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家庭教師、乖離する


 最近、大姫の古今和歌集の暗記は、ゆったりモードに戻っている。

 かなり暗記したし、以前のペースが異常に速かったし、むしろこれが通常運転だ。これまで覚えた和歌の復習、定着がメインである。

 それに、もう大姫は、自分で古今の中から、自分に必要な歌、好きな歌を選べる。苦手意識が少し薄れて、テクニックもりもりの恋の歌なども詠み始めている。

 どんな科目でも、自分でテキストを使いこなせるようになれば、生徒の自由裁量で勉強してもらっていい段階に入っている。

 わたしは、大姫がもともと好きな万葉集からも、好きな和歌の暗記を許可した。

 これまでは、万葉集もOKにしてしまうと、大姫が万葉集しか覚えない可能性があったけれど、今の大姫なら心配ない。万葉集からは生命や恋への賛歌を、古今からは情緒とテクニックを、それぞれ詠み取れるだろう。


 万葉集の解禁は、わたしの思っていた以上に、大姫にとっては、「ご褒美」になったようだ。

 自分でせっせと暗記する歌を選んでいるので、以前ほど、付きっきりで教え続ける必要がなくなった。

 大姫が万葉集や古今和歌集をひも解いている間、わたしはヒマだ。いや、本当はこれまでの指導を見直したり、自分も暗記をやり直したり、やることはあるのだけれど、ついつい、事件のことに考えが走ってしまう。


 いなご麿は、大喜びで、二つのオモチャの再生を引き受けてくれた。

 正直、事件の重要性を正確に理解しているかというと、微妙に不安もある。でも本人が張り切っているので、いなご麿の役割だけに絞って、説明と練習をした。


「これって、潜入捜査だよな! すげぇ! かっこいい!俺ってば、信頼されちゃってる?!」


「もちろん。そうでないと、こんな危ないこと頼めないよ。人柄もだけど、いなご麿の、調子の良さとどこにでも馴染める性格と、運動神経の良さと要領の良さを、頼りにしてる」


「それはさぁ、いなご麿向きっていうか、いなご麿にしか、できなさそうだよねぇ」


「若干、褒められてるのか、ビミョーだけどな」


 ひき麿には、いなご麿ほど細かくは説明していないが、醍醐だいご寺に潜入する理由は、話した。

 

「ひき麿はマジメだし、どこに行っても、きちんと相撲すまいの鍛錬を努力すると、思ってる。だから、申し訳ないけど、いなご麿と一緒に醍醐寺に行く、理由になってほしいの」


「それは構わないんだけど~。いなご麿がオイラの付き人っていうのが、なんか、変な気分……。いなご麿は、寺男の仕事もするんだろ? オイラだけ、ラクしてないかなぁ。いいのかなぁ」


 ひき麿の困惑も分かる。が、ある程度の実力が期待されている相撲士に、付き人がひとりもいない方が不自然だと、大僧正から言われたのだ。

 ひき麿は、スローペースで、一歩一歩着実に進んでいく努力型だ。いなご麿のような、パラレルに用事を片づける要領の良さはない。

 でも、だからこそ、ひき麿には、そのままでいてほしいのだ。彼が真摯に相撲の鍛錬に励む姿が、いなご麿のいちばんの隠れ蓑になる。


「ふたりでいるときは、今までどおりでいいんじゃない? ひき麿もいなご麿も、まったく新しい場所に奉公に行くんだもん、ふたりの方が心強いでしょう」


「そこまでヤワじゃないけどな。ま、でも、もちろん俺は失敗しないつもりだけど、万が一バレて逃げるとき、ひき麿が一緒だと、ありがてーよ。だからおまえ、しっかり鍛錬して、さっさと強くなってくれよな!」


 いなご麿は、ひき麿をボディーガード代わりに使うつもりらしい。

 ふたりをそんな危険な目に遭わせる気はないが、いずれにせよ、お仕置きが一段落したら、ひき麿といなご麿は引き取る予定だ。ひき麿には、大僧正が責任を持って、その後の相撲士の道を保証してくれる。


 再生機の練習をこなしているうちに、醍醐寺から、相撲士と付き人を受け入れる返事が来た。

 

