家庭教師、悲観する
――パパ殿の、裏切りもの。
「あ~もー、じゃあ、ご期待に応えて、霧舟の着物で、醍醐寺に行きますよ。懐中電灯で照らして、ICレコーダー再生して、花火でも打ち上げて、最後スタンガンで座主を眠らせれば、さすがにちょっとは怖がるんじゃないですかね!」
やけくそでそう言うと、その場の全員が顔を引きつらせた。
「あの、斎迩の君? 何を言ってらっしゃるのか分からないけれど、なんだか恐そうです……」
「そう。ものすごく、怖いのだよ。あの院が、怯えて命乞いするほどにね。……斎迩の君、もう我らにはそなたの常識外の手段しか、頼るものがないのだ」
思いのほかマジメな声音で、パパ殿が引き取った。
「醍醐寺は独立採算で、資金力も政治力も強い。正直なところ、朝廷が手を出せる相手ではない。仁覚が捕縛されたのは、三宮院の阿闍梨だったことも大きいのだ。三宮院は後宮直轄の寺、朝廷の管轄だからね。――仁覚と勝覚は、共に醍醐寺で修業をし、たまたま仁覚が三宮院に行き、勝覚が醍醐寺に残ったと聞いている。それがあの兄弟の命運を分けた。皮肉なものだな」
白河院が天下三不如意に「山法師(比叡山延暦寺の僧兵)」を挙げたように、この時代の宗教勢力は独立した政治体で、絶大な権力・財力・武力を誇っていた。律令制が崩れつつあるなか、ほぼ治外法権なのだ。
――だから、醍醐寺の座主は、処罰されなかったんだ。
気に食わないが、納得はした。
現代で調べてさえ、「永久の変」は違和感の残る結末だ。だが、朝廷勢力と宗教勢力の権力闘争、宗教界の治外法権問題が関わっていたのなら、朝廷が踏み込めなかった内実も分かる。
そこへ、階から、大輔の君の声がした。
「大姫様。足湯の準備を見ていただきたいのですが……」
大姫が何か答える前に、パパ殿が「行ってきなさい」と言った。
大姫が、じっとパパ殿を見る。もぞもぞとわたしの膝から起き上がって、笑顔を見せた。
「斎迩の君に教えていただいた足湯、皆に好評なのよ。時間も材料も少なくて済むから、下女達にも勧めているの。今年の冬は風邪を引く者が少なかったのも、足湯のおかげ。また、あとでお会いしましょうね」
そして、けら男とともに、退室していった。
これまでの大姫なら、この場から外されることに、頑として抵抗しただろう。
――ホントに、成長したなあ。
場の空気を読む大姫……、感無量である。
けれど、わたしのほんわかモードは、パパ殿にぶった切られた。
「斎迩の君。大僧正は、僕に、そなたを監禁して二度と逃がすな、と伝えてきた」
「か、監禁?! はぁ? なんで、いきなり、そんな……」
あれだけえげつない話題でさえ、大姫を同席させていたのだ。更にとんでもない話がくるだろうとは予想していたけれど、想像の斜め上をいくネタだった。
計画の練り直しでも権力闘争でも殺人の話でもなく、なぜに、わたしを、監禁?!
顔いっぱいに疑問が出ているわたしとは対照的に、静かに控えていた家宰さんが、「なるほど」と呟いた。
「そこまでしても、内裏は斎迩の君が欲しいのですね」
「そういうことだ。まぁ、大僧正は食えないじーさんだが、私欲のために権力を使う人ではない。斎迩の君が今上の御ためになると判断して、確保したいのだろうな」
「か、監禁って、確保って。なんで、急に、そんな……」
「急ではないだろう。僕との縁談を持ってきたじゃないか」
――ええぇ?! あれってそういう意味だったの?!
