101.それは幸福で残酷な提案。
ざわ、と一部の人の空気がざわつく。しかし政治の最高位である右祐・郷大臣も南方国王久瀬様も動じていないところから、既に話は進んでいることを感じた。
「中央国は長年に渡る世継ぎ問題、気候による不作、魔力枯渇者の増大といった国難から救国すべく、第10代聖女・リリーを召喚して久しい。しかしリリーは聖女としての責務を果たさず、己の魔力をもって国を惑わし混乱に陥れた。現に聖騎士団はほぼ壊滅状態にあるという」
私は故郷の聖騎士団を思い出した。
聖騎士団は国防の要であり、状況によっては国王夫妻に次いだ権限を有する組織だ。私は聖騎士団がもともと内部腐敗をしていたことを知ってはいたが、まさか聖女によって瓦解してしまうほどもろくなってしまっているとは思わなかった。
「中央国は長年、南方国との国境である壹岐領付近への攻撃を続けている。また南方国、そしてこの壹岐領の子息である久瀬・壹岐乃香公のおかげで我が東方国の製薬業が反映しているといっても過言ではない。今回中央国の『聖女討伐援助』に応える代わりに、中央国には南方国への攻撃の停止と和平、そして南方国王として久瀬・壹岐乃香公を正式承認することを求め、そして合意した」
私は胸が熱くなった。
これは香辛料が体を温めてくれているだけではない。
両親が命を落とした戦争が、ようやく終わりを迎えるのだ。
「鶺鴒の巫女、斎」
「!……はい」
はっとして、私はすぐに返事をする。泣くのはまだ早い。
陛下は静かで落ち着いた『皇帝』の声で、私にまっすぐ話しかけた。
「これまで確証が取れていなかったので、まだ汝には話していなかったことがあった」
久瀬様が私を見つめているのに気づいた。
彼は目が合うと、そのぎらぎらとした瞳を細めて笑う。
まるで良い情報を与えられると、私に教えてくれるかのように。
「壹岐乃香公の邸宅にて数年前より、とある中央国の民間人を二名、賓客として匿っている。戦闘に巻き込まれた傷で1年ほど生死の境をさまよっていたが、その後回復して今では壹岐乃香公の邸宅に診療所を開設し、紛争で傷ついた東方国民を助けているという」
陛下の声以外、何も聞こえなくなった。
耳の奥がきんとして、そして胸が、真っ赤に滾る石を放り込まれたように熱い。
手が震える。
「汝の両親は存命だ。先代『鶺鴒の巫女』のサエ・クトレットラ、そして婿であり医師のダイス・クトレットラ。中央国・南方国間の和平が締結されたのち、汝が望むのならば再会も叶う」
私は晩餐会中であることも忘れてしまうほど、頭が真っ白になっていた。
戦地に民間人として赴く両親に抱きしめられた最後の記憶。見えなくなるまで見送った馬車の形、土に耳を寄せて聞こえなくなるまで聞いた蹄の音。
永遠にもう会えないと思っていた、大切な両親。
「斎。中央国と南方国の和平のため、『聖女討伐』に力を貸してほしい」
その時、久瀬様が陛下を見やる。席を立って床に膝をついて正式な礼で頭を下げた。
「東方国春果皇帝陛下、恐れながら我も一言、『鶺鴒の巫女』へ伝えてもよろしいか」
「よい」
「は」
久瀬様はそのまま私のほうへ体を向ける。そして――ぎらぎらとした太陽の眼差しで、私を見据えて口を開いた。
「東方国と南方国の同盟の証として、『鶺鴒の巫女』を我が妻に迎える準備ができている。我が国に斎殿が嫁ぐならば、未来永劫の『鶺鴒の巫女』の保護とご両親との生活を保障させていただく」
私は思わず陛下を見た。陛下の表情は、薄絹越しにはうかがえない。
彼は静かに、低く、穏やかな声音で私へと声をかけた。
「ご両親と一緒に暮らし、鶺鴒の巫女の血を自らの子として残したいのなら、彼の妻として嫁ぐことを予は了承する。――鶺鴒の巫女の好きに判断するとよい」





