まったく別の、破滅
バカ坊ちゃまから、定時連絡が来ない。
今上の容体や捜査状況を知らせるため、二日おきに届くはずの文が、途絶えた。
内裏は、厳重な警備態勢のはずだ。我はもちろん、高位の僧である座主様も阿闍梨様も、今は宮中への参内を許されていない。堂々と出仕できるあのバカだけが唯一の情報源だというのに、何をしているのか。
「あやつからの連絡は、まだないのか」
「まったくございません。万が一に用意しておいた文の隠し場所も探ってみましたが、伝言も入っておりませんでした。もう六日になります。やはり、我が直接問い詰めに参ったほうが……」
「いかぬ! よいか、其の方も追われておるのだぞ。今は、其の方の蜂盗人と、左大弁とをつなげて考える者はおるまい。だが其の方が捕まり、なぜ蜂など盗んだのかと問われたら、なんとする」
やきもきするが、我もまた、軽々に外出できない事情があった。
我の似姿絵をもって、市中を聞きまわっている集団がいるのだ。
身なりからいって、あの牧場の貴族の家人達だろう。男も女も懐に絵を忍ばせていて、市や振り売り、大道芸人などに見せまくっているらしい。
おそらく、西の市で急きょ仲間にしたあの蜂盗人が、捕まったのだ。そして我の様子を話したのだろう。それにしても、絵の巧い家人がいたものである。
万が一の用心のため、あのときの我は、貴族の扮装をしていた。うちの寺の小僧が市で見せられたときは、我だとは気付かなかったようだが、検非違使までもが尋ねまわっているとなると、人の多い場所にはそうそう出られない。
「申し訳ありません、座主様。まさか、あの貴族がこれほど盗まれた蜂に固執するとは……。変人の数寄心を侮っておりました」
「そこよ。いくらウツケの変人でも、蜂ごときに、あれほどの人数を使うであろうか。……今上に蜂を使ったことが、知れたのではないかな」
座主様の顔も硬い。
ぎょっとする。
うかつにも、そこには思い至らなかった。
「左大弁殿からは、万事首尾よくいった、という報告でしたが……」
「だが内裏で行動したのは、あやつひとり。何が怪しまれたか、分かるまい」
唇を噛んだ。今の我にできることは、何もない。
そこに見習い坊主がやって来た。
「あの、座主様。お客様でございます」
「なんじゃ、今は人払いして、誰も通すなと申し付けたはずじゃぞ」
「はい、そうお断り申し上げたのですが……、どうしても急なご用だと。なんでも、左大弁様の命に関わる、とか、申せと言われまして」
ほとほと困り果てた、という声から、相当ゴリ押しされたことが分かる。
だが、その小坊主の言葉に、座主様と我は、知らず目を合わせ、嘆息した。
今上暗殺未遂犯が、堂々と職階を名乗って、門前で命の危険などと騒ぎたて、人目を浴びまくっている。
やはり、あれは真正のバカだ。
奥の間に通された左大弁は、自分が何を仕出かしたのかまったく分かっていなかった。いや、そんなことを気にかける余裕すらなかった。
「左大弁。何があっても当寺には参らぬよう、きつく申しておいたはずじゃが」
「それどころではありませぬ、座主様! このままでは麿は、捕まります、いえ、その前に、とり殺されまする!」
左大弁の話を聞いて、座主様も我も、予想よりも事態がひっ迫していることを知った。
内裏では、今上の暗殺未遂は蜂によるものと確信しているらしい。しかも今上は、もはや回復されているとか。そして、あの夜左大弁が着ていた青の袍を呪詛にかけると、勅命が出たのだ。
