104.いつかこの日が来るとは思っていたけれど。
日が昇る前に、陛下は寝台から降りて北宮へと戻る支度を始めた。
「朝の礼拝を欠かす訳にはいかないからね」
そういって眠たげに、背伸びをして翼を広げる陛下。
私は侍女と共に陛下の髪を整え、衣を着つけるのを手伝った。陛下は侍女の目を焼かないように、身支度をされるあいだ目を閉じていたけれど、時折、顔にかけた薄絹の隙間から、私をちらりと見ては微笑んでみせた。
私は頬が熱くなるのをこらえながら、平然な振りをして衣を整えた。
準備をさせながら、陛下は侍女に尋ねた。
「太鼓橋には誰が待ってた?」
「右翼官様が」
「そう。緋暉ね」
陛下はどこか楽しそうに笑った。
「ああ、そうだ。……斎、」
別れ際、陛下は私を呼ぶ。
そして目の前で礼をする私に、白練りの衣から細い飾り帯を一つ引き抜いて渡した。
「これ。僕からの気持ち」
「……気持ち……」
両手でいただいたその絹帯は、細く透き通るほど繊細な作りのものだった。朝靄を織り上げたような、霞に触れているような儚い質量だ。
「……よいのでしょうか、こんな……」
「一晩一緒にいたのに、受け取ってくれないの?」
陛下はいたずらっ子のように唇を尖らせた。そして、頬を赤くする侍女ににっこりと笑う。
「ねえ、君。今日から『鶺鴒の巫女』の髪を結う時は、この絹帯を編み込んで使ってくれ」
「畏まりました」
「ふふ」
目を眇めた陛下は、満足げに私の頬を指先で撫ぜた。そして髪を耳にかきあげさせ、陛下が与えた耳飾りを弄る。指先で耳朶の産毛をくすぐられるような感触にぞくぞくする。
私の反応を見て、陛下はにこり、と唇で弧を描く。
「耳飾りも僕のだし、絹帯を与えたから……もう、誰にも渡さないよ、斎」
存外に陛下は、そんなことをいう人だったらしい。
私は意外な気持ちになりつつも、陛下の知らない一面をまた知ることができた嬉しさでいっぱいだった。
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その日の午前。儀礼関係の相談をしに来夜様の元に向かう。最初は平常通りの態度を取っていた彼だったが、日差しに透ける私の絹帯に気づき、ばさばさと書類を手から滑り落とした。
「ぎゃー」
「来夜様!?」
「な、あ……斎、君は……」
頬を赤らめているような、真っ青になっているような、顔色を複雑に変えながら後退る来夜様に、首をかしげると彼はたっぷり時間をかけて、静かで深いため息をついた。
「いや、うん……そうか。そう……まあ、いずれこうなるのはわかってたけどね」
彼は肩をすくめた。
「だけど早いよ!」
そして真面目な顔になり、改めて、少年の大きな瞳で私の顔を見据えた。
「わかっているの? 陛下の后になるということは――鶺鴒の巫女としては」
「承知しております」
「それに、……皇帝という存在は」
ばさばさと、鵲が飛んでいく。
図書寮の応接間から望む窓外は明るく眩しく、秋が深まっていくにつれて燃えるような紅葉が炎のように揺れているのが見えた。
秋が近い。
私は彼が飲み込んだ言葉を知っている。





