家庭教師、検死する
軽く死体の描写が出てきます。苦手な方はご注意ください。
「おお、斎迩の君、お待ちしていましたぞい」
八助さんが走ってくる。
「川原でお貴族様が死んどったんだが、なんか、どっか変なんじゃな。それで、斎迩の君にも見てもらおう、思うてな。検非違使には、話を通してあるぞぃ」
え、いやいや!
勢いでここまで来てしまったが、わたしは変死体なんて、見たことがない。フツーの現代人だ。
わたしよりずっと死体を見慣れているはずの八助さんの違和感なんて、分かるわけがない。
というか、そもそも、そんな死体なんか、見たくないよう……。
家庭教師としてタイムリープしただけなのに、なんでこうなった。
涙目になりながら、どんどん野次馬をかき分けている八助さんの後について行く。わたしの方が、屠殺される牛のよーな気分だ。ドナドナ。
「恐ろしいことじゃ」「くわばらくわばら」「あれは、祟りじゃなー」「うんだ、あのおっそろしい顔は、祟りじゃ」「あんな病は見たことがない、祟りじゃ~」
微妙に緊張感のない、周囲の噂を聞きながら、進む。
そんな悲惨な顔の死体なのか……。いやだよぉ。
川原にたどり着くと、検非違使の中の一人が、輪の中に迎え入れてくれた。
「速足の蔵人殿のご家来衆ですな。死体は、いただいている似姿絵の者ではないようですが……」
「検非違使の皆さん、ちょっくらごめんなさいよ。ほら、こちらです、斎迩の君。どう、思いますね」
八助さんの指差すのを見て、わたしは覚悟を決めて、死体を見た。
顔を見る勇気は、まだない。八助さんは、死体の腕を指差していた。
あれ、これ……。
今上が刺された、蜂の跡に、似ている?
それにしても、数が多い。両腕が、刺されたような赤い斑点でいっぱいである。
「え、これ、蜂の跡……? いや、それにしては……」
わたしの呟きに、八助さんが、勢いよく頷いた。さらに言葉を紡ごうとした時、
「なにっ、蜂の跡だと?! それは、まさかっ!」
集団の中から、一人の検非違使が、近づいてきた。この隊の長のようだ。声を潜めて、聞いてくる。
「蜂の跡とは……。最近の畏きところのお悩みと、関係があると?」
庶民には、今上が病気とすら、知らされていない。
まして、それが蜂の毒のせいだと知っているのは、貴族の上層部の、ひと握りである。
検非違使全体には、その事実は伝わっていないかもしれない。それで八助さんは、用心して、言及を避けたのだろう。
だが、この隊長は、ある程度、今上の病気の真相を知っているようだ。暗殺未遂ということまで、知っているかどうかは分からないけれど。
「いえ、確信はありません」
そう。傷自体は、蜂の刺し跡に、とても似ている。
でも、あまりに多すぎるのだ。
こんなに蜂に刺されるなんて、この人は、蜂の巣の上に寝転んで、死ぬまでじっと耐えていたとしか思えない。
そのわりには、傷は、両腕にしかない。顔も体も刺されていない。
ここの周りに、蜂は飛んでいない。蜂の巣もない。
ということは、この人は、別の場所で死んで、この川原に投げ捨てられたのだ。
殺されたのかどうかはともかく、死体遺棄した、人物がいる。
事故ではなく、たぶん、事件。
もしかしたら、殺人。
そして、蜂、という共通項。
この死体は、今上暗殺未遂事件の、関係者なのだろうか。
「斎迩の君、口も見てみてほしいんじゃな」
八助さんが、そっと囁く。
口! さらに難易度が上がったけれど、弱気になっている場合ではない。
ぐっと気合を入れて見ると、口は腫れ上がっていた。顔も、苦悶に歪んでいて、反射的に目を瞑ってしまう。
「ああ、すまんな。斎迩の君がご覧になるような物ではなかった。なんだか、斎迩の君なら、大丈夫な気がしてしもうて……、本当に、すまん」
肩を丸めて恐縮する八助さんに、わたしの方こそ、謝る。
「い、いえ、ごめんなさい。わたしこそ意気地がなくて……。あの、八助さんは、口のどこがおかしいと思ったのですか」
情けないが、八助さんに解説してもらった方が、早いし確実だ。
「口全体が、腫れあがっとるじゃろ。蜂の毒にやられてすぐ死んだなら、喉だけが、腫れあがる。息ができなくなるんじゃ。唇やら口の中までは腫れないんじゃが……」
八助さんは首をかしげているが、隊長は、色めきたった。
「つまり、この者は、蜂に刺されて死んだ後、川原に運ばれたということだな!」
「いやぁ、そう言ってしまって、いいもんなのかのぅ」
