小惑星たちの軌跡 Ⅲ
当然のことながら日向は怒り心頭に発していた。
夜叉の目つきで出迎えた日向に明日菜たちは怯んだが、勇気を振り絞って率直な心境をぶつけた。バックダンサーの一員などという仕事に魅力が見いだせず、意欲を喪失しかけていたこと。メンバーには遅刻厳禁を言い渡しているくせに自分は遅刻しても許されると思っている傲慢さへの憤り。──いささか誇張しすぎた気もする。当然、日向はAsteroidの無断脱走こそがもっともいけないことだと指摘し、「一体どうしたかったのか」と厳しく問い返してきた。
そして、その問いかけは結果的に、Asteroidとマネージャーの大いなる再挑戦の発端となる役目を果たした。
四人は数日もの時間を費やし、レッスンも何もかも投げ出して徹底的に議論を交わした。Asteroidをどんなアイドルとして売り出してゆきたいのか。何を活動の柱として、何を表現するのか。少ない資金をどこにつぎ込むのか。議論すべき課題は無数にあった。そして、それぞれの夢のカタチを再確認したAsteroidの三人には、今や議論の下敷きとなるべきビジョンが明確に存在していた。以前のように月並みな可愛らしいアイドルを目指すのではなく、等身大の不安や悩み、感激、感動、感傷、願い、そして楽しみを表現するアイドルでありたい。アイドルらしさを飾り立てることを辞め、誰もが自然体で共感できる存在になりたい──。
話し合いは紛糾した。できないものはできないと日向は何度も叫んだし、それを実現に持っていくのがマネージャーの役割じゃないのかと明日菜たちも叫んだ。三人はおろか日向さえもが時おり感情を喉に詰まらせ、目尻に大粒の涙を浮かべる有様だった。ここまで真正面から議論を交えたことなど、カイパーベルトに移籍してからの約二年半で一度も経験しなかったことだ。互いに慣れない距離感で言葉をぶつけ合い、傷つく場面もあったけれど、ついにはどうにか四人全員の納得できる妥結点を見つけることに成功した。
衣装は一新され、それまでのフリフリした可愛らしいものから、軍服の意匠をアレンジしたスマートなデザインへ変更になった。従来のCDジャケット用の写真では無理をしてでも笑顔を見せてきたが、『Asnote』のジャケ写では三人は笑わなかった。遠い星の光を見据え、夢との距離を測るような眼差しの写真は、当初こそ既存ファンの動揺を誘ったものの、それまでにない凛々しさがウケて大幅な売上増に成功。新生Asteroidの活動路線を知らしめることに一役買ってくれた。
ライブパフォーマンスも大きく変更された。従来通りのゆるくてグダグダなMCと、時としてメンバーの顔から笑みが消し飛ぶ真剣なパフォーマンスのギャップは、熱心に通い詰めるようになったアイドルオタクたちの口コミで次第に話題を呼んでいった。これまでのAsteroidとは何もかもが違うと誰もが言った。
この評判を受け、かつて何度も対バンで共演したことのあるアイドルユニットがふたたび声をかけてきた。長きにわたり封印してきた対バン出演を日向はついに許可し、Asteroidはライブハウスのステージに立った。Asteroid側のファンは相変わらず少数派だったはずなのに、終幕後の物販やチェキ会では明日菜たちの前に大行列が発生。当のアイドルたちからも「見直した」と賛辞をもらう結果となった。
表面上は売れないアイドルのまま。
公式ファンクラブ『I.S.S.』の会員数もようやく千人に達したばかり。
それでもAsteroidは確かに光明を見いだしつつあった。
次は何を仕掛けてゆこうか──。メンバー三人と日向とで頭を悩ませている最中、大事件が起こる。勝手に出演したクリスマスイブのイベント中に撮影されていた動画と画像が、アイドルオタクの手によってインターネット上に流出、拡散。未発見のアイドルとして大注目を浴び、公式ホームページやSNSアカウントにアクセスが集中したのだ。所属事務所がカイパーベルトという大所帯であることもたちまち発覚し、同じカイパーベルト所属の流星★こめっとのブレイクになぞらえて「第二の流星」と囃し立てられたAsteroidは、わずか一週間のうちにファンクラブ会員数が一万人を突破するという快挙を成し遂げる。──そしてそれは今にして思えば、のちに続く急激なAsteroidの人気沸騰の、ほんの序章の出来事に過ぎなかったのだ。
