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106.羽化

 あの頃は瑞々しい新緑が影を落としていた庭園も池も、今は紅葉で燃えるような赤に染まっている。

 吹き抜ける風は肌寒く、足元に敷かれた緞通カーペットの踏み心地が心強い。

 店の主人が火を入れてくれた炉の暖かさが、胸の奥までほっこりと温めてくれるような気がした。


 お茶をいただき、甘味を堪能し、ゆったりと小休止をとったところで、私は久瀬様に話を切り出した。


「両親は、どんな風に暮らしていますか?」


 店の主人に借りた上着を掛け合わせながら(南方国育ちの久瀬様にはこの茶館は寒いらしい)、久瀬様は琥珀の双眸を柔らかくして、私の質問に快く答えてくれた。


「ダイス先生は足を悪くしているが、座ったままで診療を続けている。そしてサエさんは……なんつーかな。強いな、あの人は」


 姿を思い浮かべながら話しているのだろう、久瀬様はゆるく組んだ指先を見つめて微笑む。


「サエさんは朝から晩まで働き者さ。薬草畑の世話から回診、薬作りに事務処理まで、なんでもこなして日が暮れたら健康のため、と言ってさっさと寝る」

「母は相変わらずなんですね」


 私は記憶の中にある、母の姿を思い出していた。思い出すのが辛くて辛くて、一時期は顔も何も思い出せないくらいだったのに、今では母の声や染み付いた薬品の匂い、後ろ姿、襷掛けする時の心地よい布擦れの音まで、昨日のことのように思い出すことができる。


「ダイス先生はサエさんと違って、おっとりして静かな人だな。しかし度胸はサエさんに負けず劣らずで、うちの集落の若造どもが怒鳴り込んでも一歩も引かない。あの人を物腰で侮っているような奴らでも、最後にはみんな必ず、ダイス先生に頭が上がらなくなる」


 女領主として何かと色眼鏡で見られやすい母のそばで、いつも静かに微笑んでいた父。元貴族家出身の医師で、女領主の婿となるときは何かと中央貴族界で揶揄され、馬鹿にされることもあったと、私は父と離れてから初めて知った。父はくだらない周りの言葉よりも母の強い心を信じ、頑なに母のそばで働き続けた。

 二人がこうして南方国で大切にされていることが、私は何より嬉しい。


 私の顔を、卓の向こうで陛下が目を細めて見つめている。

 私もこうして気遣ってくれる人がいる。それが本当に、嬉しいことだと思う。


「サイの事も気にしていた。残してきた娘が幸せになることを、二人は何より願っていた」

「家を燃やされてしまって、恥ずかしい娘なのに……」

「家よりも娘が無事に幸せに暮らしていることが一番だと言っていた。クトレットラを離れたことで、かえってよかったと二人は安堵していた」


 そう思ってもらえるのなら、領地を失った元領主としては救われる思いがする。

 不意に、久瀬様は声の調子を落として私に尋ねた。


「なあ、鶺鴒の巫女。あんたは、陛下の女になるんだろ?」


 陛下ーー春色様が、真顔で動きを止める。その様子を横目で見て、久瀬は笑う。


「どうした、姉ちゃん」

「……ふふふ。なんでもありませんわ」

「そうか。……で、どうなんだ? 斎」


 真っ直ぐ、琥珀の瞳を向けられる。

 私はお茶をく、と飲み干し、そして答えた。


「はい。……私は陛下の妻になります」

「………そうか」


 久瀬様は手元の蓋碗を弄ぶ。そして言葉を選ぶようにして、私に再び尋ねた。


「……意味は、分かってるのか?」

「はい。陛下から全て伺いました」


 私はあの日、陛下から打ち明けられた話を思い出していた。



『僕は……世継ぎが羽化すれば、数年で、亡くなるだろう』

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