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アイドリングアイドル!  作者: 蒼原悠
★flipside★
10/12

小惑星たちの軌跡 Ⅰ

 



 ──落ち着かないなと、この頃よく思う。

 衣装をまとって舞台袖に立つたび、ぽっぽと火照(ほて)った身体が跳ねたくなる。

 金色のダブルボタンが輝く黒ジャケットに、それぞれのイメージカラーを配色したボトムス。自分のそれはオレンジの膝丈スカートだ。少しでもメンバーの特徴を覚えてもらえるようにと三人で頭をひねり、髪型とイメージカラー、ボトムスの種類を統一することに決めたのが、まるで遠い昔のように思い出される。デビューから四年が経った今、それらはまさに文字通りの遠い昔になろうとしていた。


「満員だねぇ」


 画面越しに客席の様子を窺った佑が、ふっと感慨深げにつぶやいた。出演前に特有の妙な高揚感が口をついて、「きっとみんなわたし目当てだねっ」なんて言ってみた。


「だろうな。きっと平河語のMC目当てだ」

「むしろ私たちの通訳目当てじゃない?」

「みんな漫才を観に来てる気分かもね」

「ついでに私の歌とまおっちのダンス、みたいな」

「ちょっと、わたしは!?」


 自分を指差しながら問い詰めたが、残りの二人は「だからMCでしょ」とニヤニヤ笑いをこらえない。粗末な抗議の意思を込めて頬を膨らませつつ、後ろ手に隠したマイクをちょっぴり握り直してみる。実際問題、どんな形であっても来てくれたファンの期待に応えられるのなら、それこそアイドル冥利に尽きるというものだ。そのためなら漫才だって何だってやってやる。

 スタンバイを求めるスタッフの声に押され、奈落へ向かう。がたいのいい男性スタッフを両脇に携えたポップアップ用の昇降装置が、くぐもって響くオーバーチュアの重低音を受けながら屹立している。ぴりりと肩が引き締まった。自然な流れで、互いに肩を組んだ。


「やろうよ。いつものやつ」


 真央が先を促してくれる。円陣を作り、掛け声で元気を出す。ライブの前には必ず欠かさない、デビュー当初からのルーティンワークだ。

 指先にまで充足した熱が、触れた衣装の生地から二人の心と結びついている気がする。──届け、わたしの願い。わたしの想い。深呼吸で拍動を整え、息を吸った。


明日(あす)を照らせ、Asteroid(アステロイド)!」

「行くぞーっ!」


 息の合ったコールは高波を描いて、狭い舞台裏の暗闇に轟々と反響を刻んだ。この一瞬だけは自分たちが世界の中心、怖いもののいない無敵の存在に感じられる。そうとも、わたしたちは小惑星(アステロイド)。幾多の星間を駆け巡り、夢色の光を夜空に穿(うが)つスターの卵だ。

 平河明日菜はふたたびマイクを握りしめた。

 じっとりと滲んだ汗の香りに、初めてステージに立った日の残り香が重なる。

 あの日も舞台裏は漆黒の常闇だった。押し潰されないように声を張り上げ、必死に夢のともしびを燃やしてステージへ飛び上がったものだった──。



 ◆



 アイドルとは何だろう。

 そう問われたなら、迷わず「味方」と答えてきた。

 一人っ子の家庭に育った明日菜にとって、アイドルとは味方だった。共働きでなかなか構ってくれない両親に代わり、学校や友達同士の間で背負ったさまざまの悲しみや苦しみ、痛み、悩みを、すべて受け止めて吹き飛ばしてくれる存在だった。

 ソファにうずくまってテレビを点ければ、そこに味方の姿がある。キラキラの服をまとって照明を浴び、喝采に揉まれながら歌い踊るアイドルたちの背中に、いつも気づけば勇気をもらっていた。学校や家庭だけが世界のすべてじゃない。こんなに輝かしい夢を見られる場所だってあるのだと、傷心の明日菜に希望を与えてくれた。アイドルへの憧れを周囲の誰かに公言したことはない。ただ、漠然と、こうやって誰かの味方を演じられる自分になりたいと願い、芸能スクールの門戸を叩くことに決めた。中学二年生に進級した春先のことだった。

