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アイドリングアイドル!  作者: 蒼原悠
★frontside★
7/12

7# 暗幕に夢を描いて



 

 流星★こめっとの出演するはずだった枠は、午後七時から七時半までの三十分間。舞台への登壇までに残された時間は、間もなく一時間を切ろうとしていた。

 仕事を請けることが決まるや否や、明日菜は不可思議な要求をしてきた。


「先払いで出演料を受け取ることはできませんか」


 問題ないと判断したのか、麦はすぐさま会場の奥から三十万円分の買い物券を用意してきた。すると明日菜はそれを丸ごと文綾に渡し、「お願いがあるんですけど」と言った。


「サイリウムって分かりますか」

「ケミカルライトのこと?」

「それです! それを今すぐたくさん買い込んでもらいたいんです」

「たくさんってどのくらい?」

「会場全体に行き渡らせたいから……二千本くらい」

「無理!」


 思わず文綾は吼えた。とんでもない数だ、二千本も店頭に並んでいるはずがない。しかし明日菜たちも頑なに「お願いします」と言い張って譲らない。


「ここ、普段はアイドルの単独公演にも使われるようなライブホールなんです。買いに来るお客さんがたくさんいるはずだから、店内にもけっこう在庫の用意が確保されてると思うんですっ」

「色はオレンジ、グリーン、ブルーの三色を適当に混ぜる感じでお願いします!」

「買えたら急いでうちらのところに持ってきてもらえませんか。お礼って言ったらアレですけど、使わなかった残りの買い物券は松永さんに差し上げます」


 不覚にも心がときめいたことは口が裂けても白状できない。そこまで説得されたからには仕方なく、文綾はその場を離れ、サイリウムを求めて館内を駆け回った。二階のドラッグストアと家電量販店、四階の日用品店、五階の雑貨屋、六階の百円ショップ。とにかく思いつくままに在庫のありそうな店頭へ飛び込んだ。店員からは一様に変質者を見るような顔を向けられたが、最終的に雑貨屋と百円ショップで調達のめどが立ち、それぞれ一千本ずつを購入することができた。

 これじゃ一人で商社やってるみたいだな、私。

 段ボール箱を抱えてエレベーターに乗り込みながら、込み上げてきた変な笑いを文綾は噛み締めた。世界中から商品をかき集めて国内に提供し、国中の経済を回すための下地を作るのが総合商社の役目なら、いま文綾のやっていることはまさに商社と変わらない。仕入れる内容と相手の規模が、ほんのちょっぴり異なるだけだ。

 ライブホールの控室に辿り着くと、そこでは三人がライティングや音響のスタッフと打ち合わせに臨んでいる最中だった。気づいた真央が駆けてきて「ありがとうございます!」と腕を伸ばし、箱を受け取った。


「こんなにたくさんどうするの?」

「全部にサインを書き込むんです」

「全部!? いったい何本あると思って……」

「うち、こういう細かい作業を続けるのは得意なんですよ。こう見えても」


 言いながら真央は段ボール箱に手を突っ込み、掴み出した袋を片っ端から破き始める。どう考えても終わるわけがない。見ていられなくなり、やむなく文綾も「手伝うよ」と申し出た。文綾の取り出したサイリウムに真央が油性ペンでサインを書き入れ、また箱に戻す。擬音にあふれた明日菜の奇怪な表現と佑の通訳を交互に挟みながら打ち合わせが続く横で、二人きりの作業は淡々と進められた。


「打ち合わせ行かなくて大丈夫?」


 作業に勤しみつつ、心配になって問わずにはいられなかった。すさまじい勢いでペンを動かしながら「大丈夫です」と真央は凛々しく言い切った。


「歌詞と振り付けの確認は済ませました。全員ダンスのフォーメーションは頭に入ってるから、ライティングの打ち合わせは誰がやっても問題ないし。音響に関してはまゆうが一番分かってるので」

「でもほら、打ち合わせはよくてもダンスの練習とか……」

「そんなの必要ないですよ。どんだけ繰り返してきたと思ってるんですか、レッスン」


 その声には隅々まで自信が満ちて力強い。つい小一時間前、同じ口がアイドルを辞める算段を立てていたようには到底思えない口ぶりだ。宇宙科学未来館での見事なダンスを思い返した文綾が「そうだったね」と苦笑すると、真央は鼻息も荒く独り言ちた。