もう何に驚いていいのか、混乱しつつ目をひん剝いていたら、パパ殿がふきだした。
「目玉がこぼれ落ちそうだぞ。じゃあ、あの結婚話はなんだと思っていたんだい」
「はあ。殿様のお守り役に採用されたかなー、と」
素のまま答えたら、パパ殿は憮然とし、今度は家宰さんが盛大にふきだした。そのまま咽ている。
「そなたに断られた旨を伝えたら、大僧正の考えを説明されたんだ。まあ、政治的判断としては分からないでもなかったので、いったん受けといたわけ」
「いやいや、何言ってるんですか! ムリですって! ムチャにもほどがありますよ!」
「だよねぇ。だいたい、この邸に監禁したって、斎迩の君、好きなときに出ていけるでしょ」
はた、と考える。
試したことはないが、基本的に、タイムリープしようと考えて扉を開けたら、目的地に着く。
八助さんのいる門を通らなければいけない、と思い込んでいたが、監禁なんて理不尽な目に遭ったら、そこら辺の板戸でもできそうな気はする。
わたしの顔色を読んで、パパ殿が手を広げた。
「それを、僕は知っているけれど、大僧正は知らない。大僧正は本気で、斎迩の君を神使だと思っているフシがあるからなぁ」
朝廷が篤く信仰する薬師如来の使い。
今上にとって目の上のタンコブである白河院にも宗教界にも、抑えが効く存在。
幼い帝を教え導ける人物。
パパ殿が説明する「それ」は、断じて、わたしではない。
――ただの家庭教師が、調子に乗って事件に首を突っ込んだから、政治のコマにされそうになってるんだ。
これまでの行動を後悔はしていないけれど、暗い気持ちになっていると、パパ殿が訊いた。
「あのさ。斎迩の君はいろいろ非常識だけど、身体はヒトだよね?」
「身体も中身もどこもかしこも、普通の人間ですけどっ?!」
なんつー聞き方をするんだ、このおっさんは。
わたしの気持ちに斟酌なく、パパ殿はへらへら言う。
「あ、やっぱり~。でも大僧正は、そう思ってないからね。この場合、神使と思われている方が危険なんだよ。斎迩の君を逃がさないように、弓矢を射かけたり火を仕掛けたりするかもしれない。神仏なら傷つくはずがないからね。なんでもアリでくるはずだ」
微笑んで告げられた、物騒な予想にぞっとする。
「つまりね。斎迩の君は、もう、大僧正とも内裏とも関わらない方がいいってこと。斎迩の君がこちらに来にくくなって、僕はむしろよかったと思っているくらいだ」
こんなこと、大姫の前で言えないけど、とパパ殿は肩をすくめた。
「え、じゃあ、殿様は、わたしがもう来ない方がいいと思っていらっしゃるんですか? わたしの身の安全のために?」
「いや~、どのみち、僕が決められることじゃないでしょ。決定権は斎迩の君にある。このまま中途半端に終われるような人でもないし、大姫が喜ぶし、この邸には来てほしいよ。ただ、こちらに来るときは、じゅうぶん気をつけて」
パパ殿は、それを伝えたくて、人払いをしたのだ。
「ありがとうございます」
わたしは、初めて、心からパパ殿に感謝した。
明るいうちに、大姫のたっての希望で、大姫と女房全員と一緒に、湯殿で足湯をした。下女達も交代で足湯をさせてもらい、最初は恐縮していたが、どんどん賑やかになっていった。
大姫は、侍医に聞いて、足湯にショウガを入れているらしい。おかげで、撫子の君は、血の道がラクになった、と感激していた。
わたしは思いつくかぎりの入浴剤を挙げておいた。今の季節なら、柑子(ミカン)の皮や柚子を浮かべてもいい。ショウガは高価だが、柑子の皮ならおこぼれにあずかれるかもしれないと、下女達も盛りあがる。
そのまま、夕餉も大勢で摂った。
普段は大輔の君が大姫の食事の世話をするが、大姫は彼女も隣に座らせて、一緒に食事をするよう命じた。
邸の玄関で熱烈に歓迎してくれた、撫子の君も若狭も、目を潤ませて、あらためて喜んでくれる。
大姫はご膳の食事を完食した。大輔の君が涙を浮かべて、わたしにお礼を言ったが、わたしは何もしていない。むしろ、心配を掛けた側だ。ずっと大姫のケアをしていた女房たちがエライ。
撫子の君からは、足湯のお礼と同時に、打ち明け話もされた。先師のお方様から、戻ってくるように誘われているらしい。お方様は基本的には、先師殿の隠居所で同居しているが、先師殿の人嫌いが強くなると、実家に戻って生活しているのだそうだ。
「普通は男性が通い婚なのに先師殿は妻が通い婚だと、からかわれているのですが、お方様は心やすくなられたようで、明るくなられました。斎迩の君のおかげだと、仰っておられます」
その二重生活のおかげで、人手が足りないらしい。特に先師殿の隠居所は、極力人を少なくしているので、気心の知れたベテランの女房にいてほしい、という申し出が来たそうだ。
生き生きとした撫子の君を見て、次にわたしがこの邸に来たとき、撫子の君はもういないかもしれないな、と感じた。
たぶん、撫子の君もそう思ったから、わたしに話してくれたのだろう。
一方で、若狭はすでにベテランの女房の貫録を身につけていた。
「私、大輔の君を尊敬しているのです。ゆくゆくは右腕となって、東の対屋に若狭という女房あり、と頼りにされたいと思っています。もちろん、今はまだ、未熟者ですけれど」
真っ赤になりながら、そう話してくれた。若狭は最初から、大姫の趣味に忌避感を持たなかった貴重な女房なので、そのまま育ってほしい。
湯殿に引き続き、賑やか、というか、かしましい夕餉も終わり、大姫はすでにうつらうつらしていた。
「当然ですわ。ずっときちんと眠っていらっしゃらなかったのですもの。今日は斎迩の君がいらして、安心なさったのですね」
体の大きな撫子の君が、大姫を抱きかかえて、寝間に運ぶ。
寝間に残ったわたしは、ぼけっと大姫の寝顔を眺めていた。
――終わりが近づいている。
それも、わたしの予想よりずっと早く。
明日、一度現代に戻ったら、たとえ翌日に平安時代に渡ったとしても、何か月後になっているか分からない。
さまざまな準備をする時間が、圧倒的に足りない。
なによりもキツイのは、精神的な準備をする余裕がないことだ。
別れを、計画を、断罪を、わたしはこの24時間以内に覚悟しなければならない。
「けっこう、キツイ……。そんなにすぐ、割り切れないんだけどなぁ」




