真実は残酷だ、そう。
『マナ』
この世界は壊れている。
気付かないふりはやめて
この世界は平等なんかじゃない。
そのアタリマエの事象を、忘れているのかい?
そりゃあ、面白い冗談だ。
広中勇平の感情は鈍くなっていた。
また、同じだ。
毎日毎日同じようなことばかり。つまらない。こんな日々は嘘っぱちだ。とてもやってられない。朝起き、学校に行き、帰って寝る の繰り返し。何だこりゃ?
こんな退屈すぎる日々に何の意味があるのかがわからない。
このまま大人になり、社会の小さな歯車として働いて、そして気付けば老人に‥。
それだけは御免だ。
高校三年にもなると、さすがに現実っていうものが見えてくる。昔はいろんな夢を本気で語っていた。誰しもが大きな夢を語っていた。しかし、人は気付くのだ。夢は、努力すれば絶対叶う! なんてことはないということに。そして昔憧れていた、夢見た輝く世界はどこにもないということにも気付く。大抵の人間はそのことに気付かない振りをしている。
クラスの奴らはアホだ。もっとよく考えろ。いつのまにか妥協した夢になっている。
まあ、考えたところで夢のない現実にたどり着くのは事実だ。現代では誰もが現実逃避しているように見えてならない。なぜこんな夢がない世界で、平気な顔で毎日過ごせるんだ?
わからない。
いや、不幸なのはオレだけか。皆それぞれ日常を楽しむ力を持ってる。オレにはそれがなかっただけか。
高校生活も、入学当初は淡い期待を抱いてしまっていたオレだが、今となっては‥。青春なんてものはオレとは無縁だった。まあいいけどな。あのころは青春アニメにはまってたから仕方ない。まあそのおかげで現実ってものを、再確認できたことには感謝している。素晴らしい青春物語はこの世界とは次元を異にした画面の中にしかない。少なくともオレにとっては‥。
ふん、くだらない。なんてくだらない世界なんだ。
授業終了のチャイムが鳴った。
「よし、じゃあ今日はここまでだ。ちゃんとノート取っとけよ」
数学の教師が教室から出ていき、教室が騒がしくなる。
リア充と、そのとりまき達の声がひと際大きい。いつものことだ。逆に参考書片手に必死に勉強している者も数人いる。残りはニ、三人で雑談していたり、机に伏してたり、とそんな感じ。いつもの光景だ。オレはといえば参考書を開いて勉強しているふりをしている。
何もしてないと変な奴に思われるからな。いや、もう思われていたか。
‥‥‥。
まあ、こうして無駄な毎日を過ごしてる。
無駄だとわかってて何故学校に来るのかって?
特に意味はない。ただ流れ作業で何かの機械のように家から学校をいつも往復してるだけだ。それにもう高三の六月、そろそろ勉強しとかないと、まずいだろ。まあ、別にしなくいいけどな。したところでって話。オレにとって将来、大企業の社長でも無職のひきこもりでも、大して変わりはないんじゃないかって思ってる。違うのは地位だけだ。それは世間的に見れば実に大きいが、‥それだけだ。
オレはやる気というものをどこかに落としてしまったらしい。どんな物事にも興味を惹かれない。どんな夢も絵空事に見える。だってそうだろ? どれだけがんばったってプロ野球選手にはみんながみんな‥、ああ考えるのもめんどい。そして結論大半の人間は妥協した夢を設定する。頑張れば、まあ成れる仕事。子供の頃描いていた大きい夢を叶える人間はほんの、ほんの一握りだ。そんな夢のない世界で、頑張れなんて‥。やってられないチキンレースだ。
いつからこんな悲しい考え方になったんだと自分でも思うことがある。小学校の時はいつも何かにわくわくしてた。あの感覚をもう長らく感じていない。願わくばその無邪気だったころに純粋だったころに帰りたい。皆で鬼ごっこしてたあの夏休みに帰りてえな。‥おっと無駄な話だった。
「おい、何ボーっとしてんだよ広中、残り一年の高校生活をもっと楽しめよ」
村岡か。たく幸せな頭だ。
「ほっとけ」
「たく、相変わらずそういうノリは悪いな。皮肉ものなら乗ってくれるのにな」
村岡は呆れ顔。そこでオレは一言。
「ほっとけ」
教室の窓から空を見上げる。世界が汚くても、この空は美しい。
青々とした大空。空ほど美しい景色は世界中どこを探してもないだろう。いや、逆に言えばどこにでも在る、外に出れば、空を眺めることができる。
帰り道、ふと一人の少女に目が止まった。少女は立ち止まって何かを見つめていた。その少女はうちと同じ高校の制服だ。
隣りクラスの、咲森そら。
選択で生物の授業が同じだ。それだけだ。
それだけだけど、オレは彼女のことが少し気に‥‥‥‥‥‥‥。
彼女と話したことは一度もない。だが、彼女からは他の女子とは違う何かを感じる。それが何なのかは、分からない。でも、確かにそう思った。これで何度目になるだろう。
彼女はオレの知る限り、机に頬杖をついて無表情で空を眺めていることが多かった。友達と話すとき以外は、いつも空を眺めている。しかも無表情で。それはとても、‥‥‥‥。
彼女が見つめていたのは、猫だった。黒色の野良猫だ。のそのそと歩くそいつを彼女はやはり無表情で見つめていた。その澄み渡った瞳で彼女は何を思っているのだろうか?
まあ、オレは彼女に話しかける勇気もなく、その場を素通りした。
帰宅。そしていつもと同じサイクル。要するに風呂入って飯食って、無意義に過ごし、寝る。そんだけだ。まあ世界で見ればこの日ノ本平国は恵まれている国トップ5に選ばれているから、そんだけ、というのは贅沢だろうか。
世界では争いが絶えない。
北のイルミスでは激しい内戦が続き、死傷者が数万人出ている。そして内戦はまだ続いていると聞く。リクムアでは地震、津波、大洪水によりこれまた数万人が亡くなっている。イクトでは深刻な砂漠化が進み続け、水不足でこれまた数万人が‥。それまた別の地域では、かつて仲間だった連合国同士が現在は互いを潰し合っている。そのキラスタ戦争での死者は数十万人にまで上っているという。もちろんまだ戦争は続いていて犠牲者の数は最早よくわからないらしい。またオクーダ付近では飢餓により毎日八千人の命が失われているという。
挙げていけば、きりがない悲劇だ。
日ノ本は至って平和。戦争という戦争をよく知らず、大国に頭を下げて愛想笑いを繰り返し今尚平和を保っている。しかしこの平和ももうそろそろ限界だということに国民も感づいているんじゃないか。あらゆる逃げ戦法で日ノ本は戦争を避け続けてきた。恐ろしく運が良かったんだろう。歴史の授業では、日ノ本には平和の神が棲んでいる、とよくわからないことを習った。
今、日ノ本の国民の大多数は平和ボケしている。そして神経がおかしくなっている。
毎日、世界の悲劇がニュースで報道されているが人々は「大変だねぇかわいそうに‥」で終わる。まるで私達には全く関係ないですからと言わんばかりに。数万人が犠牲となり というニュースより ドラマの最終回とかを気にかけてる奴ばかり。壊れてるだろ?