「こういう時のためにずっと苦労してきたんだから」


 文綾は完成済みのサイリウムを覗き込んだ。乱れることなく均一に描かれた【Asteroid】のサインが、まるで書き手の主張を裏付けるように黒い影を連ねている。「ずっと苦労してきた」という言葉の重みをこれほど深刻に実感することも滅多にないと、ふたたび袋を裂く作業に戻りながら考えた。それは(おご)りでもなければ誇張でもない。彼女たちは事実として、報われない苦労を今日まで延々と続けてきたのだ。

 打ち合わせを終えた二人が戻ってきて、サイン執筆作業に加わった。本人たち曰く「調達が面倒くさい」というので、衣装はそれぞれが着ていた私服のままで統一しない。音源は佑のスマートフォンに入っていた低音質のカラオケ演奏のみで、照明も基本的には三人の立ち位置をピンスポットライトで照らすのみ。事前準備ほぼ皆無の即席ライブに臨もうとしているAsteroidの面持ちは、そのわりに傍目には信じられないほど明るく、余分な緊張さえ抜けきって見えた。

 どうにか五百本のサイン入りサイリウムを用意できた頃には、出演の十分前を切っていた。


「あとは大丈夫? 手伝えることはない?」


 おろおろと文綾が訊くと、三人は揃って首を横に振った。


「むしろここまで突き合わせちゃって申し訳ないくらいだよね」

「それはまぁ……ほら、乗り掛かった舟ってやつだから」

「えへへ。乗り掛かってくれたのが松永さんでよかったな」


 屈託なく笑った明日菜は段ボールの中からサイン入りのサイリウムを引っ掴み、「あげます」といって文綾の手に握らせた。手の中へ納まった三本のカラフルな棒を、ぱきり、と折ってみる。まばゆい光が手のひらをあふれ出して、文綾はどこからか見えない活力を分け与えられたような気分になった。

 当の三人からの説明はなかったが、オレンジ、ブルー、グリーンの三色は、それぞれ明日菜(あすちゃん)真央(まおっち)(まゆう)を意味するイメージカラーになっている。なぜ文綾がそのことを知っているのかといえば、それは文綾がマネージャーの密命を受けて三人を捜索し、マネージャーのもとへ連行する役目を負っていたからだ。そのマネージャーはAsteroidをして「学業をおろそかにしないで週に何度もレッスン受けて、どんな仕事にもめげずに取り組んできた子たち」と評していた。逆境続きのアイドル人生を三年も続けてきた少女たちの眼差しは、完全アウェイのステージに飛び込みで出演するという途方もない挑戦を前にしても、少しも動じているようには見えなかった。


「わたしたち、決めたんです。今日はお客さんのためじゃなくって、自分たちのためにステージに立とうって」


 明日菜はオレンジのサイリウムを握りしめた。真央も、佑も、それぞれ同じように自分の色を手に取った。


「せっかくマネージャーさんの目もないんだし、三人だけでカラオケに遊びに来たくらいの感覚で好きなことやって暴れてきます。いつも振り回されてがっかりし続けて疲れちゃったから、今日くらいはそういうのでもいいかなーって思ったんです」

「普段だったら私服で出演なんてありえないもんね」

「サイリウムとかペンラに落書きもしないしな」

「今回はほんとにやりたい放題だね、わたしたち」


 うきうきと語り合う三人を前にして、やりたい放題だったのは日中も同じでしょ──という突っ込みを文綾は飲み込んだ。堅苦しい身分に縛られて我慢の日々を送っている彼女たちのことだ、たまにはやりたい放題の日があってもいい。今回は偶然、その場に文綾が居合わせただけのこと。生き生きと輝く十七歳たちの眼差しを傍観することにいつしか満足を覚え、もっと眺めていたい、輝ける場所を提供してやりたいと願っただけのことだ。

 どんな言葉で励ませばいいか分からなかったものだから、とりあえず「頑張ってね」と言葉をかけて、そそくさと控室を後にした。薄暗いホールの客席エリアに出ると、そこではすでにスタッフの手でサイリウムの配布が開始されていた。四本に一本はメンバー直筆のサイン入りである。会場内にAsteroidのファンが居合わせていたのか、どこかで「おおーっ!」と雄叫びが上がったのを耳にした気がする。何の前情報もなしに推しのアイドルが出演する場面に立ち会えば、あんな声の一つや二つも上げたくなるものだろうか。