「んじゃ、ちょっくら行ってくる、潜入捜査に!」

「オイラも、相撲の鍛錬がんばって、いなご麿を守るよぉ」


 ――醍醐寺はアウェイなんだよ~、そんな軽くて大丈夫かなぁ。


 わたしだけがやきもきしつつも、行く前から、不安感を植え付けるわけにもいかない。

 速足はやあしのお邸から、送り出す側も見送られる側も、大応援の笑顔で、出発したのだった。


 いなご麿とひき麿がいなくなり、お邸は少し静かになった。

 雨彦はもはや八助さんの助手として、立派な庭師のタマゴだし、けら男も着実に家宰としてのトレーニングに入っている。

 大姫を筆頭に、みんなが大人になっていく雰囲気が、清々しいけれど、少し寂しい。

 そんな大姫は、


「来年は、まだ裳着もぎはしないわ」


 大輔たいふの君が慌てていたけれど、今度の発言はしっかり考え抜かれたうえだった。


「わたくし、覚えなければいけないことも練習しなければいけないことも、まだたくさんあるでしょう。学び始めが遅かったから、裳着をあと一年ほど遅らせた方がいいと思うの」


 今は霜月(11月)。年が明ければ、大姫は12歳になる。

 大姫の身分なら順当な年齢だが、13歳の裳着でも、遅すぎるわけでも世間体が悪いわけでもない。

 実際、年明けに裳着を行うなら、決めることが山積みで、落ち着いて勉強している今の環境は、維持できなくなるだろう。

 大姫の考えを聞いて、大輔の君以下、全員が納得し、あと一年、大姫は子どもでいる時間が増えたのだった。


 ――あ、そっか。陰暦と現代のカレンダーはズレてるから、わたし、正月休みは取れないんだ……。


 現代では、年の瀬もかなり押し詰まってきている。

 今は、家庭教師は3日おきだ。

 このペースだと、大晦日か正月三が日のうちに、一度は平安時代に渡ってこなければならない。


 ――ま、サービス業や塾の先生も、正月休みってほとんどないからね。同じことか。


 年末年始も、どこかでちらっと実家に顔を出す程度しか、予定もないことだし。

 わたしはお休みも申請せず、現代で年越しを迎えた。








「おぉ、斎迩の君! お元気じゃったかぃの! よかったよかった! みんな、心配しっとたんじゃぞい」


 正月3日、わたしがいつもどおりにお邸の門前に立ったら、八助さんに熱烈に歓迎? された。


 ――へ?


 疑問に思う間もなく、八助さんが叫ぶ。


「ぅおおーーーい! みなの衆、斎迩の君がお姿を見せられたぞい!」


「おおおお、斎迩の君! ご心配申し上げておりました! 大姫様も、お殿様も、もちろん我々も、いかがなされたのかと……。いえ、何事もなく、ようございました。ささっ、お早く大姫様にお目通りを……! どれだけお喜びになるでしょう」


「斎迩の君! 大姫様にご心痛をおかけするとは、なにごとですか! 大姫様をお慰めするのに、私がどれほど苦労したか……、いえ、私だってずっと……。とにかく、大姫様にしっかとお許しを請われませ!」


「みなさま、斎迩の君ですわ! ご無事でまた、お邸にいらっしゃいましたわ~!!」


 ――ええええ、何コレ?! 年明けただけで、この反応はなんなの?!


 ちょっと迷ったけれど、年賀状は書かなかったのだ。まだそういう慣習がない時代だし。そもそも、平安時代こちらではまだ霜月(11月)だし。

 それにしても、この過剰な反応はなんなのか。


「え、なんだか、皆さんにご心配おかけしてしまったみたいで……? えーと、すみません、まったく問題なく、元気です……」


 むしろ、年末年始は、食っちゃ寝してた。ちょっとだけ掃除して、あとはDVDとマンガとビールと、お雑煮三昧。

 とはいえ、現代の12月30日には、大姫の家庭教師をしたので、たかが3日、で、よもや太ったはずは、ない、と思いたい。


「あの、ちょっとオーバーですよ、3日空いたくら……」

「斎迩の君っっ!! よかった、お元気なのね!!」


 ものすごい勢いで、大姫がタックルしてきた。


「ぐ、ぐふっ」


 脇腹の横隔膜にヒットして、一瞬息が止まる。

 わたしがまだ本殿にも上がっていなかったのに、大姫は、東の対屋たいのやから猛ダッシュしてきたようだ。裸足で外に出ているのに、誰も叱りもしない。家宰さんも大輔の君まで、涙を拭っている。


