陛下は、切なげに声を震わせて私を抱き締める。はだけた夜着の胸板に頬を寄せると、甘い香りと、体温が気持ちよくて頭がぼうっとしてくる。
陛下は私の額に口付ける。ちゅ、という小さな音が、あまりにも幸せな音に聞こえた。
そんな日々を過ごしていると。
ーー中央国からついに、本格的な聖女処理の協力要請が舞い込んできた。
冬は、もうすぐだった。