「私も受け取った」


 グリーンのサイリウムを手にした麦が近づいてきた。欲張りに見えそうで気恥ずかしくなり、文綾は三本ものサイリウムをこっそり後ろ手に隠した。


「さすがだね、あの子たち。あっという間にこんなの用意しちゃうなんて。カイパーベルト所属のアイドルはやっぱり格が違うよ」


 私が手伝ったんです、などと事実を吐露するのも無粋に思えて、文綾は「はは……」と口の中だけで笑い返した。彼女はカイパーベルト・プロモーション所属のタレントを千手観音か超能力者の(たぐ)いだと思っている気がする。


「最初にアイドルなんですって紹介された時はびっくりしたけど、たまたま居合わせたのがあの子たちと松永ちゃんでよかったな。館内放送でもばっちり告知させてもらったし、これで来場者がもっと来てくれるといいけど」

「どうですかね。用意があるのは一曲だけって言ってたしな……」

「一曲だって十分にありがたいよ。私らスタッフがどんなに頑張ったって、あの子たちみたいに会場のお客さんを楽しませることは絶対できないんだもの」


 嘆息しながら麦もサイリウムを折って光らせた。

 ぼう、と緑の光があたりを照らし出す。付近の客たちも続々とサイリウムを折って発光させ始め、会場内には点々とカラフルな街明かりが(とも)りつつある。この大量のサイリウム配布こそ、飛び入りで参加するAsteroidが他の歌手やタレントに埋もれてしまわないために、短い準備時間で彼女たちが考案した秘策だった。光量で周囲に勝てないのなら、色を変えることで目立てばいい。出演料の半分に当たるほどの金額を費やしてまでも、彼女たちは自分らしく光り輝く道を模索したのだ。誰に言われたわけでもなく、みずからの意思と工夫に従って。

 ──さあ、準備は整った。

 どうか私にも見せてよ。あなたたちの夢見る世界の片鱗を。

 さざめきの中で文綾は固唾(かたず)を飲んだ。たった一曲の舞台に彼女たちはすべてをぶつけてくるはずだと信じて、隠していた三本のサイリウムをそっと右手に持ち替えた。

 現実はいつだって非情だ。アイドルという幻想がどれだけ脆く、壊れやすく、夢見たものを傷付ける代物かを、同じように夢を見て(くずお)れた文綾は少しだけ理解できる気がする。だからこそ、あと少しでいい。ほんの少しでいいから、大人になりきらない三人のアイドルを夢の世界で生かしてあげたい。歩き疲れた文綾のように(うつむ)きながら生きる大人になるには、十七歳という年齢はあまりにも早すぎる。華やかな聖夜のひとときくらい、どうか素敵な夢を見ていてよ。夢見る幸せな少女のままでいてよ──。今は一切の冷笑も(さげす)みもなく、胸を張ってそう伝えられる気がする。

 どうしてこれほど三人に固執してしまうのか、文綾にも理解はできていないのかもしれない。たった一つ分かっていることがあるとすれば、それは道端で座り込んでいた三人にスナックバーを提供して以来、とうとう最後まで彼女たちを他人事のように思えなかったという事実だけ。

 きっと文綾は三人の背中に、かつての自分をどうしようもなく重ねている。

 多分、それだけのことだったのだ。



「──それでは臨時出演『Asteroid』さんの登場です!」


 場内アナウンスが幕を上げる。賑やかなサウンドエフェクトとともに、せり上がった舞台の床からAsteroidの三人が飛び出した。私服姿の登場に少なからぬ観客が驚きの声を漏らしたが、当の三人は有象無象の反応など意にも介さず、それぞれに自己紹介を始めた。


「はじめましての人もいつもの人も、こんばんは!」

「まゆうです!」

「まおっちです!」

「そしてわたし、あすちゃんを合わせて……」


 明日菜の自己紹介とともにステージの背景が切り替わった。星の意匠をあしらったユニットのロゴが思いっきり拡大されて表示され、そこにメンバーの「Asteroidですっ!」という叫びがぴったり重ねられる。


「わたしたち、今日はちょっと色々あって飛び入りで参加させてもらうことになりました! もうね、色々あったんですよ。急にスタッフさんからわーって話しかけられて、わたしたちもうわうわーってわちゃわちゃ考えてっ」

「『スタッフさんから出演を持ち掛けられて必死に悩んだ』って言ってます」

「まゆうすごい! よく今ので分かったねぇ」

「ほんと困るんですよね……。一応この子がうちらのリーダーでMC担当なんですけど、メンバーの中でいちばん何を言ってるのか分かんないんですよ」


 真央の嘆息が効いたらしく、客席からはちらほらと笑い声が上がっている。しめた、とばかりに三人は互いを見合わせた。掴みのMCの調子は悪くない。


「わたしたちAsteroidは、今年で結成三周年を迎える十七歳の女子高生三人組です。東京の神田にある事務所に所属して、今は近くの秋葉原(あきはばら)亀戸(かめいど)あたりを拠点に活動していますっ。ここ臨海副都心でイベントに出演するのは初めてなので、今日は初めましての人が大半なんじゃないかなって!」