 平河家は決して裕福な家庭ではない。ましてや自宅のある神奈川県の田舎から通学するとなると、往復の電車賃や時間だってバカにならない。月謝と移動距離のちょうどいい兼ね合いを探った末、東京の南端・大田区に座する『エンカウントスタジオ東京』なるスクールを選んだ。数十人前後の生徒が在籍するばかりのアットホームな小規模スクールで、右も左も分からない明日菜を受講生たちは手放しで歓待してくれた。

 とりわけ親しくなったのは、明日菜より一足早く入校していた同い年の女の子たちだった。万能型の才覚を持つ爽やかボーイッシュな少女・岩本真央と、とびきり歌の上手いマイペースな少女・佐久間佑。芸能スクールへ飛び込んだ志はそれぞれに違っていたけれど、そこには「いつかアイドルになりたい」という共通の夢があった。レッスンで顔を合わせては共に汗を流し、最寄り駅までの道すがら、いろんなことを語り合った。どんなことに苦しんでいるのかも、どんな憧れを持っているのかも、文字通りすべてをさらけ出した。同じ夢を抱えて馳せ参じた者同士、胸襟を開くためのハードルは家族や友達に比べれば遥かに低かった。

 だから、


「わたしたちでアイドルユニット組んでみたくない?」


 などと明日菜が言い出すのは時間の問題だったし、いつ、どの場面で切り出されようとも、おそらく二人は断らなかっただろうと思う。言い出しっぺの明日菜をリーダーに据えることも、明日菜(リーダー)の名前から着想したユニット名もすぐに決まった。

 かくしてローカルアイドルユニット・Asteroidは、大都会の片隅で産声を上げた。

 ときに中学二年生、初冬。澄んだ夜空に星の映える季節のことだった。



 アイドルになるのは大変だった。ことに両親を説得するのは難儀した。明日菜の両親はアイドルそのものには難色を示さなかったが、契約する事務所が弱小であることには眉をひそめた。スタジオを経営する芸能事務所『E.T.プロダクション』は、わずか数人の所属タレントをマネジメントしている小規模な事務所で、近年は売れっ子を輩出することもままならず、毎年のように赤字を計上している有様だった。「わたしたちが売れっ子になって事務所を盛り上げればいいんだよ!」などと向こう見ずな豪語を繰り返した末、ようやく両親を折ることに成功したが、当の明日菜たちにしても事務所の経営がどれだけ危機的な状況だったか理解できていたわけではなかった。目に付くものといえば事務所の狭さと暗さ、設備の古さ、そしてスタッフの少なさくらいのものだった。

 人員不足はマネージャーの運用にも当てはまっていた。Asteroidのマネージャーとして宛がわれたのは、花岡(はなおか)織子(おりこ)という四〇代くらいの中年女性だった。


「本当はただの事務員なんだけどね。ついでにマネージャーもできないかって言われちゃって」


 頼りない第一声で彼女は明日菜たちを怖がらせたが、大丈夫、と同時に念も押してくれた。あなたたちのことはちゃんと守る、お仕事も色々と持ってくる。ベテラン事務員の意地を見せてあげるからね、と。

 織子の拾ってきた仕事は本当に多種多様だった。それこそ事務所のある大田区近辺の各種イベント──ショッピングセンターのイベント参加やら祭礼ステージへの出演やら、どれもこれも徹底して地元に根差したものだった。当初は持ち歌を用意することもできず、はやりのアイドルたちの歌を歌唱しては、どうにか編み出したオリジナルの振り付けで場を乗り切っていたものだ。最初のCDを出せることが決まった日の感激には計り知れないものがあった。インディーズとはいえ、これでようやく本格的にアイドルとしての第一歩を踏み出せたと思った。