しかし平和ボケした日ノ本にもひとつだけ避けられない戦争がある。‥ただそれは選ばれた者だけだ。それに選ばれた者は、まず、生きて帰れない。
ただそれに選ばれる可能性は百分の一。そう、まず選ばれない。‥と誰もが思っている。
もちろんオレも。
だが、それこそが平和ボケだったことに後で気付く。そのときはもう‥。
それ は突然やってきた。
帰りのホームルームで担任は重苦しい顔で言った。
「みなさんに、その、‥、青紙が来ました」
ア お が み ‥。
そんな、馬鹿な。
いつものように少しざわついているホームルームの空気がその一言に凍りついていた。
「う、うそよ」
「冗談だろ。なあ‥」
「‥‥‥」
教室は再びざわめきはじめ突然泣き出す者も出はじめた。明らかにいつもと違う空気。
「この学校の、生徒全員に青紙が来た。もちろん教職員にもな。‥みんな、共に、国のため戦おう」
教室の空気が担任によって再び凍る。担任の顔は青ざめていた。
青紙、それは絶望への招待状だ。拒否権はない。日ノ本政府から渡される青紙。
それは十五歳以上を対象に全国の高校、大学、専門学校、会社(子会社から大企業まで)というありとあらゆる組織のなかから一定数選ばれ届けられる。確率は百分の一。
この青紙が届けられたものは、日ノ本の国を代表して戦わなければならない。
どうやって? 玉入れ? 綱引き? パン食い競争? いやいや命を賭けた銃撃戦。日ノ本防衛戦線にオレは、この学校の奴らは選ばれた‥らしい。日ノ本の平和は少々の犠牲を払って保たれている。その少々に‥入ってしまった。
日ノ本平国は六十年以上前に完全中立主義を世界に宣言し、諸外国との交流について徹底的に中立を守った。しかし十年ほど前より諸外国の圧力に耐え切れなくなり、大国リバニアと結び続けた不平等条約を日ノ本は破棄した。それに激怒したリバニアは日ノ本を侵略すると宣言し、数度に渡りリバニアは兵を送り込んできた。それと戦ったのが自衛軍勇激隊と青紙を受け取った者達だ。そしてまたその戦いが始まるんだ。しかも今度は傍観者じゃなく、当事者になるとは。
全く笑えない。
凍った雰囲気の中、青ざめた顔の担任は説明を始めた。
「みなさんには明日、大型特殊バスにより、この岡海県から加賀山県に移動してもらいます。分かっていると思いますが、帰れるのは半年後でしょう‥うッ」
加賀山県、日ノ本の南の端にある県。おそらく、そこが戦場になるだろう。
半年後には帰れるって? 御冗談。
ああ、もうこの日常ともお別れか。
不思議とそこまで寂しくはなかった。悲しくもない。ただ、怖い。周りからは女子の泣く声。男子はそうしないと自分を保てないような様子で、なんとかならねえのかよ! と騒ぎ合っている。オレは心を無にして家に帰った。
母は泣いていた。父は何も言わなかった。妹は顔を見せなかった。
そして夜が明けた。長い、長い夜だった。
朝、家族とは一言も話さず家を出た。時間に余裕があったのでゆっくりと学校に向かった。
自分とはどこに在るのか。わからない。
午前九時。
学校のグラウンドには全校生徒が集まった。この学校の生徒数は約六百人。だが、
「勇敢なる四百八十二名を私はここに讃える!」
校長はそう言った。つまり来てない者もいる。だが、来なかった場合も地獄に変わりはない。青紙の招待に背けば、その者は全国に指名手配される。全国ニュースで顔、名前を晒され、懸賞金も与えられる。その者を誰かがかばった場合は重罪となる。青紙に背いた者が捕まれば鬼畜の強制労働をさせられ続け一年でその全員が命を落とすと聞く。外国への亡命はパスポート発行ができないため不可能。仮に外国に出たとしても、安全な国は僅かだ。
世間は青紙に背いたものにものすごく冷たい。
国民の反応は「かわいそうになぁ」で切り捨てて終わりだ。そういうシステムを日ノ本は作り上げていた。そんな絶望の逃走劇をするよりは戦いに参加し生き残った方がよいような気もする。戦争に生き残れば特別金として一人ひとりに三百万円が渡される。また、履歴書には、『青紙にて国家防衛戦線に参加』という東大卒と同等の肩書きが手に入る。
もし生き抜けば、将来の安定は約束されたと言っていい。
っと、オレの思考回路もいよいよやべえか。絶望的な状況を肯定しそうになってしまうなんてな。日ノ本政府は戦いで生き残った人数の統計を公表していない。
各クラスごとに大型特殊バスに乗っていく。バスは黒く大きく、まるで罪人を刑務所から刑務所へ移動させるときのやつみたいだ。ドラマで見ただけだが‥。
バスの中には勇激隊員(国家が持つ唯一の軍隊が勇激隊)が二人、看守のように構えているので普通に話せるような空気ではない。
そしてバスはニクラス総勢七十一人を乗せて加賀山へと出発した。
バスの窓にはカーテンが掛けられていて景色が見えない。ただ陽の光がカーテンの隙間から少し差しているので外はいい天気だということが分かる。だが、このバスの中は真夜中の終電を連想させる。
周りを見渡すと大多数は暗い顔をしていた。そりゃ当然だ。だがオレは無表情だった。
今までの日常が、そんなに恋しいとは思えなかったからか。あるいはただ感覚が麻痺してしまっているのか。まあ、いずれわかることだ。
目まぐるしく同じようなことを何度も考え続けているうちにバスは目的地に着いたらしい。途中、呻き声を上げて泣き出すならまだましだが、不安で突然吐く者まで出てきてバスの中は悲劇性が漂っていた。ったく正直吐きてえのはオレだっつの。この状況で冷静かつ無慈悲なつっこみが頭に浮かぶ余裕があることにオレ自身少し驚いたりした。
バスから降りると、そこは大きな軍事基地だった。自衛軍勇激隊第十四基地。
そうだな、空港をイメージしてもらいたい。空港に何機もの戦闘機が並んでいて、大きな緑色をしたドーム状の建物や茶色のビルがいくつか立っている。
辺りはとても広い。端から端がぎりぎり見えない。
勇激隊員に先導されて、全員が整列した。
代表らしき勇激隊員が前に出て、口を開いた。
「聞け諸君! 諸君らはこれより日ノ本を守るため戦う義務がある!」
やれやれ。何様だよあんたは。