「なっ、なぜ、そのような」
驚愕のあまり絶句してしまった座主様に代わり、我が問いかける。
「なぜ、蜂を使ったと判明したのです。左大弁殿が持ち帰られたのでしょう? それに、なぜあちらに青の袍が渡っているのですか。自宅で燃やすという手筈でしたが」
格下の我に問い詰められたのがおもしろくないのだろう。このバカは、頬を膨らませて、押し黙った。
都合の悪いことになると、だんまりでごまかせると思っている。まるで駄々っ子だ。
座主様が強く叱責すると、ようやく重い口を開いた。
「袍と蜂は、淑景舎の裏池に沈めたのじゃ。誰にも見つからないはずじゃったのに」
「愚かな! 淑景舎など、蔵人が夜回りするに決まっておるではないか」
「今上には、東宮(皇太子)もおられぬ。淑景舎のように寂れた場所など、誰も立ち入るはずがないと思うたのでする」
こいつは、蔵人が内裏じゅうをくまなく警備することも知らないのか。どうせ自分が蔵人だったときも、サボることしか考えていなくて、ベテランの蔵人がどのように巡回警備しているかなど、見てもいなかったのだろう。
「そもそも、すべての道具は、そなたの私邸で焼き払うはずじゃったの。なぜ、内裏で捨てたのじゃ」
「座主様、麿は悪ぅありませぬ! こやつのせいなのでする!」
いきなり左大弁は、我を指差して、怒鳴った。
「麿は蜂に刺されるのは痛ぉていやじゃと言うたろう! なのに、あの蜂は、麿の指を刺したのじゃ。こやつの作った泥蜜団子が下手くそだったから、蜂が途中で目覚めたのじゃ!」
「いや、蜂が長くおとなしすぎても、今上を刺す前に、更衣(帝の衣装係。もしくは女御より格下の妻)などに見つけられてしまいます。ぎりぎりの時間を見計らって、今上の袖に投げ入れるという計画でしたよね」
あの計画を聞いていて、自分が持ち歩いている間に蜂が目覚める可能性は考えなかったのか。
というか、指を一本刺されたくらいで、我を忘れるほど怒り狂って、内裏に捨てたというのか。その程度の覚悟もしないで、こいつは今上暗殺などという大それたことに手を出したのか。
「麿は手筈どおり、今上の袖の中に、泥蜜団子を投げ入れた。そのとき今上が、なんぞ小さく叫んで、手を振ったのじゃ。階の下に、泥蜜団子も蜂も落ちてきおった。そこに残しておくわけにもいかぬので、拾ってきたのじゃ。麿とて、バカではない。きちんと袍には石を包んで、沈めた」
「ですが、蔵人が見つけたということは、袍は浮かんできたのでしょう」
「蜂の死骸など、どこにでもあるじゃろう!」
「あれは大雀蜂、特別に大きくて毒も強いと説明したではありませんか。あのような蜂は、都にはおりません。見る者が見れば、気づきます」
「そんなことに気づく者が悪いのじゃ!」
「もうよい」
座主様が疲れたように、言葉をこぼされた。
「問題は、そこではない。青の袍を呪詛にかけるとは、どういうことじゃな」
「わ、分かりませぬ。先日、すべての役所に連絡が入ったのです。勅命であると」
それが五日前のこと。
左大弁はその日から、恐怖のあまり、家にこもって祈祷を行い、三宮院の阿闍梨様に呪詛返しの術をお願いする文を出したが、断られたらしい。
「ばっ、バカやろう!!」
「なっ、其の方、無礼にもほどがあろう。本来ならば麿と、直接言葉をかわすことさえ……」
「黙らっしゃい」
座主様に言われ、左大弁は目を白黒させて口を噤んだ。
本当にこいつは、分かっていないのか?