「ほんとだ、見たことない顔のお客さんばっかりだ」

「お客さんの顔ほんとに覚えてんの?」

「当たり前じゃん。大好きなお客さんの顔はばっちり覚えてるよ。たまに果物の差し入れをくれるのはジャンガリアンみたいな顔の人でしょ、そんでお菓子の差し入れくれる人はモモンガみたいな顔で……」

「みんな食べもの関係だし、なんなら例えが全部ペットっていうね」

「まゆうの記憶力はあんな感じだけど、わたしたちはまだファンの方が少ないので、来てくれた人たちのことはすぐに覚えて大好きになっちゃいます! もうね、握手会にたくさん人が来てくれた時なんて、今すっごいクールなこと言ってるまおっちも吹っ切れたみたいにブシャーッてなるし、わたしたちも釣られてフワフワしちゃうっていうか、ぐっちゃになってシャワシャワしたくなるっていうか!」

「あすちゃん、日本語でしゃべって……」

「お願いだからうちらの翻訳能力の限界をやすやすと越えないで……」


 奔放の極致に達した明日菜の表現力と、そこに畳みかけられる通訳の突っ込みが、客席の失笑を次第に本物の笑いへ変えてゆく。さりげない雑談のようだが、実際には三人はサイリウムにサインを書き込みつつ、同時にMCの内容も細かく打ち合わせていた。何もかも自分たちでやり遂げねばならないという覚悟が三人に本腰を入れさせたのか、それとも普段からこれほどの準備魔なのか。いずれにしてもAsteroidは今、笑顔の下で恐ろしいほど本気である。

 ふと隣に目をやれば、期待の眼差しで口角を上げている麦の横顔が視界をよぎる。なんだか自分の愛娘の晴れ舞台を目の当たりにしているような心境で、うずく胸の奥の衝動を文綾は深呼吸で濁した。心地よい三人の汗の匂いは熱気の予感に代わって、客席に集う無数の聴衆を少しずつ、しかし着実に飲み込んでゆく。


「わ、やばい! あそこでスタッフさんが【あと五分】ってパネルに書いてる」

「あすちゃんがよく分かんない言葉でグダグダMCしてるからだよ」

「実はうちら飛び入り参加だったので、曲を一つしか用意できていないんです。出演時間も一〇分しかないみたいで、出てきたばかりなのにもうすぐお別れしなくちゃいけないんですけど……」

「退場の前に一曲くらいやりたいよね」

「歌もダンスもなしに退場したらマジで漫才師だと思われるよね、うちら」

「今回用意してきたのは、わたしたちAsteroidが活動開始三周年を迎えた今年、初めてわたしたち自身で歌詞を書き下ろしたオリジナルの曲です。クリスマスイブに歌うつもりの曲として書かれたものじゃないから場違いかもしれないけど、このステージはオリオンシティのリニューアルオープン記念イベントだと聞いてるので、そういう意味ではちょっぴりふさわしい曲を選べたかなって思ってます!」


 明日菜が照れ笑いで場を和ませている隙に、両側の二人がすばやくステージ内を移動して配置についた。その手にはメンバーカラーを配したサイリウムが握られている。「皆さんピカピカ棒はもらいましたかー?」と明日菜が呼びかけると、客席からは何十本ものサイリウムが掲げられた。もちろん文綾も掲げたうちの一人だった。照明の落とされたホールに点々と立ち上がる光の柱は、まるで満天の星空を見上げる都市夜景だ。


「あ、わたしの色が少ない……。あとでスタッフさんに文句いわなくちゃ」


 ひっそりと明日菜のこぼした不平を「こらこら」と真央が苦笑で戒める。

 頬を膨らませたのも束の間、明日菜も二人にならってサイリウムを握り直した。登壇以来ずっと柔軟に緩みきっていた表情筋が、その一瞬だけ鎮静を取り戻す。吐息すらマイクに拾われそうなほど深く空気を吸い込んだ彼女は、落ち着いた眼差しで客席を見回した。なぜか文綾の目には、自分が探されているように映った。