その後一人ひとり点呼が行われ、オレ達は大きな建物を七、八つ越えて二十六号館という名のこれまた大きなビルに導かれた。
中は研修施設のようだった。ほら、林間学校とかのカレー作ったりするやつの時泊まるところみたいな。まあ、建物のでかさが違うけどな。
それぞれ四、五人ずつ部屋が振り分けられた。
オレの部屋班は四人、広中勇平、村岡徹、原新之助、佐上仁太。
村岡はいつも楽観的に見える。まあ、わざとやってる感じが否めないが。原と佐上はクラスが一緒なだけで接点がない。原はのんびりとしたぽっちゃり系で佐上はガリ勉タイプだったと思う。しかし、面倒くさい奴らと同じ部屋にならなくてよかった。自己中仕切り屋の黒崎やその取り巻きの奴らと同じ班だとやりにくいだろうからな。上々の面子だ。
「広中、やけに落ち着いてるんだな」
村岡が荷物を整理しながら言った。
「まあな‥。最近感受性ってもんを失ってしまってな」
「はっ、この状況で何言ってんだ」
「お前はどうなんだ? 村岡」
村岡はしばらく無言だった。そしてこっちに顔を向けず荷物を整理する手を止めて小さく吐き捨てるように言った。
「やってられないよ。‥こんなこと」
四時にはこの自衛軍基地の本部、朱慶塔前に集合の命令が出ていた。
朱慶塔はこの基地の最重要本部、つまり今回の戦いにおける本陣である。そのためこの基地の中で一番大きい。様相は戦国時代の城を真っ赤に染めたものみたいだ。‥悪趣味だ。
朱慶塔前には既に多くの兵が集まっていた。兵とはオレ達も含まれる。つまり青紙で呼びだされた者達のことだ。この基地全ての兵がここに集められているのでこの場所は大都市の通勤ラッシュのようにごったがえしていた。高校生、大学生、若手社会人からベテラン社会人まで、ありとあらゆる年齢層が集まっていた。見渡す限り人々の顔はお世辞にも明るいとはいえなかった。
「皆、俺達と同じように連れてこられたんだな」
村岡が呟く。
「‥みたいだな」
数千人が集った大集会が始まった。
「諸君! ではこれからの予定を話す。よく聞くようにィ!」
今回の戦いにおいて総指揮権が国から委ねられている勇激隊大将が一喝し、お国のためにと訴える演説のようなものが始まった。
「勘弁してくれ‥」
村岡の声に同意だ。
なんだこの沈黙の大食堂は。最後の晩餐なのか。そういや最後の晩餐って暗いのか、それとも賑やかな様子を描いてるのかどっちだったっけ。そんなことを考えるほど大食堂は沈黙していた。食が進まない‥。無理もないわな。
オレ達はこれからリバニアが侵攻してくるまで軍事演習訓練を受けるようだ。自衛軍勇激隊がやってることを考えてもらえればいい。来る戦のため日々鍛錬に励むということだ。
もちろん男性は男性、女性は女性で訓練内容は違う。また歳の差においても若干内容が違ってくるらしい。
小部屋に戻り、就寝時間。風呂は大浴場で、むさ苦しさの極みだった。
この部屋は四人部屋なので二段ベットが二つある。
「この演習、つーかこの戦い自体全部無駄だよな」
村岡が呟いた。
「ああ、無駄だな」
広中は続けた。
「逆に言えばこの無駄は日ノ本にとっては必要なんだろうがな」
「どういう意味だよ」
村岡が困惑気味に問う。
「リバニアはやろうと思えば水素爆弾を落として日ノ本なんか一瞬で潰せるだろう」
「‥‥‥」
村岡は口を閉じたままだ。
「だがそれをすればキアン、オカリス辺りの周辺国がリバニアを叩く。だからリバニアはちまちまと日ノ本に攻撃をかけてるんだ。これは日ノ本に対する脅しにすぎんだろうがな」
「しかも、日ノ本はそれを容認してるって言いたいんだろ」
「そうだ、やっぱ分かってたのか」
「ああ、何となく前から思ってたんだよ。青紙がきてこの立場になって確信した。日ノ本はわざと少しの犠牲を払って平和を保ってるって。‥完全平和なんて国は言ってるが大嘘だ。現に俺達は国に捨て駒にされている!」
村岡の言ってることは事実だ。捨て駒。
「嫌だ、嫌だ‥。あんなに、あんなに勉強したのに。これから受験だって言うのに‥」
向かいのベッドからガリ勉の佐上が声を漏らす。
「もう、生き残って青紙出兵の肩書きを手に入れるしかねえよ、佐上」
「ぐッ」
佐上の呻き声。
原は寝ているのか。ベッドから音がしない。
「まああれだ、生き残るしかねえよ」
「お前が言うかよ」
村岡に突っ込まれた。
軍事演習が始まった。
毎日十キロマラソン、二十メートルシャトルランがまず課される。八十回に到達しない者は面白くない罵倒を浴び続ける。その後、射撃訓練、護身術に移る。そして最後に敵の侵攻を想定した実習訓練。正直実習訓練が一番きつい。素早く動かなければゴム銃で撃たれる。これは痣ができるほど痛い。実際、原の腹には痣ができていた。だじゃれどころじゃない。
訓練では武器の使い方や咄嗟の回避行動など細かな説明を受けた。
そして一週間がたつ。
この生活に慣れた奴なんてまだ一人もいないだろう。
「リバニア軍なんて来なけりゃいいのに‥」
原が呟く。
「ほとんどの奴がそう思ってるだろうよ」
これで攻めてこなかったら笑い話で終われる。が、現実は甘くない。
「帰りたい‥」
「元気出せ原、生き残れば先は明るい」
「一宮さん、どうしてるかな。大丈夫かな」
原が心配そうに言った。自分の心配しろよ。
「よッ、片思い」
村岡が茶化す。
男子と女子は同じ建物に泊まっているとはいえ、常に部屋の外は勇激隊が巡回しているためめったに会えない。男子と女子は隔絶されているといっても過言ではないだろう。
ふんッ、彼女持ちザマァ! なんてことは思ってない。
「愛しの人を守るため、原、強くなれ」
村岡はそう言った。
夜は長い。そして暗い。
リバニアが加賀山県に侵攻して来る場合、壮絶な地上戦が展開されることになる。全世界では残虐兵器禁止条約が布かれているため、水素爆弾に加えジェット戦闘機、追尾型ミサイル、クラスター爆弾、劣化ウラン弾などのチートレベルの兵器は使用が禁止されている。これを破れば破った国は一年足らずで滅びる。実際にエリクトやマスルッカはそのせいで周辺国から侵攻され大国だった二つの国は今や植民地状態だ。
つまり逆に考えればこれらの兵器を使わなければ戦争が容認されると言っても過言ではない。