座主様は、今までに見たこともないほど冷たい瞳で、左大弁をひた、とねめつけた。
「左大弁、そなた、その勅命がワナだと、考えつかなんだか」
「……は?」
阿呆のように呆けた顔の左大弁を前に、我は暗澹たる気分になった。
こやつは、勅命直後から無断で出仕を休み続け、三宮院に文を出し、おそらくは監視役を引き連れて、当寺に押しかけてきたのだ。ご丁寧に、門前で騒ぎまで起こして。
「内裏では、そなたが今上暗殺未遂の犯人だと、確信しておるであろうよ」
いまだに理解できていない左大弁を睨み、
「兄上は、そなたを切り捨てたようじゃ。当然じゃの。この時点で、そなたの呪詛返しを引き受けるなど、首謀者と自白したも同然。当寺にまで来るとは、迷惑千万」
突き放した座主様の言葉に、初めて、左大弁は蒼白になった。
「ま、麿は、どうなりまするのか。致仕など、いやでおじゃる。そうじゃ、大伯父殿にお願いすれば……」
この期に及んで、致仕(官吏を辞職すること)程度の罰で済むと思っているところが、もはや呆れを通り越して、笑える。
座主様は、いっそ慈悲深いお声で、
「とにかく本日は、お邸まで戻りなされ。悪いようにはせぬ。座主からも、父上にお頼み申しておこう」
「まことに? どうぞどうぞ、よしなに……」
混乱する左大弁をなだめて、追い出したのだった。
左大弁が帰った後、座主様の私室には、沈黙が落ちた。
「座主様、まこと左府様にお取り成しを頼まれるのですか」
あんなバカのために、という語尾を飲み込む。
座主様は、嗤った。
「そのようなはず、なかろう。あれほどの愚か者とは思わず、其の方には苦労を掛けたの。あれの事は、もちろん、兄上に責任を取ってもらう。ご自分だけ知らぬ存ぜぬで逃げ切れると思ってもらっては、困る。だがの、今、座主が案じおるのは、其の方じゃ」
「我、ですか?」
そうだ。左大弁と直接関わっていたのも、蜂盗人として手配されているのも、我だ。あのバカが捕縛されれば、次は我の番だろう。
そうかといって、あれほどの臆病者が、近衛府や蔵人の尋問に耐えて、阿闍梨様や座主様のお名前を隠し通せるとは思えない。
我は、ぐっと拳を握りしめた。
「分かりました。我は何をされても、座主様のお名前を口に上せることはありません。阿闍梨様の元で、左大弁と引き合わされたことに致します」
「座主は、そのようなことが言いたいのではないぞ」
「いいえ、座主様は仏法界のみならず、衆生どもにとっても必要なお方。阿闍梨様のような権力欲にまみれたお方ではなく、座主様にこそ、この国の宗教界の頂点に立っていただきたいのです」
座主様は、少し、微笑まれた。
「ですが、お願いがございます。我なき後、どうぞ母の生活をお守りください」
「当然のことじゃ。其の方のこれまでの忠誠を、すべて母者殿にお返しせねばの」
我は母の身分が低く、この年になるまで、僧になるか、武官として宮中に仕えるか、決められなかった。
座主様はそんな我に、武術と仏法を、共に授けてくださったのだ。いつか道を決めたとき、年下の同輩達に後れを取らぬように、と。
そんな恩に報いるために、
「座主様、左大弁には口を噤んでいただきましょうか」
我はいまだ元服もしておらぬが、武術に関しては自信がある。あのバカの口は、封じておいた方がよいだろう。
だが座主様は、小さく首を振られた。
「其の方が無益な殺生まで、行ってはならぬ。それは近衛府と蔵人に任せておけばよい。よいか、手を出してはならぬぞ」
どうせ我は、死罪であろう。
だからこそ申し出たのに、なんと座主様の慈悲深いことか。我の来世への罪を減らしてくださっただけでなく、あんな大バカ者の命まで、哀れまれているのだ。
「かしこまりました。座主様、今までのご温情、まことにありがたく……」
我は涙をこらえて平伏した。
早い夕日が、部屋に長く伸びている。
その朱色は、我の破滅の色だ。
だが、座主様だけは、この破滅に巻きこんではならぬ。