 ファンを名乗る者が数十人などという有様では、単独ライブをやるだけの体力はとても存在しない。せいぜい他所のローカルアイドルたちとともに『対バン』──同一の会場で順番にライブをやる程度のことしか叶わない。それはテレビに映るトップアイドルのように、華やかな芸能界に輝く一等星のような活動スタイルとは似ても似つかない。それでもアイドルであることには違いなかったから、少なくとも明日菜の日々は満ち足りていた。どんなアイドルたちにだって苦境の時期がある。このままやがて穏やかに成り上がり、いつかはメジャーな舞台に立てるものと、無邪気に信じ込んでいる自分がいた。

 織子のマネジメントのもと、Asteroidはスローペースながらも着実に仕事の幅を増やしていった。地元ケーブルテレビ制作のローカル番組にリポーターとしてレギュラー出演を果たし、地域雑誌のグラビアを飾る仕事にも恵まれた。ファンと呼べるほど熱心ではないにしても、イベントに参加すれば定期的に顔を見せてくれる人々も増えてきた。対バンで共演するローカルアイドルたちの間にも名前が売れ始め、次第に「アステロちゃん」などと呼ばれて可愛がられるようになった。今にして思えば舐められていたのかもしれない。揃いも揃って夢見心地でステージに臨む三人の姿が、周囲の目にどのように映っていたのかは分からない。

 ただ、真剣だった。

 そしてどこまでも夢中だった。

 レッスンを重ねるたび、自分の中で何かがレベルアップしてゆく実感があった。このまま頑張り続ければ何にだって、誰にだってなれる。そうしていつかトップアイドルになって、寂しい思いをしてる日本中の人たちの味方になってみせるんだ! ──その願いを手放そうと考えたことなど、当時の明日菜には一度もなかったはずだった。



 だが、無限の夢に瞳をきらめかせて奮闘するAsteroidを、運命の波動は容赦なく飲み込んでゆく。



 活動開始から一年も経たない晩夏、第一の試練が訪れた。所属事務所の『E.T.プロダクション』がついに経営破綻の時を迎え、同業他社によるM&Aの受け入れに着手したのだ。人員や経費の徹底した削減を筆頭に、苦肉の策で編み出された数々の努力は、そのどれもが実を結ぶことなく(つい)えたのだった。

 Asteroidは窮地に立たされた。所属事務所が消滅してしまえば、経験不足のまま路頭に迷うしかない。一体これからどうしよう──。パニックに陥った三人を、マネージャーの織子は必死になだめて回った。


「大丈夫よ。社長の伝手(つて)もあって、合併相手の事務所があなたたちを引き取ってくれるって申し出てるの。この事務所はもうもたないし、あなたたちはそっちに行った方がいいと思う」

「マネージャーはどうなるんですか?」

「マネージャーさんと一緒ならどこにでも行きます!」

「私は一緒には行けないわ。向こうが引き取ってくれるのは実績のあるマネージャーと所属タレントだけみたいだから……」


 いくら懇願しようとも織子は首を横へ振るばかりだった。人手不足でマネジメントを手伝っていたとはいえ、本来の織子はあくまで事務員に過ぎない。先方にしてみれば経営不振の事務所から一介の事務員を雇い入れるほどの義理はなく、せいぜい難民と化したタレントやマネージャーを引き取るのが手一杯だという。

 世話になったのは事務員兼マネージャーの織子だけではない。小さな事務所ゆえ、社長までもひっくるめてスタッフとの絆は深まっていたところだった。簡単に別れを受け入れることなどできるはずもなく、冷酷な現実に明日菜たちは力なく涙するばかりだった。何日も何日も悩んで、苦しんで、それでも決断ができずに織子へ相談すると、彼女は優しく言葉を選んで背中を押してくれた。


「夢があるんでしょう。大きなアイドルになってみんなの味方になるんだっていう、とっても大事で素敵な夢が。それならあなたの取るべき道は、私たちを振り返ることじゃない。勇気を出して前に進むことだよ」