「昨日、この基地から脱出を図った者が出た。そのようなものは捕まれば無期限の強制労働が課される。というわけで昨日の奴らは刑務所に送らせてもらった。奴らが陽の光を浴びることはもうないだろう。諸君らも馬鹿な考えはやめるように」
にやり、と勇激隊の少将は全兵の前で言った。
はッ、ここは監獄かよ。イカれてやがる。知ってたけど。
周りからは呻き声が聞こえた。
逃げ場はない、ここにいる数千人はもう。
小部屋に戻る途中、泣いている女子が何人もいた。男子も狂いそうになってしまってる奴がいた。
ふん、そんなにあの日常に戻りたいのか。朝起きて学校に行き、帰る。機械のように過ごしていたオレは戻りたいとは思わない。
射撃訓練で初めて銃を撃った。手榴弾を投げた。
思っていたより重いな。これで戦うのか。‥実感が湧かなかった。
訓練ももうニ週間が過ぎた。
「なあ広中、俺達はこれから、どうなるんだろうな」
「さあな、考えても仕方がねえ事だ」
「僕は絶対に生き残る。絶対にだ」
佐上は自分に言い聞かせるような口調だった。
「国に捨て駒にされたって? 冗談じゃない、こんなところで死んでたまるか」
「ボクも生き残る。何が何でもだ」
原も同じ様子だった。まあ、絶望して負のオーラ全開になられるよりマシだな。
「広中、お前はどうする気なんだ?」
村岡だ。
「どうするって、どうしようもねえだろ」
「ただ死ぬのを待つってのか?」
村岡の声は妙に刺々しい。
「違う、運に任せるって言ってんだ。人智を尽くして天命をってやつだ」
「お前に戦う気があるようには見えねえけどな」
戦う気か。‥確かにないに等しい。オレにとってこの先どうなろうが知ったことではない。もういいのだ。生き残ったとしても味のない日常に戻るだけならいっそ‥。
「‥‥お前こそどうなんだよ」
「俺は死にたくない! いきなりこんなところに連れて来られてよ、戦争が始まるってなんだよ? なあ勘弁してくれよォ!」
村岡徹は叫んだ。溜まっているものを吐き出すように叫んだ。
「落ち着け村岡! オレらの立場は一緒だ。生き残ろう! ここにいる四人全員。絶対生き残ろう!」
「そうだよ村岡」
「全く、叫びたいのは僕の方だよ」
ガチャ、小部屋のドアが開かれた。
! ! !
「騒がしいぞ、何かあったのか?」
巡回中の勇激隊員だ。
小部屋の空気が鎮まる。
「いえ、リバニアとの戦いに向けて互いを鼓舞していただけです」
「‥‥‥そりゃ結構。だがあまり大声を出すな。わかったな」
返事を返すとドアが閉まった。お咎めはないようだった。
「さて明日に備えて寝ようぜ」
「すまん。ちょっと疲れてた‥」
村岡はそう呟いて、その後は何も言わなかった。
第二訓練施設、屋内模擬戦場はところどころに厚い塀が並んでいてゲームのダンジョンのようだった。高校の体育館と同じくらいの大きさがあるように見える。
「これより模擬戦を始める! A部隊vsB部隊。戦闘開始!」
一斉に百人近くが走り出す。広中勇平達はA部隊。
B部隊が向こう側から攻めてくるようだ。
A部隊もB部隊も高校が同じの同級生で編成されている。基本四人一組のチームで攻める。小部屋のメンバーと戦うってことだ。武器はペイント弾。装填はハンドガン。
被弾した者はもちろん全身ピンク色になってリタイアだ。
「さて、どうする」
「下手に出ると撃たれるよな」
「でも攻めないと教官に撃たれる」
「仕方ねえ、行こう」
広中、村岡、原、佐上ら四人は不規則に並んだ塀を注意しながら越えていく。
遠くからは悲鳴が聞こえる。ドンパチやってるな。
「きゃーーーー」
いッ! かなり近くで女子の叫び声。周りは塀のため姿は見えない。
パンッ ペイント弾の発砲音。
「まずい、構えろ!」
緊張感が一気に高まる。この模擬戦は男子女子関係なく全員参加が義務付けられている。つまり女子もこの戦場で戦っていると言うことだ。
「あ!」
塀の向こうから人影が。即座に銃口を向けた、その途端に人影は引っ込んだ。
青色ゼッケン。敵だ。今まで以上に恐る恐る塀を越えていく。
赤色(味方)ゼッケンの女子が三人倒れていた。手足にピンクがペイントされている。リタイアか。
「気を付けて。近くにまだいる」
リタイアした女子の一人が声をかけてくれた。
「わかった」
あちこちから発砲音と悲鳴が聞こえる。汗が滴る。
無意識に額の汗を拭っているとき、村岡が叫んだ。
「来たぞ! 撃て!」
突然だった。向かいの塀から敵チームの男子が二人、飛び出してきた。
数回、発砲音が響く。
「クソッ」
敵チームの男子二人は地面に倒れた。青色ゼッケンがピンクに染まっている。
広中勇平は無意識に引き鉄を引いていた。
周りを見渡すと、原が倒れていた。顔がピンクに‥。
「原はリタイアか」
「ゴメン‥」
申し訳なさそうに原が言った。
「しゃあねえよ。気にすんな」
「後でな、原」
原を残して三人は進んでいく。所々に既にリタイアした者が座って待機していた。見知った顔も見える。敵チームにがんばれよーと言われたりする。気楽なサバゲーだ。
「ひょっとしてもうほとんどの奴がリタイアしてたりしてな」
村岡が陽気に言った。
「‥ありえるな」
「めっちゃ善戦してるじゃんオレら」
「運が良かっただけだろ。ろくに戦ってないし」
「がッ?」
突如発砲音が響く。佐上が倒れた。
「佐上!」
眼鏡がピンクに染まってやがる。
「後ろか!」
後ろの塀に人影があった。目で確認できた時にはすぐ消えた。
「今の、女子だったな」
人影は確かに女子だった。
「マジかよ‥」
「残るのは広中と村岡だけか」
今リタイアした佐上が呟く、顔面ピンクで呟く。
「来るぞ‥」
後ろ側、自分達が来た方向に拳銃を構える。
「ん?」
右横側の塀に、今人影が‥。
そう思ったのも束の間、後方ではなく右横から女子二人が突っ込んできた。
「右だ村岡ァ!」
バンッ バンッ
二度の発砲音。女子の一人と村岡が倒れる。
残ったのはオレと、‥敵一人。
え? 咲森そら‥かよ。
敵チームの咲森がこっちに突進してきながら拳銃を構えた。
すかさずオレも構える、そして、
バンッ
「なッ」
避けられた! 咲森はオレがペイント弾を撃つ瞬間にしゃがんでいた?