大ブレイクの傍ら、急増してゆく登録会員の一覧を明日菜たちは調べて回った。どんなに日向から不思議がられても、毎週のように新規会員の名前をチェックすることだけは怠らなかった。ファンの名前を極力覚えたいのだと言い張れば、たちまち日向は感心げな眼差しとともに許可をくれた。
もっとも、実際に探したかった名前は一つだけだ。──どこかに「松永」という苗字の人間が入っていないかと、手分けして目を皿にして探し続けた。けれども会員数が二万人を突破した時点でも、三人の目に該当者はひとりしか留まらなかった。
会員番号346番、松永文綾。
東京都江東区辰巳在住。
これが、あの「松永さん」なのだろうか──。確信を持てるほどの根拠もなく、しばらくの間は半信半疑だったが、ふたたび翌年のクリスマスイブを迎え、登録者が三万人を超えた時点でも新たな「松永」が現れなかった時点で、明日菜たちは結論を出すことに決めた。あの日、三人を夢の舞台へ導いてくれたベージュ色のサンタクロースは、この女性なのだと。
「──松永さんがどこで何をしてる人なのか、わたしたち何も分からないから」
立ち去ってゆこうとする松永の手を引きたくて、離ればなれになりたくない一心で叫んだ言葉。それが真っ赤な嘘であることを、叫びながら明日菜は自覚していた。何一つ自己紹介せずとも三人の細かな情報を知っていた時点で、もはや彼女は明らかにただの通りすがりではなかった。カイパーベルトの関係者か、Asteroidの隠れファンの一人か、さもなくばマネージャーの日向の知人か──。それより先の推測を立てるには情報が足りない。いずれにせよ松永はすべてを理解した上で、傷心の明日菜たちをリニューアルイベントの舞台へいざなってくれたはずだった。
明日菜の訴えた言葉に、果たして松永は応えてくれたのだろうか。もしもどこかで再会できたなら真意を問いただせるのに、あれから松永の姿をイベントで見たことは一度もない。メールの一通さえ送られてきたことがない。だから明日菜は寂しく妄想するにとどめていた。──もしも彼女がイベントに来てくれたなら、誰よりも長く握手をして、誰よりもたくさん写真を撮って、誰よりもいっぱい「ありがとう」と伝えてやる。別れ際にタクシーのドアに遮られて伝えきれなかった分の感謝と愛情を、泣いてしまうほどの笑顔でぶつけてやるのだ。
その悲願を達成するまで、少なくともアイドルは辞められない。
達成したらしたで辞められなくなる気もする。
それほどまでに彼女の存在が三人の中で大きくなりつつあるのだと、どうか、どうか、当の松永に伝わればいいのに。
たった一人のファンを特別扱いするだなんて許されざる態度だと分かっていても、明日菜はそう願わずにはいられないのだった。
◆
「──お疲れさま。今日もいいステージになったね」
スタッフへのあいさつ回りを終え、汗だくで楽屋に戻りながら、穏やかな口ぶりで日向が微笑した。ちょっぴり誇らしくなった明日菜の隣で「いつものことだもん」と佑が胸を張ってみせる。
「いつも出演直前は緊張で手汗まみれになってるくせに、どの口が言ってるんだか」
「緊張しいなのと実力は関係ないもん」
「それ言うならまおっちだって、ライブの直前になると急にお腹グーグー言わせながらカロリー食ェーサーむさぼってるじゃんね」
「わーうるさい! 須田さんの前でそういう余計なこと言わなくていいんだよ!」
「……まだそんなことやってるの、真央」
「やってません! いややってるけど! そのぶん筋トレちゃんとしてるから体型維持は……!」
「でもちょっと頬は丸くなったよね」
「まおっちも私と一緒にサイドプランク頑張らなきゃ」
「くっ……まゆうの口からそんな台詞を聞くことになるだなんて屈辱……」
「サイドプランク頑張っても顔は変わらないでしょうに」