 謡うように、唱えるように、「聴いてください」と彼女は言った。


「『Asnote(アスノート)』」


 急激に流れ込んだ静寂が、舞台上の照明をも一斉に落としてしまう。掴むもののない真空の宇宙に放り出されたような不安感が胸にあふれて溺れかけた瞬間、一直線のスポットライトが三人の場所を煌々と照らした。真っ黒に落とされた背景はやがて星空の映像に切り替わり、アーク放電の破裂させる金色の光は太陽になって、舞台上に並ぶ小惑星(アステロイド)の輪郭をくっきりと夜空に映し出した。



「♪ねぇ 私いつかきっと伝えるよ

この胸の想いも愛もぜんぶぜんぶ 歌に乗せて」



 歌い出しとともに伴奏が流れ始めた。透き通った美声で先陣を切ったのは、グリーンのサイリウムを手にした佑だ。続けて二行目のフレーズを三人の和声が彩り、次いで賑やかな前奏が慌ただしく流れ出す。180BPMのリズミカルな前奏の爆音に波長を合わせ、客席のサイリウムが拍子をうって動き出す。気づけば文綾も釣られていた。



「♪失敗だらけの一日終わり 帰りの道で見上げた空は

華やかに舞うキラキラの星がまぶしくて(まぶしくて)

今日も光を放てなかった 飲み込み続けた私の心

小さな胸には苦しくて 星屑みたいにこぼれ落ちた」



 マイクを口元へやった佑と明日菜が、高音の伸びる声で交互に一番Aパートを歌い出す。音痴だ音痴だとメンバーから揶揄されている割には、いっぱしのアイドルだけあって明日菜も見事な歌いっぷりだ。そういえば作詞をしたのも明日菜だと言っていた。おぼつかないながらも活力にあふれた明日菜の声は等身大の歌詞に輝かしく映えて、日々を生きる彼女たちの姿を文綾の脳裏に鮮やかな()で出力した。目標もなく繰り返されるレッスンやオーディション、振るわない営業活動、見向きもされない宣材写真やCD、対バンライブを重ねるたび思い知らされるファン層の薄さ、続々と追い越してゆく後輩アイドル達の背中──。苦い味のつばが喉をせり上がってきて、文綾はぐっと喉を鳴らした。いつか退職慰労の飲み会の場で泣きながら浴びたビールの苦味と、飲み込んだつばの味はよく似ていた。



「♪君には笑ってほしいけど 私は上手く笑えないから

丈夫な服に心を包むの(弱くて小さな宇宙飛行士(アストロノート)

それでも空を泳いでみたくて

君のもとまで飛んでみたくて

夜を駆ける星に願いを掛けたんだ」



 引っ込み気味な佑の声と芯のある真央の声が、物語の続きを感情表現も豊かに歌い叫ぶ。思うままにならない現実が息苦しい、しかし(くじ)けるだけでは終わりたくないという彼女たちの悲鳴が、ステージの空気を凛と揺らして燃え上がった。少なくとも文綾の耳にはそう聴こえていた。──そうとも、彼女たちは事実として何度も心を折りかけ、くじけて道端へ座り込みかけたのだろう。そのたびに励まし合って自力で立ち上がり、再起を繰り返してきた。それは三人がひとえにアイドルという壮大な夢を諦めきれず、誰かの心に響く存在でありたいと願わずにはいられなかったから。

 けれども三年の月日が経つうちに、とうとう限界がやってきた。

 彼女たちはおそらく今日、生まれて初めて、アイドルの夢を本気で手放しそうになった。

 そこにたまたま文綾が居合わせた。何も知らない文綾の投じた金銭とチャンスは、墜落して座り込んだ三人の背中に思いがけず燃料を注入し、アンビリカルケーブルをつないで発射台に載せてしまった。かくして今、打ち上げシークエンスは最終段階に突入しつつある。秒読みとともにノズルから炸裂して舞い上がる噴煙のごとく、一気に迫力の高まった伴奏が客席の熱気を最高潮に引き上げる。

 明日菜も、真央も、佑も、声を合わせた。



「♪ねぇ 私いつかきっと伝えるよ

この胸の想いも愛もぜんぶぜんぶ 歌に乗せて

ねぇ だからどうか君も聞かせてよ

君の心のカタチを知って もっと近づきたいよ

立ち止まってなんかいられない

臆病に伸びた私の影を

明日はきっと追い越してみせるから」



 サビの爆発的な盛り上がりが、文綾の胸から羞恥心を残らず消し飛ばした。無意識のうちに文綾は見よう見真似で周囲の聴衆に合わせ、サイリウムを高く掲げ、振り、全身で曲への愛を表現していた。大人しく聴き入っている無関心の客と同化していたくなかった。この指先で輝く光の軌跡が三人の目に届けばいい、届いてほしいと願わずにはいられなかった。