思考が止まる。咲森が背を屈めて驚くべきスピードで前方に迫った。
そしてその姿勢のまま‥。
「撃たれる!」
発砲音。目の前をピンク色が弾けていく。
「痛ッ」
どうやらオレは地面に倒れた‥ようだ。
‥‥‥。
肩から右胸にかけてピンク色に染まっていた。
「やられた」
小隊全滅。
咲森は軽く息を吐いて後方を見た。倒れているオレ達には目も向けない。
後方から一人の女子が出てくる。おそらく佐上を撃った一人だろう。
「あっちゃー、鈴奈は撃たれちゃったのかー」
「ごめんごめん、撃たれちゃったよ」
村岡と相打った女子が答える。
「ま、いっか。こっちにはまだ最強のそらが残ってるし」
「真希、買いかぶりすぎ」
咲森は少し照れた様子だった。
後方から出てきた女子は岸本真希といって隣りクラスだった覚えがある。
「この娘、強かったでしょ」
岸本が咲森を差してオレに言った。
「ああ、すごく強かった。こっちが撃った弾を避けられるとは思わなかった」
「でしょー。そらと一緒に居たら無敵なんだぜぃ。ねえそらー」
自分の手柄みたいな口振りだ。
「ちょ‥真希、恥ずかしいからやめて」
咲森が頬を赤らめる。
「もう、そらは照れ屋なんだから」
「うー‥‥‥‥‥」
咲森が唸っている。こりゃレアだ。
しっかし、こんな状況だというのに咲森達は楽しそうだな。
少し元気が出た気がする。そう思っているのはオレだけじゃないようだ。村岡も佐上も女子を見て和んでいる顔をしていた。もちろん変な意味ではない。
(四日後 午前六時)
現実はオレ達に容赦しなかった。
「諸君、ついにリバニア軍が加賀山県沿岸部で確認された。心の準備は出来ているな。各々配置場所を死守してくれ。武器の弾切れには注意するように。お国のため、命を賭けて戦い、生き残れ。そうすれば未来は明るい。なお、いないとは思うが戦わずして逃亡することは万死に値する。見つかり次第‥、その場で」
勇激隊の少将はにやりとしながら言った。全身を悪寒が走る。
「その場で射殺します」
兵達はざわめく。唸り声があちこちから聞こえる。
「あーそれと、諸君の軍服にはそれぞれICが取り付けられているので居場所は簡単にわかりますからね。あー他にも、武器や兵士証にも付いてます。諸君は余計な事を考えずに、お国のため、平和のため、一生懸命戦うことだ。それが諸君の為なのだ」
退路はないに等しいと言いたいのだろう。
「えー、では最後に一言。たとえ最後の一兵になろうとも、戦え!」
それぞれ百人単位で基地の外に出陣していく。もちろんフル装備だ。リバニア軍は既に海上から地上に移ったらしい。情報によると日ノ本政府はリバニア軍の巨大潜水艦五隻が侵攻してきていることに昨日まで気付かなかったという。
だが、そんなことはありえない。
おそらく日ノ本は、あえて戦死者を出すことで、そう、オレ達を犠牲にすることで周辺国の同情を買おうというのだろう。ひ弱な兎を見れば守ってやりたくなる。そういう心情を狙って周辺国からの支援、政治面においての優遇を期待しているに違いない。強い国に頭を下げ続けて生き残る。この日ノ本平国がずっとしてきたことだ。虎の情けを借る狐。それがこの国だ。
嘘だらけの平和はこういう歴史を繰り返して保たれてきたのだ。
加賀山県、政令指定都市になるほどの人口を有し、県の中心部にはそれなりの施設が立ち並んでいる。だが、今は人がいない。無人の街。ゴーストタウンだ。
この町で、たくさんの人が‥死ぬんだ。
大型輸送バス(軍人さんが乗る迷彩柄)から降りた。
辺りは住宅街だった。少し遠くにはデパートなどの商業施設が並んでいるのが見える。
「ほんとにリバニア軍なんて来てるのかよ」
「実感がないよな」
村岡と佐上が話すのと同じような内容の会話があちこちから聞こえる。
「リバニアなんて来てないさ」
「壮大なドッキリ作戦的な」
人々は口々に言いたいことを言っている。
その時だった。
沿岸部の方角から大きな爆発音が聞こえた。そして銃声が響き始める。
「どういう‥こと?」
「ま、まさかリバニア軍が本当に」
ここからは沿岸部の様子が見えない。ただ、銃声が聞こえてくる。
「皆の者! 移動だ。援護に向かう!」
この部隊の総指揮を任された勇激隊の大佐が吠えた。
戦争が始まっているという実感がないまま、人々は移動を始めた。
体全体が重い。比較的軽量な最新の軍服だそうだが、武器などを装備しているためいつも以上の重量を体が感じるのは仕方のないことだろう。
武器はそれぞれ異なる。ハンドガンと手榴弾は全員に支給されるが、メインの武器は適性検査によって決められる。
広中勇平と原新之助はマシンガン(AK96)、村岡徹はショットガン(ウサカE89)、佐上仁太はライフル(PSG22)、それぞれどういう基準で決められたのかは分からない。
できれば一度も使いたくない代物だ。
「しかし、重いな」
「重い」
武器は予想以上に重い。テレビゲームとかなら操作キャラは軽やかに動かせるが、現実では無理だと感じた。
部隊は徐々に進んでいく。
そして銃声の響く音が、はっきりと聞き取れる辺りまで来た。
それは信じがたい光景だった。
「何だよ、‥何だよこれ」
数十メートル先に地獄絵図が、見える。
ダダダダダダダ、という鈍い音が聞こえたと思ったら人が倒れる。
「嫌アアアア!」
「‥ ああ‥ ああ」
赤色に染まった人が何人も倒れていた。
残りの数人が走っていく。
爆発が起きる。
‥‥‥‥。
今の今まで人の形を保っていたと思われる黒い物体が転がった。
「俺には家族がいるんだよォ! これからなんだよォ! これ‥がッは」
三十代前半と思われる男はぶっ飛んだ。そしてもう動かなかった。
女性の前に何かが投げ込まれた。
「やっと大手への就職が決まったのにこんなところで、死ん」
爆発が起きる。
‥‥‥。
さっきまでそこにいた女性の姿は確認できなかった。
「‥‥‥‥」
「うわァァァァァァァァァァァァァ!」
「ういえhくいうぇしhぎゅふぉgcういえhlく」
人が狂いだす。
数メートル隣りにいた人が倒れる。‥胸を押さえている。そこからは何やら赤いものが滴る。
「ここは危険だ! 建物の陰にィ!」
誰かの叫び声に我に返った。そうだよ。ここに居たら死ぬ。間違えなく死んでしまう。
広中勇平達四人はコンビニの陰に隠れた。
「あ‥かはッ」
「うぷッ‥」
佐上が手を口に当てる。
コンビニの壁に張り付き、顔を少し出すと‥。
燃え盛る炎の中、動くものを確認できた。
