11.聖女と聖騎士の破滅のはじまり
※アレクセイ目線、続きです。
アレクセイはどかどかと足音を鳴らし大使館の廊下をつっきっていった。後ろからぱたぱたと、リリーの軽い足音がついてくる。
角を曲がって玄関に出ようとしたところで、アレクセイは光の塊を見た。
――違う。
床を擦る白練りの絹衣、細い輪冠から面紗を垂らし、頭部を覆った独特の姿。
あの日弓を引いた鳥が遥か目線の先にいた。
遠目でも燦然と輝く姿に向かい、アレクセイは反射的に床へと片膝をつき頭を下げた。
リリーは隣でぼんやりと突っ立ったままだ。
「リ、リリー!」
小声で叱ったつもりだが、聖女は構わずふらふらとしている。
もう一度とがめようと唇を開いた瞬間、ゾクリと背筋が凍る。
――視線を、全身で感じる。
「騎士団長アレクセイ殿。陛下がこちらに――と仰せです」
皇帝の傍らに立つ髪の長い若い武官が、温度のない声音で呼ぶ。アレクセイは跳ねるように、最低限の位置まで距離を詰めた。皇帝を代理して武官が言葉を続けた。
「『鶺鴒の巫女』との惜別、充分に交わせたか、と」
「は、陛下の御厚意賜りまして、サ……『鶺鴒の巫女』との対顔を果たせました。厚く御礼申し上げます」
震える声でなんとか絞り出す。まるで頭を押さえつけられているかのように、体がこわばる。まるで大気を操り、指先一つでこちらの頭を潰せてしまいそうな威厳がそこにある。
「『寛げ。予と汝、矢をいかける仲ではないか』」
ぞっと、背筋が凍りついた。
「ッ……! 陛下とも知らずあのような愚行。面目次第もないことで御座います」
項垂れた額から脂汗が、粒となって緞通に染みていく。視線だけ動かせば皇帝の足元が見えた。
王族でさえ用いない白練りの絹が、幾重にも重なって足元を隠している。峰を細く流れる滝水のように、上から裾の端まで、金糸の刺繍が織り込まれて弧を描く。
南方国遠征の長かったアレクセイは、東方国皇帝の姿を知らなかった。
だから家を燃やしたあの非常時、ただただ突然現れた異形の乱入に驚くばかりだった。
気づいていれば――ただただ、口惜しい。
「『駟馬も追う能わずといえども、不識を誹議するは予に非ず。その銀鎧の職責、しかと味わえ』」
すっと武官が近づき、アレクセイに膝を折り目の高さを合わせてきた。
「失礼。私は東方国皇帝陛下直属左翼官、錐屋雪鳴」
顔は似ていないのに、サイと同じ目をしていると思った。
暗い青の瞳をした、表情のわからない不気味な男。長い黒髪が肩を滑り、分厚い鎧と衣の上に帳のように広がっている。それは中央国の女よりよほど長い。
じっと見つめてくる井戸の底のような瞳からは、感情がまるでわからない。
文官のような面をしていながら、体格は聖騎士団員にも劣らず、それでいて身のこなしは不気味な静けさがある。
単純に、不気味な男だと思う。
「此れを、陛下が騎士団長殿へと」
彼はサイに似た無表情で紙の束を突きつけてきた。ちょっとした辞書ほどの厚みすらある。
「こ、これは」
「裁判院に提出した内部調査資料の"一部"です。騎士団内部――特に大変申し上げにくいのですがストレリツィ家派閥の団員による不正をまとめております。調査項目が多岐に渡っているので、今後の対応のため早めに目を通されるが宜しいでしょう」
「……ッ!! なぜ、そんなものが、ここに」
「先程、国王陛下より第三者臨時監査院の設置を約諾していただきました」
左翼官なる男は絶望的な宣告をする。
アレクセイは血の気が引くのを感じた。手足が、冷たく冷えていく。
「本日の貴殿と『鶺鴒の巫女』との対面も、騎士団長殿が今後迎える多事多難を憐れまれた、陛下からの御配慮です」
くすりと、皇帝の笑う気配が聞こえた気がした。
左翼官が更に言葉を続けた。
「また、『鶺鴒の巫女』殿――サイ・クトレットラ殿は今後東方国で身柄引受する旨、国王陛下より賜っております。今日をもって彼女は東方国国民として扱いますので、ご理解を」
「……」
伝えるべきことは全て伝えた。そう言わんばかりに彼はあっさりと立ち上がる。
アレクセイは唇が震えた。
――なぜ他国の皇帝が聖騎士団の内部調査資料などを持っているのか。
固まっていると、左翼官は「最後に、」と付け足した。
「我々の調査に協力した勢力が貴国内にいたことを、何卒お忘れなきよう」
国内の別勢力により聖騎士団は追い込まれた。この男はそう告げているのだ。
血の気を失うアレクセイの返事は不要とばかりに、彼は皇帝に従い大使館の奥へ去っていった。
アレクセイは立ち上がる。紐でくくられた幾つもの束がバラバラと落ちる。
「俺は……」
大使館を出ると、見慣れた空と城の光景が広がっていた。日常に戻った途端にどっと汗が吹き出す。
ふらふらとアレクセイは木陰へと隠れてずるずると座り込む。今は、誰からも見つかりたくなかった。
「大丈夫だ」
アレクセイは自分に言い聞かせる。
「俺にはリリーがいる」
口にしたとき、はっと気づいた。リリーをすっかり忘れていた。
大使館を振り返れば、のろのろとリリーが出てくるのが見えた。
「すまない、忘れていたわけじゃないんだ」
慌てて取り繕うアレクセイを、聖女らしい慈愛の微笑みでリリーは許してくれる。
「いいのよー。なんか感じ悪かったものね」
にこにこ。リリーは笑ってアレクセイの手に触れた。
リリーに触れられると、何もかも忘れてしまいそうになる。
これが幸福で恋の味なのだと。
アレクセイはただ現実から逃れるように、リリーの柔らかな手を握り返した。
――二人の絶頂はこの時に終わりを告げることになる。
お目通しいただき有難うございますm(_ _)m
次回から東方国編となります。本日もありがとうございました。
土日は12~13時頃に各日1回更新予定です。
月曜の更新予定時間はまたお知らせいたします。
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