騒々しく廊下の真ん中を占有する四人を、通りがかりのスタッフたちが可笑しげに避けていった。真面目で努力家で礼儀も正しいのに、あの子たちがいるだけで楽屋や控室の空気が変に明るい──。頻繁に利用しているライブハウスの運営スタッフからは、そんな評判を投げかけられたこともある。真意のほどを尋ねる勇気はないので、一応、誉め言葉として受け取るように心がけている。
単独ライブを開催できるようになって数ヶ月が経った。今日の箱は、かつて日向に黙って出演したクリスマスイベントの舞台、オリオンシティ東京プラザのライブホールだ。「イブの奇跡」の発端になった動画がここで撮影されたこともあり、不本意ながらもファンの聖地と化してしまったので、最近は何度もここを利用させてもらっている。スタンディング時のキャパシティが二四〇〇人を数える、決して小さくはないはずのライブホールだが、近ごろはいささか手狭にも感じられるようになってきた。Asteroidのライブに訪れるファンの数はそれほど急増を見せているのだった。
もはやファンの顔をひとりひとり覚えることもできない。よほどの古参か握手会の常連、ファンボックスへ定期的に手紙や贈り物を入れてくれる人でもなければ、名前さえ分からないファンが圧倒的大多数になってしまった。ファンが少ないなりに共感性の高さや距離の近さを売りにしようと思っていたAsteroidにとって、それは嬉しい誤算でもあり、同時に迷いどころでもある。これからますますトップアイドル街道を邁進して、ライブ会場の規模も大きくなるたび、個々のファンを把握することはいっそう難しくなってゆくのだろうか。
「ねぇ、あなたたち」
ふとしたように日向が切り出した。
「こないだ話したホールコンサート企画の話、覚えてる?」
「五〇〇〇人くらいのハコでやれたらいいよねって話してたやつですか?」
「そう、それなんだけど。ちょっと伝手があって、いまコスモシア横浜の国立大ホールでやれたらいいなって話をしてるとこなんだよね」
「あのコスモシアですか!?」
真央が叫んだ。コスモシア横浜といえば神奈川県横浜市の臨海地区、みなとみらい21に敷地を持つ複合コンベンションセンターだ。その一角に鎮座する国立大ホールは、首都圏最大級となる五〇〇二席ものキャパシティを有し、立地に優れていて音響面の評価も高い。名だたる国民的アイドルの多くがこの地でライブを催し、爆発的な人気の勢いを遺憾なく発揮している。
「夢みたい! コスモシアでライブやれたら楽しいだろうなっ」
「とうとう須田さんもそういう伝手を持てるようになったんだね」
「失礼だな。あたしだって伊達に三年以上もマネージャーやってないんだよ」
唇を尖らせた日向は、次の瞬間には頬を緩めて、ほのかな吐息をもらした。
「友達の女の子がイベント企画会社に勤務しててね。その子にあなたたちのこと薦めたら、すっごくハマってくれて。それで今回はその子を経由して、企画会社さんの方に話を通してみたの」
「へぇ、イベント企画会社……」
「あなたたちもたまにお世話になってるでしょ。テレスコープ・アクトっていう、舞台関係じゃ業界最大手の会社だよ」
「あ、知ってる!」
「あの会社でお仕事してるってことは、須田さんの友達もめっちゃ優秀な人なんですね」
「優秀だと思うよ。本人は認めたがらないけどね」
日向の苦笑はまるで、遠く離れた世界で頑張る誰かを心配しているみたいだった。イベント企画会社で働く人がマネージャーの友達で、しかもファンになってくれるだなんて、傍目に見れば実に狭い世界である。しかし少ない人数で回っている興行・芸能界では、こんな話はそれほど珍しいものでもなかった。
どんな人なんだろう。
これまでにも無数に見てきた数万人のファンの晴れやかな顔に、まだ見ぬ女性の面影を重ねて想像する。きっと真摯で、真面目で、素敵な人なのだろうと思う。特に根拠があったわけではない。ただ、Asteroidのファンにはそういう人が多いし、そういう人に好いてもらえたらいいなと明日菜は思う。真面目な人ほど呆気なく潰れてしまう。現実に押し潰されて泣きそうなとき、少しでもAsteroidが心の支えになってあげられたらと願いたくなる。
「コスモシアの客席を埋めるためにも、これからもっともっと頑張らないとですねっ」