生存者がいた! ‥いや違う? あれは、
リバニア軍だ。リバニア軍だった。十数人いる。
黒の軍服。大柄な体格。微かに聞こえる異国の言葉。
明らかに日ノ本人と異なる雰囲気が出ていた。
そしてそいつらは、
「まずい! リバニア軍がこっちにくる!」
思わず大きな声を出してしまった。
この距離なら向こうまでは響いていないはずだ。
「何だって」
「嘘だろ?」
村岡達が壁から顔を出す。
「‥‥‥本当だっ、こっちに来てる」
「気付かれたのか?」
「まだ気付かれてない」
「そっと後ろに周って商店街の方に下がろう。今すぐに!」
村岡が提案する。乗らない手はない。
「行こう、急げ」
地獄絵図から離れていく。商店街前の交差点付近には味方、日ノ本兵がたくさんいた。
皆不安そうな顔をしている。
「向こうからリバニアの奴らが来てる! 気を付けて」
原が人々に言った途端、人々は周りとの会話を止めた。そして凍りついていた。
空間が静止した場所を一気に駆け抜けて商店街まで下がった。
商店街には数人の日ノ本兵が不安そうに立ち尽くしていた。兵と言っても元は青紙で無理やり連れてこられた人達ばっかりなので実戦経験のある人はまずいないだろう。
広中勇平達四人は商店街内の雑貨店に隠れた。一か月程前に加賀山の住民には緊急避難命令が出されていたので、シャッターやドアが開いたままの建物がいくつもある。そのため屋内への出入りはそう難しくない。
「キャァァァ!」
ダダダダダダダダダ。
ぎーーーーーーーーーーーーー。
工事現場で工事をしている音がする。‥違う、工事なんかじゃない、この音は。
雑貨店の入り口から外に顔を覗かせると、さっきまでたくさんの人達がいた交差点が、地獄と化していた。
工事ではなく激しい銃撃音。爆発音。燃え盛る炎。
悲鳴を上げて炎に呑まれる人々。
商店街に逃げ込もうとする人々を背後から射撃するリバニアの兵士達。
逆に懸命に立ち向かう日ノ本兵もいる。
だが次の瞬間、真っ赤な花を咲かせて倒れた。リバニアの兵士も何人か倒れていく。
これが、戦争。
知ってはいたはずだ。世界は平和を保証してなんかないと。世界は危険に満ちている。
そのことを小学校からきちんと教えるべきなのだ。根拠もなく無限の可能性、個性の素晴らしさを謳わず、世界の本当の姿を、有りのままの世界を、子供に教えるべきなのだ。
オレが今ここで、こんな絶望的な状況にいるのも別におかしなことではない。世界では毎日繰り返されていることなのだ。オレはテレビや新聞のニュースでその事実を知っていた。
誰もがその事実を知りながらも他人事なのだ。
交通事故、殺人事件、大災害、戦争、‥‥‥。命を落とした者に世間は無関心すぎる。
悲劇はあちこちに転がっているのだ。
今回たまたま、自分がその悲劇に選ばれただけだ。悲劇に選ばれて初めて人は気付くのだ。
自分達は平和ボケしていたと。他人の悲劇には目も当ててこなかったことを。
「おい、落ち着け」
広中勇平達は四人全員、体が震え上がっていた。
「広中、どうするんだ」
嫌な汗を大量に掻いている。熱い。
「リバニアのやつら、こっちきてるぞ!」
村岡が強く言った。
佐上と原は今までに見たことがないような苦い顔をしていた。
銃撃音が響き続けている。そして悲鳴。爆発音。
「ここで、死ぬんだな。僕たちは」
佐上が目を虚ろにしていった。
「お前、何言ってんだよ」
「もう無理だろ、こんな状況。どうしようもねえよ!」
声が荒くなった。佐上の精神は切羽詰まってきている。
「まだ、まだ死ぬのは嫌だろ! 絶対生き残るって言ってたじゃねえか!」
言う。言わないとやっていけない。
「生き残るって、‥どうやって」
「あいつら、リバニアと戦うしかねえ。戦って命がけで逃げ切る。それしかねえよ」
方法はそれしかない。
「死ぬかもしれねえぞ」
「ここにいても死ぬだけだ、違うか?」
佐上は何も言わなかった。ただ、がたがたと震えている。
「怖いのは全員一緒だ。でもここを抜けなきゃ、オレ達は全員‥死ぬ」
「戦うしかないよ」
リバニア兵達は少しずつ商店街に近づいてくる。数は十人程度。
日ノ本兵はオレ達意外にいない。逃げたか、死んだかのどちらかだ。
リバニア兵との距離、三十メートル。
今までにない緊張感。緊迫感。
「行くぞ!」
村岡が手榴弾のピンを引き抜き、リバニア兵の方向に投げこんだ。
カランカランと空き缶が転がるような音に近い。
「ビア? ‥アッチル!」
リバニア兵の一人が叫ぶ。
「コート!」
一斉にリべニアの兵達が引き返した。そして
手榴弾が炸裂する。強烈な爆発音と舞い上がる爆煙。
「今だ走り抜けろ!」
四人は一気に商店街後方へと駆け抜ける。
目的地は商店街隣接のデパートだ。さすがに商店街出口までは距離がありすぎる。
「ダキーラ!」
ダダダダダダダ。マシンガンの音がここで聞こえる。
狙われている!
デパートの入り口が見えた。入口に向かって村岡がショットガンをぶっ放した。
ガシャンッ。
「突っ込め!」
ドドッ
デパート内に転がり込む。
砕け散った窓ガラスが散る。
「‥助かった!」
「まだだ! あいつら追いかけて来てる!」
走る、走る。
「こっちだァ!」
咄嗟に向かったのは地下へと続く階段。デパート地下街だ。
階段を全速力で降りていく。そして無人の地下街の本屋に入った。目立ちにくい場所だ。
そして本棚の角に四人は倒れ込んだ。
「はあッ、はあッ、はあ」
「何とか、振り切ったな‥。怪我してる奴はいないか?」
見まわすと、全員擦り傷程度だった。
「生きてる。皆生きてる!」
「しゃあ!」
張り詰めていた心が和らぐ。
地下街は思ったよりも広い。見渡すと道がいくつかに分岐している場所がある。
数カ所の出口があるようで、JR加賀山駅構内にも繋がっているようだ。
「良い場所に逃げ込めたな」
村岡が言った。
「まだ油断はできん」
「そりゃそうだ」
「でもひとまず安心なのは確かだよ」
原が穏やかに三人の顔を見ながら言った。
「‥まあ、そうだな」
原はいつものんびりしている。こいつといると戦場では和むかもしれない。
しかし、よく生き残れた。一歩間違えたら全滅だった。全員あそこで果てていただろう。運がいい。少なくとも運の悪い奴らの中で、オレ達四人は運のいい方みたいだ。
不幸中の幸い。ちょっと違うか。
戦場では驚くほど命が軽い。自分の身は自分で守らなければ死ぬだけだ。
そういえば、咲森はどうしてるんだろうか?
