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家庭教師、仲裁する

「大姫様にあ、謝れとは……。新参の教師ごときが、不遜な……」


部屋の冷気を完璧に無視して、わたしは、失神していた女房を、扇で指し示した。

濡らした手拭いで顔を拭かれていた彼女は、目を覚まし、異様な雰囲気にびくびくしている。


「あちらの、気を失われた女房殿です。なんとおっしゃる方ですか」


撫子なでしこの君よ」


うっかり吹き出しそうになって、あやうく耐える。

その女房は、平安時代の美的センスから見ても、撫子という可憐な花の名前とはほど遠かった。

めちゃくちゃボリューミーな体型に、菊の重ねの着物で、カレーまんのようである。

ムリヤリまじめな顔を作って、お説教した。


「世の中には、何よりも毛虫が苦手、という人もいるのです。高いところが怖くて腰が抜けてしまう人やら、蛇を見ただけで失神する人やら。蜜柑を食べて死んでしまう人もいるのですよ。大姫様が好きだからといって、みなが毛虫が平気だとは限りません」


「そんなこと、今さらだわ。斎迩の君は知らないでしょうけれど、わたくしはこの局で、よく虫を放しているの。いい加減慣れてもいいのではないかしら」


一理ある。

わたしも、うっかり頷いた。

実際、毛虫を見たときの女房達の騒ぎっぷりは、こっちがドン引きしたほどだ。

あれだけ姫君にお淑やかにしろと言っておいて、大口開けて叫び続けるのは、どうなのか。

貴族のお付き女房といえば、平安時代の数少ないキャリアウーマンである。そのわりには、プロ意識が薄い。


「大姫様の仰るとおりだと思います。お仕えする主人の興味に合わせるのが、女房の勤めですしね。けれど、撫子の君だけは別です。叫ぶような人は、心配ありません。そのうち慣れます。ですが、気を失うのは別の問題です。大姫様は、失神するほど恐ろしい目に遇われたことがございますか。そういう、真の恐怖を与える物には、決して人は慣れることはできません」


大姫は俯いて聞いていたが、撫子の君ににじり寄っていった。

大輔の君に抱きかかえられたまま、撫子の君は、目を丸くしている。


「ごめんなさいね、撫子の君。もしかして、ものすごく烏毛虫がお嫌いなの」


「も、申し訳ありません、大姫様。子供のころから、どうしても苦手で……、あの、思い出すだけで……」


主人に謝られた撫子の君は恐縮し、平伏していたが、みるみるうちに顔色が真っ青になり、冷や汗がびっしり浮きはじめていた。扇を持つ手も、鳥肌が立っている。


「もう、口に出さなくていいわ。思い出さないで、撫子の君。あなたがそんなに……あ、いえ、ごめんなさいね」


大姫が慌てて、それ以上話すのを止めた。

そっとわたしを窺い見る。

わたしはしっかり頷いて、次は、誉める。

アメとムチは、両刀使いが基本だ。


「大姫様、きちんと謝れましたね。局の主人として、人として、とてもご立派な態度だと思います」


「でも、わたくし、撫子の君が気を失ったことに気づかなかったわ。主人として失格なのではないかしら」


いえいえ、自分で気づいたのなら、合格です。

わたしは、一人、心の中でにんまりしていた。


「これから覚えればよいのです。大姫様はまだ女童ですから。そういうことのために、大輔の君がいらっしゃるのですし」


さて、と、わたしは扇をぱちんと音立てて閉じた。


「大姫様は、ご自分の過ちを正され、撫子の君に謝られました。わたしも、不調法を姫様にお詫びいたしました。

自分の間違いを正さずに他人にお説教する方が、大姫様には殊のほかご不快のご様子。女房の皆様方も、見苦しく騒ぎ立てたことについて、大姫様にお許しを請うてはいかがでしょうか」


えっ、と固まった女房方に、


「これで三方、謝り謝られで、丸く収まりませんか」


さすが、すぐに立ち直ったのは、大輔の君だった。

別にこの人は、毛虫ごときでは騒いでいなかったのだけどね。黙々と、失神した撫子の君の面倒を見ていたし。

でも、筆頭女房の大輔の君が平伏すれば、ほかの女房も倣うしかない。

結果的に、みんなが大姫に向かって、大声で叫んだことを謝り、大姫はもちろんそれに許しを与え、なんとなく美しい光景で収まったのだった。


大姫様が楽しげに笑って、言い放たなければ。


「螻蛄に詳しい先生なんて初めてよ、斎迩の君。こちらにお住まいになるの? 局を用意させた方がいいかしら。明日の朝は一緒に、螻蛄の羽化を見ましょうよ」


「いえ、わたしは、通いで参ります!」


大輔の君が、凄味のある笑顔を浮かべて、


「書も琵琶も琴もお師匠がいらっしゃいますから、斎迩の君には、『古今』の暗記と、貴族女性としての嗜みを教えていただきます。もちろん、大姫様がよいご結婚をなさるまで」


きっぱり言い切った。


いや、わたし本人が、28歳独身、彼氏ナシだし。

恋の駆け引きとかまったく分からないし、姫君の婿が財産目当てでもべつにいいじゃないと思っちゃったくらい、結婚とかまじめに考えたことないし!

ていうか、この姫様が結婚するまで家庭教師って、どんだけブラックな契約なの。

なんかの罰ゲームか、これ!



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