 ──わたしたちの夢の先に、文綾(きみ)がいる。わたしたちを愛してくれるすべての人に、わたしたちのすべてをもって応えたい。どんなにくじけても立ち上がって、きらびやかな夢の行く末を共有してみせる。もっともっと大きくなってみせる。だからどうかわたしたちと一緒にいて、隣で笑っていて──。

 言葉にならない衝動の彼方で、Asteroidの三人はそう叫んでいる気がする。

 花火の打ち上がる祭りのように華やかな調子のまま、曲は間奏に突入した。切れのいい真央のダンスを中心にして、星空のスクリーンに三人の振り付けがあでやかに焼き付く。ひるがえるジャケットやスカートの動きに目を奪われながら、この光景はしばらく忘れられないな、と文綾は思った。半年ぶりに噛み締めた幻想の甘さと、気の遠くなるような強い刺激に、このままいつまでも酔いしれていたいとさえ思った。



「♪渦巻く銀河を目で追うように 何かに追われて駆け抜ける日々

いつしか空を見上げることさえ苦しくて(苦しくて)

今日も星座を描けなかった さまよい続ける私の心

広い宇宙の片隅で 憧れだけが膨れてった


一番星になりたいけれど 私は上手く輝けないから

君の光に力をもらうの(夢見るばかりの宇宙飛行士(アストロノート)

それでも惹かれる世界を探して

暗黒の雲をかき分け抜けて

火を噴くロケットに未来を託すんだ


ねぇ 私いつかきっと伝えるよ

噛み締めた涙も痛みもぜんぶぜんぶ 声に出して

ねぇ だからどうか君も聞かせてよ

君を導く光になって ずっと隣にいたいよ

立ち止まってなんかいられない

恐れて縮んだ私の影を

明日はきっと飛び越えてみせるから


抱きしめた勇気 背中のブースター

地球を蹴って天まで登れ

透き通った夜空の向こうに

ほら 明日(あす)の音が響き始めてる

私の音が脈を打ってる


ねぇ 私いつかきっと伝えるよ

この胸の想いも愛もぜんぶぜんぶ 歌に乗せて

ねぇ だからどうか君も聞かせてよ

君の心のカタチを知って もっと近づきたいよ

立ち止まってなんかいられない

臆病に伸びた私の影を

明日はきっと追い越してみせるから」



 白日夢に囚われたような気分だった。盛大な後奏の締めにピアノの音を強く響かせ、喝采に包まれながらAsteroidが退場してゆくのを、文綾はどこか遠くの星を眺めるような心境で見つめていた。

 力の限り笑い、歌い、舞い踊る彼女たちの姿に、果たして昔の自分は上手く重なっていただろうか。──曲の途中からそんなことばかり考えていた気がする。そして答えは今、飛び入りの公演を情熱だけで成功させた三人のアイドルを前にして、はっきりと「否」になろうとしていた。夢見るだけでは終わらない、逆境に直面して未来を切り拓く勇気や力を振り絞った彼女たちは、夢に散った自分の何倍も精悍な顔つきをしていた。

 夢を諦めることだけが大人の成立条件ではない。

 追いかけ続ける覚悟と力を持った者は、夢を諦めた者よりも強いのだ。

 私、あの子たちに本当に追い越されたんだな──。サビの歌詞を思い返して感傷に浸っている間は、まるで時が止まったかのように思われた。いろいろの衝動が体内をやかましく駆け回って仕方ない。それらの衝動をひとくくりにして表現するなら、やはり「憧れ」という言葉がふさわしいのだろうと、火照(ほて)った頬を拭いながら文綾は考えた。


 ──たとえそれが、スポットライトの光を照り返しているだけであろうとも。

 ステージ上で満面の笑みを放つ三つの小惑星は、確かにその瞬間、まばゆい恒星(スター)のように華々しく燃え、まだ見ぬ明日の方角を鮮明に照らしていた。




「よくないことって何だったんですか」

「何でもないよ。ここまで来ればもう大丈夫」

「そう言われると気になるよね」

「爆弾テロとか?」

「その理屈だと松永さんがテロ組織の一味ってことになるけど」


▶▶▶次回【8# 絆の紡ぐ明日】

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