まあ今そんなこと考えている場合じゃないな。
「一宮さん、どうしてるかな」
原が呟く。
‥‥原と同じようなこと考えていた自分が少し恥ずかしい。
「好きな人のこと考えてる暇があるのか。余裕だなおい」
村岡が驚く。
でもまあ、戦場で愛しき人を想うことって浪漫があるな‥。とか中二っぽいことは全く考えていない。
こつこつ。遠くから足音。
「ん! 誰か来てるぞ」
「何!」
それぞれが武器を構える。
「あれは、‥味方だな」
「そうみたいだな」
その軍服は四人と同じ日ノ本兵のものだった。
「ほっ、全くひやひやするぜ」
日ノ本兵が近づいてくる。三人、女性だ。女子というには大人びている。
ここに来る前は大学生だったのだろうか。
近づくにつれて声が聞こえてくる。何やら言い合いになっているようだ。
「アンタのせいで、優奈は‥優奈は」
一人が攻めるように言った。
「あたしのせいじゃないよ! 仕方なかったんだよ! あの時は皆逃げるのに必死だったから‥」
「落ち着いて二人共。こんなことしても、優奈は、優奈は帰ってこない」
女性の一人がそう言った。誰も何も言わなくなった。
仲間の死を受け入れられていない。そんな、様子だった。
「あっ」
女性達がこっちに気付いた。そしてしばらくしてゆっくり歩いてきた。
「あなた達は、ここで何してるの?」
「‥‥商店街から逃げてきたんです」
「そう」
女性は予想通り、というような顔をした。
「わたしたちもね、同じかな。銃弾から必死に逃げて来てここに着いたって感じ。‥一人、死んじゃったんだけど‥」
「彩、やめときなよ」
一人が止める。
「ごめん、暗くしちゃったね」
「‥‥いえ」
女性達に返す言葉が見つからなかった。
「どうして、こんなことやってるんだろう。わたしたちは」
「帰りたいな」
笑っているように見える。でもその笑いは何かを諦めた様子だった。
「がんばりましょう。お互い、生き残りましょう」
少し間が空いて村岡が女性達に言った。
「ふふ、ありがとね」
女性は微笑んだ。少し寂しそうに。
「あれ」
佐上が指差した方角から日ノ本兵が走って来る。
どんどん近付いてくる。数は四人。男性だ。
「いやあ、危なかった」
「死ぬかと思いましたよ」
男性達は三十歳前後だった。
「ふうーーーー、一服、煙草が欲しいもんだよ」
男性の一人が手で煙草を吸う動作をしながらもう一人の連れにぼやく。
「はいはい」
そして流される。
「あ、あの上はどんな様子なんですか?」
女性がその男性達に聞いた。
その途端男性達の会話が止まる。男性達は全員重苦しい顔をした。
「‥大勢の人が死んでる。酷いもんだよ。あんたら若いもんまで駆り出されて戦わされて、こんなのおかしいさ、間違ってる」
「‥仲間を助けられられなかった。怖くてさ、他の同僚達を見捨てて来ちまったよ」
嘆き自分を責める男の言葉に誰も何も言わなかった。
そのとき。
地下街の六十メートル程先で、大きな爆発が起こった。
爆音がびりびりと響き渡る。遠くで爆煙が上がるのが見える。
「う?」
「何だ!」
その場にいる全員が爆発が起こった方角を凝視する。各々武器を構えた。
煙から黒い影が出てくるのが見える。
あれは。
「リバニアだ!」
一斉に男達が各々の銃を構え、そして
銃声が響く。
その黒い影がはっきりとリバニア兵だとわかったときには、もう黒い影は地面に転がり動かなくなっていた。
「すご‥いですね」
女性の一人が呟いた。
確かに男性達の今の動きはすごいと言うほかない。敵と即断し瞬間的に銃を放つ。
この男性達のように、生き残るには素早い判断力行動力が必須だ。
男性達の即断が少し遅かったらオレ達は今頃皆やられてたかもしれない。
「助かりました」
「いえいえ、皆さんが無事で何より」
男性が笑って微笑んだ。
場の張り詰めた空気が和らぐ。
パスッ‥。
「え?」
男性の一人が倒れた。
「おいどうした?」
同僚の一人が声をかけて、
「おい!」
同僚の一人が大声を上げた。
見ると仰向けに倒れた男性の軍服の半分が血に染まってきている。
「撃たれてる!」
「何だと?」
「嘘でしょ!」
再び耐えがたい緊張感に包まれる。
「おい広中、これって‥」
パスッ‥。
また一人、男性が倒れる。
「きゃああああ!」
悲鳴が響き渡る。
「ライフルで狙撃されてる! 全員走れ!」
村岡が叫んだ。
走る、走り続ける。途中、女性の悲鳴が聞こえても、広中勇平達は走り続けた。
「はあッ、はあッ、はあッ」
熱い。気分が悪い。
「ぐぶっ」
原は嘔吐した。
もらいそうになったが、ぎりのところで耐えた。
勇平達四人はどこだかわからない小さな売店に転がり込んでいた。
「どこだよ、ここは」
息が上がり倒れ込んだまま佐上が切り出す。
「‥ふう、駅だ。加賀山駅。向こうに、改札が見えんだろ」
返事が遅い。
「ああ、頭を上げるのも面倒だ。くそぉ」
どうやら走り続けて地下街から駅構内まで来てしまったようだ。
遠くから爆音や銃声は聞こえ続けている。
「体、重い」
原がぼやく。
「もう少しこのままでいよう」
「‥‥そうだな」
倒れこんでいる四人はしばらく倒れたままの楽な姿勢で体力を回復することにした。
もうこの戦いが始まって何人が命を落としたのだろう。わからない。
ただ一つはっきりしていることは、自分はまだ生きているということだった。
あれほど、日々の生活に無気力だったオレが、今、生きていると強く実感できる。
‥‥オレはこの状況を楽しんでいる?