「この三人なら大丈夫。胸を張って空を見上げて、大手を振って新天地に進みなさい。こんなことのために大切な夢を投げ出したりしないで。どうか、どうか……叶えてあげて」


 寂しくて、切なくて、けれども気丈な声色だったことを今も思い出す。あまたの苦労を染み込ませた彼女の手の温もりに、明日菜たちはようやく別れの受容を決意させられた。安寧の(ローカル)を離れ、広い宇宙へ飛び出す時が来たのだと覚悟した。

 結局、Asteroid以外のタレントは新天地への移籍を選ばなかった。個人で活動を始める者、みずから進んで所属先選びに奔走する者、タレント人生そのものを閉じてしまう者──。それぞれの軌道を描きながらタレントたちが離脱してゆく背後で、吸収合併により法人格の消滅した弱小芸能事務所『E.T.プロダクション』は静かにその生命を終え、燃え尽きて解散した。職を失った織子は専業主婦になったと聞いている。三人の知り得ている旧スタッフたちの末路は、それだけだ。



 E.T.を吸収合併した芸能事務所『カイパーベルト・プロモーション』は、明らかにAsteroidの身の丈に合っていなかった。

 それもそのはず、カイパーベルトは五百人超もの所属タレントを抱える業界有数の大手芸能事務所だ。弱小事務所だったE.T.との間に人材交流があったというのが不思議に思えるほど、経営規模も経営環境も異なっている。千代田区の神田に居を構える本社に初めて出向いたときは、その巨大さと最新鋭のオフィス機能に圧倒されるばかりだった。古巣の何倍、いや何十倍もの社員がひしめいて働く姿に、根本的に違う世界へ踏み込んだのだと明日菜たちは痛感させられた。


「言っとくけど、君たちを優遇してやることはできないよ」


 応対した社員の第一声がそれだった。エグゼクティブ・プロデューサーとかいう見慣れない横文字の肩書きは、ただでさえ冷淡な彼の台詞をいっそう険しく響かせることに一役買っていた。──君たちに何の咎もないことは知っているが、あくまでも君たちは外様、しかもメジャーデビューすら果たしていない弱小アイドルだ。事務所の看板を預けるには早すぎる──というのが彼の言い分だった。

 急なことだったので担当マネージャーも決まっていないと言い渡され、のべ一ヶ月もの間、ひたすらレッスン漬けの日々を送らされた。マネジメントを行う者がいないという理由からSNSのアカウントも開かせてもらえず、E.T.時代に築いたファンとの交流も完全に断絶した。デビュー前と比べても歌やダンスの技量は格段に上がり、オリジナルの持ち歌だって増えたのに、まるでふたたびアイドルの卵に戻されたかのようだった。しかしながらE.T.と違い、カイパーベルトは全国に営業網を持つ大手の事務所でもある。戦う舞台が広くなった分、夢への道程は以前より短くなったとさえ考えられる。そう考えなければやっていられない心境を抱えつつ、来る日も来る日も必死に汗を流した。

 毎日のように多量のレッスンをこなし、心身ともにくたびれ始めてきた頃、ようやく事務所が新たなマネージャーを連れてきた。須田日向、二十三歳。慶興大学の経済学部出身。新卒で入社したばかりのマネージャーの卵だと聞かされた。大手事務所ならば経験豊富な人を宛がってくれるはずだというAsteroidの読みは、ここにきて大きく外れた。


「まだまだ分からないことだらけだけど、あなたたちと一緒にあたしも成長してゆけたらなって思います。よろしくね」


 初対面で縮こまっていた三人に、彼女は凛々しい声で自己紹介をしてくれた。けれどもそれは明日菜たちの不安を十分に解消させてくれる代物ではなかった。日向がマネージャーの卵だというなら、Asteroidだってアイドルの卵である。ローカルアイドルとしての経験を一年近く積んできているとはいえ、そんなものは大手事務所に来れば紙切れ同然の値打ちに過ぎない。

 大変なところに来ちゃった──。

 ニコニコ笑顔の裏で明日菜はひそかに不安をもてあそんだ。

 そして、その不安は的外れどころか、やがて本格的に活動が始まる中で肥大化の一途をたどってゆくことになるのだ。




次話「小惑星たちの軌跡 Ⅱ」に続きます。

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