家庭教師、訪問する
本編開始です。いきなり、長めです。
大型台風まっただ中、わたしは目的地の最寄り駅に降りた。
お出迎えは、一般駐車スペースを占領するほどの高級リムジン。
周囲の視線をひしひしと感じつつ、乗り込む。
たどり着いた先は、おそろしいほどの豪邸だった。
あ、フリーの家庭教師なのです、わたし。
自分で言うのもナンだけれど、かなり評判はいい。人気講師と言ってもいいと思う。最近ではクチコミで、セレブなお宅のご依頼が増えている。
そんなわたしから見ても、こちらは間取りが分からないほどの、豪邸。
もはやこれは、御殿と呼んでもいいのでは。
通されたのは、日本間だった。
伽羅の薫りがくゆらせてあり、座布団は体が沈み込みそうなほど分厚い。使わないけれど、横の脇息も縮緬織の絹張りで、おそろしく年代物っぽい。
面接相手は、電話をかけてきた女性だった。
お仕着せの執事の制服が華やかなモデル顔と相まって、中性的な魅力の美人。
宝塚の男役ナンバーワンのような雰囲気である。
なんでも、彼女は「お嬢様専用執事」らしい。
それはいいけれど、親はいったいどうしたんだ。
「旦那様は2日前からご料地の牧場におられまして……なにか事故があったようで、お戻りになれなかったのです」
ご料地ときましたか。牧場ですか。
「はあ……。あの、お母様は……」
「お嬢様をお産みになられてすぐに亡くなられました」
なるほど。でもそれなら、面接を別の日に変更すればよかったのに、という気持ちが顔に出たらしく、執事さんが胸を張った。
「お嬢様のご教育に関しては、私が一任されておりますから」
まあ、使用人に子どものこと丸投げ、というセレブは多いのだけども。こちらは道楽パパ一人きりで、特にそういう傾向が強いのかもしれない。
完全に親が放任で、わたしが好きにやらせてもらえるなら、これほどラクなことはないけれど、世の中そんなに甘くない。だいたい、カネを出す立場は、クチも出す。
さらに今回のような場合、「旦那様」と「お嬢様専用執事」との間に意思疎通がないと、かなり面倒くさい。執事さんだけが必死にお嬢様をヤマトナデシコに育てようとしていて、パパのほうは呑気に「ワンパクでもいい。たくましく育ってほしい」とか思っているかもしれない。
早い話、執事さんの求める教育プランが、本当に親の希望と同じなのかどうか、今のままではわたしに確かめるすべがない。
などと考えていると、突然、執事さんががっくりとうなだれた。
「とはいえ、もう私にはお嬢様は手に負えません。このままではお嬢様は世間の物笑いのタネ、普通にご結婚もままなりません。最低限、女性に必要な落ち着きと教養を身に着けさせていただきたいのです」
うっわ、時代錯誤~。
でも現代日本でも、セレブなご家庭ほど、こういう言い種がまかり通っちゃうのである。
「どうしてお嬢様はおとなしく座っていらっしゃれないのでしょう。少し目を離すとすぐ裸足で走り回って泥だらけになられて、お叱りしてもそわそわなさって、聞いていらっしゃらないのが丸わかりです。素直で賢いお嬢様ですのに、あんなに落ち着きがなければ、本当にどこにもお嫁に行けません」
今までの凛とした姿勢が消えて、いきなり泣き出しそうな執事さん。
つまり、お嬢様はADHDの疑いあり、ということなのか。いや、でも嫁に行けないって……。
「あの、お嬢様はおいくつなのですか」
「御年11歳になられました」
ちょ、11歳で、嫁の心配か。
まずは、義務教育の方を心配しようよ。
でも、もしもADHDだとしたら、逆に、11歳まで発覚しなかったのは遅すぎる。
ADHD――発達障害。
いろいろなパターンがあるけれど、静かに落ち着いて座っていられない、人の話が聞けない、などは典型的なタイプだ。
ただ、通常は、もっと幼い時に分かる。
集団行動が苦手なため、幼稚園や、遅くとも小学校低学年で、早くに気づかれる。今はADHDの検査方法も確立していて、ペーパーテストと面談で、さくっと診断が出るし。
セレブなご家庭なら主治医もいるだろうに。というか、ほとんどの小学校にはカウンセラーが常駐していて、保健室でもテストは受けられる。
学校から連絡があったのに、放置していたのか?