冗談。そんなはずはない。‥‥。
平和が一番と、誰しも言う。だが、平和とは、何もないことと同意ではないだろうか。無気力で毎日に価値を見出せなかったオレは、少しだけそんなことを思った。
少し前までは、戦う相手が何なのか、自分は何をすればいいのか? 全くわからなかった。
でも今は、生き残るという生物としての本能がオレを熱くさせている。今までにないほど活き活きとさせている。皮肉なことなのかもしれない。
どうでもいいと嘆いていた世界で生き残りたいと、オレは強く思ってしまった。
こんなに心と体が燃えているのは、小学校の運動会以来か。
小学校時代‥。
あの時代は本当に楽しかった。毎日新しい発見があった。友達もたくさんいたと思う。小さな、ほんの小さな幸せで心が潤った。合唱祭ではクラスでパートリーダーを務めたし、運動会では副応援団長を務めた。それは輝かしい、遠い過去の記憶。昔話だ。
今となってその面影は微塵もない。
中学時代、乙。淡い希望は砕け散り、現実を知った。
高校時代、ずっとクラスの隅で読書。ひとりぼっちにも慣れが来るものだ。
どこで何を間違えたかわからない。底なし沼で、もがけばもがくほど沈んでいくような感覚に陥っていた。
でも、この戦いを生き抜けば、何かを見つけられる。
オレは、広中勇平という人間は変われる気がする。
「生き残ろう」
勇平は言った。
「当然だ」
村岡が答える。
売店に転がり込んで一時間弱。各々体力もある程度回復してきていた。売店には食料があるので、腹を足した。
「戦いが終わるまでずっとここにいようよ」
原がポテトチップスを食べながら言った。
「それができれば良いんだがな」
「おい、お前ら。耳を澄ませ」
村岡は真剣な表情だ。
「ん、どうした?」
耳を澄ますと‥。
(サンカールピヌーリアッチャ)
(ソーラド)
会話が聞こえる。
リバニア語。発音が明らかに日本語とは違うそれ。
「リバニアか‥。くそ」
「ずっとここで寝たかったのによ」
四人全員が武器を構える。
足音が少しずつ大きくなっていく。
(どうする、見つかるぞ)
(向こうは二人だけだ。それにまだこっちに気付いてない。‥仕掛けるぞ)
小声で話し合う。
(仕掛ける?)
(ライフルで狙う)
「なっ! 無茶っ」
慌てた佐上の口を素早く抑える。
(声上げるな、奴らにばれる)
「ステート。‥ヒール」
「ピアッチャ」
リバニア軍の足音がしなくなった。
(何だ? この感じ)
(おい、なんか変だぞ)
カランカラン。
近くで空き缶が転がった?
いや! 違う。
「まずい離れろォ!」
爆発。強い衝撃。ふっ飛ばされる。
‥‥‥。
「エコール!」
勇平は反射的に声がした方向にマシンガンを構え、連射した。
「ガッ‥」
土煙の中リバニア兵が倒れた。
「おい佐上! おい!」
村岡が声を上げていた。
土煙が止む。
リバニア兵は二人共倒れていた。
そして佐上も倒れていた。原と共に佐上に駆け寄る。
「佐上‥」
佐上は首を撃たれていた。首から大量に出血している。
‥‥‥‥‥‥ 佐上。
「へっ、‥生き残れ、よ、お前ら、僕の分まで、生き残れ‥」
佐上はもう、何も言わなかった。
息も、もう、していなかった。
‥‥‥‥‥‥。
「勘弁してくれ」
村岡が呟いた。
佐上が死んだ。死んだ? 実感がない。信じられない。
だが、佐上は死んでいた。
「なんでこんな‥」
原が目尻に手をやる。
「くそ」
「おい向こうから‥」
八十メートル程先、リバニア兵が七、八人こちらに向かって来ていた。
「嘘だろ」
四人、いや、三人は一斉に走り出した。
駅の改札前を横切って階段を上がる。駅構内建物の外に続く道だ。
改札に入ってしまったら逃げ場がなくなる。直感だった。
階段を上がりきり、外の日光を再び浴びた。
外は異様な静けさに包まれていた。
静かで人も見当たらない。だが周りの建物からは煙が上がっていたり、建物自体が燃えていたりしている。たまに銃声と叫び声が聞こえている。
人は見当たらない。正確に言えば生きている人は見当たらない。
ざっと眺めるだけで二十人以上の死体を確認することができる。敵であるリバニア兵も混じっている。
「止まるな、危険だ」
村岡が囁く。
吐き気を堪えて三人は走る。
どこに向かっているのか分からない。ただ走る。安全な所に。
ふと数十メートル先の噴水の陰に黒い影が見えたような。
「おい、あそこ」
黒い影が何かを構えた。
「嘘だろありゃRPGじゃねえか」
え? RPG ロケットランチャーだと‥。
「散らばれ! やばすぎる!」
三人は散らばりながらがむしゃらに走る。
轟、と空間が歪んだような感覚。
「っと」
爆発。数十メートル左方。確かあそこには原が。
‥‥‥‥‥‥‥。
「原ァァ!」
しかし原の姿は、どこにもない。どこにも、ない。
「‥くッ」
訳がわからん。
「止まるな走れ広中! 死にたいのか!」
村岡がものすごい剣幕で叫んでいる。
「なわけねーだろ!」
何も考えず、全速力全力疾走。
「ビア!」
建物間に黒い影が二つ。
「ルークン!」
追って来てる?
「かまうな逃げろ」
デパートなどの大型施設を越えて小さな雑貨店が立ち並ぶ通りまで来ても二人は全速力で駆け続ける。
マシンガンの唸る音が耳に響く。
狙われている。間違えなく狙われている。
訳が分からないまま二人は雑貨店の路地裏に逃げ込んだ。‥正確には倒れ込んでいた。
「はあ、はあ、‥‥‥原が‥くそ」
原はもう、いないんだ。実感がない。原は死んだ? そんなの信じられない。
「広中」
村岡が言う。
「何だよ?」
「俺はもう駄目だ」
その言葉の意味が勇平には理解できなかった。
「何言って! おま、え。その傷、何だよそれ」
村岡の腹部は真っ赤に染まっていた。
「へへ、実はさっき撃たれてたみたいだ」
笑いながら村岡は喋る。
「なに笑ってんだ?」
「へへッ」
「何笑ってんだよ! 嘘だろ! 何でだよ!」
村岡は何かを悟ったような顔で言った。
「お前は、死ぬな」
村岡はそう言い終えて目を閉じた。
「おい、村岡。おい!」
既に村岡は息をしていなかった。
‥‥‥‥‥‥‥‥。
もういい。もうたくさんだ。
やはり世界は腐っていた。
「ビーグ」
敵の足音が近づいてくる。
もはや勇平は膝まづいたまま動けなかった。
路地裏に黒い影が現れる。この目で勇平はそれがリバニア兵であることを確認した。
リバニア兵は勇平に銃口を向けた。
‥‥‥勇平の体は動かない。
ここまでか。ふざけてる人生だった。何もない人生だった。
銃声が響いた。
‥‥‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
何で? 何でオレは、生きてるんだ?
前を見るとリバニア兵は倒れていた。
何が起こったんだ?
こつこつと後ろから足音が聞こえた。
勇平は恐る恐る振り返る。
「あの、私は、味方。‥だよ」
勇平は驚いた。
そこには咲森そらがいた。
「お、おう‥」
おどおどとしながら咲森は勇平に近づいていた。
「大丈夫?」
咲森の声が勇平の鼓膜に響いた。
ああ、オレはまだ、生きている。
勇平は不思議な気分だった。この絶望の世界で、咲森に会うなんて。本当に人生とはわからない。まあそう言える程まだ生きてきていないけど。
そんなことを想いながら咲森をみる。