握りこぶしを両脇に固めて意気込むと、またも日向が「まだ決まったわけじゃないから」と苦笑した。
「いずれにしても大きなターニングポイントにはなるだろうな、今度のホールコンサートは。失敗なんてしてられないよ」
「やだなぁ。失敗ってやる気満々で犯すものじゃないですよ」
「緊張のあまりライブ前に食べ過ぎたら太った、とかなら分かるけどね」
「だから蒸し返すなよ!」
真央が真っ赤になって叫んだ。和やかな空気が足元から花開いたが、肝心の日向はどこか強張った色を口元にひそませている。彼女は誰よりも真剣で、責任感が強くて、仕事はできるはずなのに頼りにしきれないところのある女性だ。だからかつてのように余裕のなかった頃、明日菜たちは日向を十分に信頼できなかった。どこかで互いに疎外感を覚え、正面から向き合うことを恐れていた。それはもしかするとファンとの関係や、他ならぬ自分自身との向き合い方も同じだったのかもしれない。
今は、違う。
Asteroidには実績がある。
誇るべき軌跡がある。
この笑顔とパフォーマンスで笑顔を届け続ける、それだけの自負と覚悟と勇気がある。
届けたい相手は一人や二人ではない。マネージャーの日向、ともに夢を追いかけるよそのアイドルたち、数万人にまで膨れ上がったファンの人たち、どこかで三人の疾走を見守ってくれているであろう昔の仕事仲間たち。そしてもちろん、大恩人の松永も。彼ら彼女らがAsteroidの味方であり続けてくれるように──。
「みんなの味方になってみせるんだから」
明日菜は今日も空を見上げ、誓うのだ。
明日を照らせ、Asteroid。
見果てぬ夢を掲げた小惑星たちの軌跡は、これまでも、これからも、決して途切れることはない。
本作の公開にあたり制作を依頼、または自分で作成したイラストや画像を紹介します。
「★」のイラストは依頼して描いていただいたものです。
★イメージイラスト。主人公・文綾とアイドル三人の遊び歩く姿が描かれています。
★Asteroidのキャラクターラフ。この次に紹介する作中歌「Asnote」ジャケットイラストの服装を描いたものです。三人それぞれのイメージカラーがあしらわれています。
★作中歌「Asnote」ジャケットイラスト。地上から夜空を見上げ、輝き始めた東の空を睨む三人の姿が美しい一枚です。
クリスマスイラスト。「アイドリングアイドル!」作中に登場する全員が描かれています。右端の女の子が小川ゆみ、その左上が相生麦、中央で怒っているのがマネージャーの須田日向。タイトルが「(アン)ハッピークリスマス」となっていますが、作中で不幸だったのは日向だけです。
宣伝画像①。イメージイラストを活用しています。
宣伝画像②。あらすじを記載しています。
宣伝画像③。イベントのプログラム風に連載計画を記載しています。
宣伝画像④。作中に登場する舞台や企業のロゴデザインを使用しています。どこかに「Asteroid」のロゴが隠れているはず……?
作中歌「Asnote」ジャケットデザイン。実際にCDを制作した場合、ジャケットはこのようになるだろうと思います。作中で述べられている通り、三人は笑っていません。
完結記念イラスト。
本作制作に伴い、以下の方々にお世話になりました。
イメージイラストを描いていただきました、来尾キト様(pixivID 61657905)。
ジャケットイラストを描いていただきました、たいやきんにく様(Twitter @taiyakin29)。
ジャケットイラストの衣装設定にご協力いただきました、桐生桜嘉様(Twitter ouka_sakura06yu)。
作中歌「Asnote」の編曲を担当していただきました、kotake**.様(Twitter @kotake_s)。
みなさまの協力あってこその「アイドリングアイドル!」でした。厚く御礼申し上げます。
──夢を失ってさまよい歩いていたアイドルとOLが、奇跡の出会いの末に未来を取り戻したように。
どうかあなたの夢が叶いますように。
あなたの祈りが、届きますように。
2020.12.26
蒼原悠