「よかったわ、どうして、3カ月もいらっしゃらなかったの? わたくし、もう二度と斎迩の君にはお会いできないかと、思って……っ」


 大姫は、わたしにしがみついて、号泣した。


「ご連絡もなく、突然いらっしゃらなくなられたので、やはり斎迩の君は薬師如来のお使いだったのだと、私達も信じ始めていたのです」


 若狭わかさが真っ赤な目で説明し、撫子なでしこの君はぼろぼろ泣きながら、


「ええ。先師せんしのお方様も大僧正も、斎迩の君は、神仏のお使いとしてのお役目を終わられたので、もう現世にはいらっしゃらないのだ、と仰って……」


「はぁ?! え、ええっ、3カ月?! 3カ月も来なかったって、わたしがですか?!」


 他にもツッコミたい部分はあるが、なによりも、3か月も音沙汰もなく授業をドタキャンした、というのは聞き捨てならない。


「いえ、わたし、3日前にもこちらに伺いましたよね! というか、ご連絡もせずに無断で授業を休んだりしませんよ、プロなんですから!」


 大姫は首を振りながら泣きじゃくっているし、周りの女房達も言葉にならない。

 冷静になった家宰さんが、ずいっと出てきた。


「いいえ。斎迩の君は、霜月の中旬から三月の間、当家には一度もいらっしゃいませんでした。ご連絡さしあげようにも、文の宛先すら分からず……。殿様にお尋ねしましたところ、斎迩の君が来られなくなったのなら、それは役目が終わったということだ、追ってはならぬ、と……」


 それでも、せめて安否を確認したいと、都のあらゆる所に問い合わせたらしい。結果、左府さふ殿、先師の殿とお方様、お方様の実家、さらには内裏だいりにも、わたしが姿を見せていないことが判明した。

 パパ殿の意味不明な説明と相まって、「神仏のお使い」説が、ほぼ定着しつつあったそうだ。

 唯一、大姫だけが、頑強に反対していたのを除いて。


「大姫様は、斎迩の君が、ヒトでも神使しんしでも、え~、物の怪でも、ご自分に挨拶なく姿を消すなどあり得ない、と」


 わたしは、まだ泣いている大姫の頭を、そっと撫でた。


「大姫様。ありがとうございます。仰るとおりです。わたしは挨拶もなく、いきなり消えたりしません。家庭教師という仕事に、プライドも自信も持っていますから。やり切った、と思えるまで、大姫様のご指導は、続けます」


 しゃがんで、大姫の顔を覗き込む。


「それと、神仏のお使いでもありません。ただの家庭教師です。――大姫様が、わたしのことをいちばん分かってくださっていますね」


「で、でも、だから、っ、斎迩の君が、ご、ご病気になった、っと思ったの。誰も知らないところで、お一人で……っ。前に、お邸をお持ちだと、言っていたしっ。だ、だから、けら男に、頼んで、うっく、都のお邸を調べてもらったの」


 そうか。

 神仏の使いだと思えた周りの人達は、まだいい。

 大姫はずっと、わたしの孤独死を心配してくれていたのだ。


 大姫に感謝しつつ、わたしは悟っていた。


 ――時空が、ズレてきてるんだ。


 今回のタイムリープは、最初から、変な始まり方だった。現代と平安時代が混じり合うような状態で、緩やかにシフトしていったのだ。

 終わり方も、同じパターンなのかもしれない。

 わたしの時間と、大姫達の時間の間隔がだんだんズレていって、そのうち重ならなくなる。

 フェイドアウトは、やる方はラクだが、される側は精神的にツライ。

 この先、時間のズレはどんどん大きくなるだろう。

 これ以上、大姫に、こんな思いをさせてはならない。


 わたしは、残された時間が少ないことを噛みしめた。




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