不得要領な八助さんが、もごもご言っていると、ドカラドカラっと、何頭もの馬の足音が聞こえてきた。
「蔵人である!」
「近衛士である! 道を開けよ!」
「なっ、蔵人と近衛士? まさかこの死体、いや、御方は……っ」
検非違使の隊長が、目に見えて動揺した。
どれも、いわば警察・警備部隊の名前なのだけれど、蔵人は、宮中の警備を司る。そのうちのエリート軍団が、滝口という帝のSPだ。つまりは、貴族専門の警察ともいえる。
それに対して、検非違使は、京都の町の治安を司る。基本的に、街を巡回する役割で、庶民相手の警察だ。市の警備や、強盗・掏摸などを取り締まる。
山科の蜂泥棒も、西の市でスカウトされたという話だったから、検非違使にモンダージュが配られて、探してもらっているのだ。
そして近衛府は、それらを束ねる警察・軍事の府である。現代の警察庁のようなものだ。
彼らが出張ってきたということは、この死体の身元が判明したのだ。そうとう高位の貴族だと考えて、間違いない。
「あちゃ、蔵人頭がいる」
わたしはできるだけ俯いて、男性陣の陰に隠れた。頭から足先まで紗の笠を被っているし、そもそも男装のわたしとしか会っていないから、バレないとは思うのだけれど。
蔵人頭は、検非違使の隊長に、丁寧に話しかけた。隊長の方も、死体発見の状況を説明していく。
発見者が八助さんであること、蜂に刺された可能性が高いことを、熱心に主張している。
わたしは、いよいよ身を縮めた。
八助さんは、このまま、近衛府までついて行くしかないだろう。
「いなご麿、抜け出すわよ。できるだけこっそりと、素早く」
「任せとけ」
いなご麿は、手近な草を摘んだ。わたしと反対方向に、大声でわめきながら遠ざかっていく。
「ふた目と見られない、世にも恐ろしい死に方じゃ! 祟りじゃ! 皆の衆、この薬草を火にくべれば、祟りが祓えるぞ!」
「お、俺にもくれ!」
「我にも!」
「麿が買うぞ!」
あっという間に、野次馬の集団が膨れ上がる。それを目隠しに、わたしはこそこそと、現場から離れた。
四条通りを少し北に上がった、閑静な路地で待っていると、いなご麿が走ってきた。
「へへへ、ついでに、小遣いも稼げたよ」
呆れた。でも、ああいう場面で、野次馬相手に商売する者は多い。よほど邪魔にならない限り、罪になることもない、と言う。
「ついでに、隊長さんに聞いといた。あの死体は、四位の左大弁様、だってさ。やっぱり、藤原のご一族らしいよ」
「さすがねぇ」
この、はしっこさが、いなご麿の身上である。
「じゃあ、お邸に帰りましょうか……、あ~なんだか、どっと疲れたわ。結局、わたし、ほとんど役に立ってないじゃない。八助さんがいれば、充分だったわよね」
「いや、そんなこともないんじゃないの。あ、八助さんから、伝言。斎迩の君は、本当に、あれが蜂の刺し跡だと思うかってさ。八助さん、なんか、ずっとそんなこと言ってたよなぁ」
そう。
八助さんは、どこがどうとは言えないけれど、違和感を持っていたようだった。
パパ殿と常に一緒に蜂の世話をしているプロフェッショナルが、そう感じたのなら、検討すべきだと思う。
「そうね、ちょっと調べてみる」
「お、さすが、斎迩の君。あっ、ウスバカゲロウだ。まだいるなんて、珍しい。姫様、欲しがるかなあ」
時季を過ぎかけたウスバカゲロウが、ふらふらと土塀を越えていく。
今さらだけど長くて立派な土塀だ。目の前のこの一帯だけが、とてもキレイだし、豪邸である。とても京の南側とは思えない。
「こちらのお邸、すごい御殿ね。藤原氏で、こんな場所にお住まいの方なんて、いらっしゃるのかしら」
今、栄えている貴族といえば、藤原氏しかいない。そのかわり、やたら枝分かれして、分家が大量にできているので、全員親戚、全員ライバル、といった関係である。
いなご麿が、慌てて、声を潜めた。
「ち、違うよ、ここは院御所だよ! ったく、斎迩の君は、なんでも知ってそうで、とんでもなく当たり前のことが抜けてるな。長居する所じゃないよ、行こう」
――え。
「院? 院って、なんていうお名前の院?」
「はああ? 院は、院だよ。今上よりもお偉い方。今上の代わりに、政をなさるお方さ」
そんなことも知らないで、家庭教師なんてできるの? という、いなご麿のからかいも、耳に入らなかった。
帝の代わりに、政を行う、院!
それは、「院政」だ。
院政を敷いた上皇、法皇は、それほど多くない。
今は、院政期、平安末期、12世紀初旬だ!