それにしても11歳、5年生までというのは長すぎる。
ほんのりと浮かび上がってきた怒りを笑顔で押し隠す。
わたしは、できるだけ柔らかく、お嬢様の現状を聞き出していった。
――いわく、お嬢様は学校には行ったことがない。
普通の女の子がするようなオシャレな格好も遊びにも興味がない。
ひと時もじっとしておらず、男の子4人を子分にして、裸足で庭を駆け回っている。
木登りや川遊び(邸内に小川と池があるらしい)に夢中で、雑草や昆虫を採集してきては自分の部屋に持ち帰る。メイド達が嫌がって、すぐ辞めてしまう。
楽器や書道などの習い事はプライベートレッスンを受けているが、お嬢様がサボったり虫をけしかけたりするので、教師が定着しない、etc。
「もう、先生におすがりするしかないのです。どうかどうか、お嬢様をよろしくお願いいたします」
「あの、お父様はどのようにお考えなのですか」
「旦那様は……ご趣味の豊かな方ですので、お嬢様のご興味は大切にしたいと思っていらっしゃいます」
おおう、まさかやっぱりの「ワンパクでもいい」系だったとは。
「でも、このままでは結婚が難しいという点については、たいへん心配していらっしゃいます」
なんでそこだけ、時代錯誤かな。
「夫婦でアウトドアライフを満喫すればいいじゃないですか。こちらのお宅でしたら、そういうワイルドなパートナーも見繕え……いえ、広いご人脈で見つけられるでしょうし」
「そんな公達がいるはずございません! 万が一そんなのがいるとすれば、ご当家の財産狙いですわ!」
き、公達って。
まあ、セレブにはそういう心配があるのだろうけれど、お嬢様がいいと思って結婚するなら、この際、財産目当てでもいいんじゃないの。そういう婿殿なら、財産が潤沢な限りは、優しくいい夫でいるだろうし……って、思わずヤサグレた思考回路になってしまった。いかんいかん。
どれだけ家族が騒ごうが、11歳のお嬢様の結婚問題には、興味がない。
わたしは家庭教師なのであって、彼女に義務教育レベルの知識をつけさせればいいのである。
ADHDの生徒さんを指導した経験はある。
こちらのお嬢様は年齢が上だけれど、子分の男の子達とは仲良く遊んでいるらしい。まったくコミュニケーションが取れないわけでもないだろう。
わたしが決意を新たにしていると、客間のインターホンが鳴った。執事さんが出て、
「お嬢様が、先生にお会いするそうです。めずらしいですわ、大抵は会いもせずに追い返しておしまいになるのですが」
客間を出て、お嬢様の部屋まで案内された。
廊下は板張りで、しっとりと黒光りしている。ひたすら長い。延々と長い。そしてなんだか、薄暗い。
何度も角を曲がり、もはや自力ではこのお館から出られない、と心配になってきた頃、外の光が見えた。お嬢様の住まいは、別の棟なのだそうだ。
――そして、渡り廊下に出た途端、「それ」は起こったのだった。
渡り廊下を先導していた執事さんの姿は、すっかり変わっていた。
ほんの一瞬前までは、すらっと長身スレンダーだったのに。みるみる縮んで、わたしよりも背が低くなる。
薄闇に浮かぶ、真っ白に塗りたくった顔面。
細い細い目に、額の上の方にぼんやり丸く書いてある眉。
おちょぼ口の中心に真っ赤な紅。
十二単の装束に、床まで届く長い黒髪。
焚き染めてあるきついお香。
――そう、わたしはタイムリープしちゃったのだ。
またもや。
いつものことながら。
最近では、古今東西、あらゆる時代・世界から、ほとんど強引に、ご依頼が来る。
タイムリープ自体は、体質かなにかだと思って、もはやあきらめているけれど、今までははっきりと「あ、今、タイムリープした」という瞬間が分かった。
依頼の時点で分かることも多い。
今回のように、現代から徐々にスローシフトするパターンは初めてだ。
ものすごく心臓に悪い。
ぜひ今後は、改めてほしい。
誰にモノ申しているのか、自分でも分からないけれど。