107.寝耳に水
「僕は……生まれた世継ぎが羽化したら、数年で亡くなるだろう」
同じ褥で朝を迎えたあの時、私は陛下の腕の中で皇帝の運命を聞かされた。
東方国の皇帝は狗鷲の翼をたたえた天鷲神の化身。唯一無二の神様は、この世でたった一人しか存在できない。春果陛下の父である先帝・春楡陛下は陛下が皇太子となって数年で亡くなったとは知っていた。先帝陛下の死は必然のものだったのだ。
「皇帝はこの世に一人だけの存在。翼をもつ者はこの世に一人しか、存在できない。だから本来は皇帝と皇太子は生まれてからずっと、親鳥と雛鳥のように共に過ごし、学び、伝統と運命を引き継ぐものだ。けれど僕は父と一緒に過ごした時間はごく僅かだった」
「最期の数年間は、それは濃密なものだったでしょうね」
「……うん」
陛下は子供のように頷く。
私は耳飾りを下賜された日のことを思い出していた。陛下は先帝陛下が譲位したのち余生を過ごした北楡宮で私に過去を語り、私の記憶を思い出させ、そして耳を穿った。
陛下にとって北楡宮は大切な場所だったのだろう。そこで私の耳を貫いて、記憶を呼び起こしてくださったことを、私は嬉しく思う。
「斎。色んな意味で、君には負担をかける」
温かな腕に引き寄せられ、きつく、私は陛下の体に抱きしめられる。陛下の胸に耳を当てる。とくとくと、心臓が脈うつ音が聞こえる。陛下が生きてこうして傍にいてくださっている時間を、私は瞳を閉じて、身を委ねて魂に刻み込む。
陛下は私の髪を撫でながら囁いた。
「君が后になるなら、君が子どもを生める間に子どもを生んでもらうことになる。僕はいつまでも二人でいたいけれど、それも許して貰えないだろう。そうなると、……長く見積もっても、あと30年もすれば、僕は君を置いていくことになる」
まるで今すぐに置いて逝ってしまうかのような切なさを帯びた瞳で、陛下は私の頬を撫で、そして口付けて泣きそうな顔をする。
「ましてや、東方国は雪国だ。僕は、もうすぐ眠りにつき、魔力の全てを賭して豪雪からこの国を守り、春まで目覚めない。ーー皇帝が春の名を冠するのは、そう言うことさ。皇帝の短い命を賭して、国民に春を齎す。ーー毎年四分の一は、君と会えない」
「春果様……」
「だから残り30年といっても、もっと短く感じるだろうね。それを君が、長く捉えるか、短く捉えるか」
私より陛下の方が泣きそうに見えた。陛下は、私を抱きしめ、それでも足りないとばかりに翼でも包み込み、そして体をぎゅっと密着させた。肌同士が熱を持って触れる心地よさに蕩かされながら、私は瞳を閉じ、そして陛下の背中に腕を回す。
私は辛くて切なくて悲しかった。置いて逝かれるからじゃない。このさみしがりやで愛しい人が、私を思って悲しんでいるのが、辛かった。
「…もちろん『鶺鴒の巫女』を生むことを諦めてもらうことになるし、なにより、君が后になるのなら、お母さんに合わせてあげられないかもしれない。遠い船旅だからね、あそこまでは。……僕は君が好きだ。だからこそ、君を寂しくさせたくない」
「……陛下」
---
陛下との会話を思い出しながら、私はお茶を静かに嚥下する。
久瀬様は神妙な顔をして、私を見て辛そうに目を細めた。
「なんだ。知ってんのか。そうか……」
この方は優しい人なのだろう。春色様を見やれば眉尻を下げて首を振って笑う。仕方のないことだね、と言いたげな顔だった。
すると久瀬さまが気遣うように、ころりと明るい声音で言い出した。
「それならなんだ。祝言だけは家族みんななんとしても揃ったほうがいいよな。妹の祝言もあるし」
「え」
私は思わず彼の顔を見た。
妹、……?
「妹。聞いてなかったのか? サクラ。サエとダイスの娘でサイの妹。鶺鴒の巫女継承権2位だ」





