家庭教師、提案する
「え? それだけですか? もう候補はいないの?」
日本の最高権力者の席を狙う人が、そんな少ないものなのか。ましてや、今上は子どもだ。成人皇族が欲を出すこともある、と思うのだけど。
「ええ、あまりに候補者がいなくて、それで最初、暗殺だと思い至らなかった、という面もあるのです」
折り目正しく答える蔵人頭に、大僧正の声が被さる。
「なぁにを格好つけとるか。候補は、輔仁親王、というよりも、左府であろうさ」
「だっ、大僧正!!」
「めったなことを仰いますな!」
「そのように不確かなことを、このような者に聞かせるのは、いかがなものかと!」
「滝口、それはない! 斎……この者は、決して左府殿の回し者などではない!」
いや、そこでモメないで。
というか、実際に天皇の暗殺未遂が起きているのだ。いなきゃおかしいでしょ、容疑者。
周囲の騒音に耳を貸さず、大僧正が説明してくれたところによると。
輔仁親王とは、今上の祖父(先々帝)の義弟。
ただ、ご本人には、帝位への意志が、まったくない、らしい。
それでは、親王を補佐している周囲の人間の計画かと考えると、後見人は、左府。つまり、左大臣。
まさに臣下の最高職。現代で言えば、総理大臣のようなもの。これ以上、出世のしようがない人である。
やる気のない輔仁親王を帝位に就け、自分が関白になって政治を私物化するパターンも考えられなくもないけれど、
「いや、儂から見ても、左府は、これ以上の権勢を望んではおらん。あれの望みは、も少し別の次元じゃでな。それで、よく分からんのじゃ。本当に、左府が黒幕なのか、とな」
ふーん。遺留品捜査は手詰まり、動機からのアプローチは薄弱、ということか。
ミステリや刑事ドラマを、思い出してみる。
だいたい権力争いって、黒幕はうまいこと逃げちゃったりするものだ。証拠不十分で不起訴、とかね。
この時代、証拠を揃えるのは、至難の業だろう。
となると、頼りになるのは、証言だ。牧場に入った蜂泥棒だって、自分を雇ったヤツの似顔絵を見て、証言していた。
黒幕よりも、実行犯の方が、証言が得られる可能性は高い。
「ということで、実行犯の確定を優先しましょう。わたしとしては、あぶり出しを提案します」
「なにが、ということで、なのだ?!」
「まあ待て。あぶり出しとは、なんじゃ」
「先ほどの説明を聞いて、思いついたのですけれど。蔵人の皆さまは、青の袍に、誇りを持っていらっしゃるのですよね」
「当然だ。官位が低くとも、蔵人だけは、別格。今上のお側近くに仕えられる、その証だからな」
「それでは、淑景舎の裏池に捨てられていた青の袍について、大々的に噂を広めましょう。蔵人はもちろんのこと、回復された今上もたいへんお怒りである、残された青の袍を呪詛にかける、と。それを、内裏じゅうに知らせてみたら、どうでしょうか」
「ほっほぉ。……それで、あぶり出しか」
「なるほど。おもしろい」
さすが、大僧正は分かりが早い。蔵人頭も滝口も、納得の笑みを浮かべる。
ひとり理解していないのは、パパ殿だった。
「いや、斎……そなたの言葉とも思えぬ。青の袍を呪詛にかけても、実行犯を確定できるとは限らぬぞ」
「あれ、殿は、高僧がなさる呪詛を信じていらっしゃらないのですか」
「い、いや、そうではないが……。呪詛は、常に成功するものでもなし、向こうにも呪詛返しという手もあるし、な」
さすがのパパ殿も、大僧正の前で、呪詛に半信半疑とは言えないようで、もごもご呟いている。
でも。
「そこですよ。もしも慌てて、呪詛返しらしき行いをし始める者がいたら、とっても怪しいですよね。少なくとも、実行犯は、恐ろしくて、内裏に参内などできないのでは?」
「あ、ああ!」
膝を叩くパパ殿に、蔵人頭が笑う。
「速足が連れてきたとは思えぬ、権謀に長けたお方だな。我らは、急に参内しなくなった者、寺に駆け込むなどの妙な振舞いをし始めた者を、探せばよいのだ」
「うむ、良い案だ。なにより、我らの得意分野でもある。警護役の我らは、日頃から、宮中の貴族の行動をよく見ているからな」
初めて、滝口クンがわたしを見て、賛同してくれた。
すでに夜明けが近い。
内裏に泊まっていくように勧められたけれど、丁重にお断りした。申し訳ないけれど、板張りが堅くて寒くて、むやみに緊張するこんな所で、寝たくない。ウチに、というか、現代に帰りたい。熱いお風呂に浸かって、お布団で眠りたい。
「速足に送らせるが、このような丑三つ時に外出をするとは、豪胆じゃの。百鬼夜行に出くわすぞ」
百鬼夜行は、物の怪、妖怪のパレードだ。夜中に平安京の大路を練り歩き、悪さをすると信じられていた。まあ、実際は夜盗、強盗、暗殺の類なんだけど。
「はあ。大僧正は人外のモノの存在を信じているのかいないのか、よく分かりませんねぇ。出家された方が、そういうモノを、却って便利に使うようになるんでしょうか」
その言葉で、全員が凍った。
わたしとしては、映画の陰陽師のように、式神を操る、というイメージで、ぼんやりと口にしたのだけれど、大僧正が、凄味のある笑顔を向けてくる。
「ふむ、政の頂点に近い者ほど、化生のモノどもを、方便に使うかもしれぬ。だが、この世に長くおると、人間の浅知恵ごときでは説明のつかない事物にも、同じように多く出会うものよ。……そなたのような、な」
今までの好々爺然とした様子は消え去り、威圧感がのしかかってくる。
一気に、目が覚めた。
「呪詛も祈祷も、物の怪も神仏も、在る無しを白黒ではっきり分けられるほど、簡単なものではない。我らがそなたを、神の御使い、と、みなしている間は、それでよし。――そうじゃろうが?」
「仰るとおりです。……失言でした。ご忠告、ありがとうございます」
大僧正がフレンドリーなのと、徹夜のテンションで、気が緩んでいた。
今上にとって少しは助けになる行動をしたこと、パパ殿がわたしの無害性を保証したこと。わたしはそれでぎりぎり「良い者」として扱われているにすぎない。
もしあの護摩壇の煙にむせていたら、ウィ○ーインゼリーを飲んだ直後に今上の体調が悪化していたら、わたしはすぐにでも「薬師如来を騙った鬼」として、殺されていただろう。
現代でも、超自然現象を信じている人は大勢いる。
わたしはかなり現実的な人間だとは思うけれど、心の10%くらいでは、「世の中には科学で説明できない、不思議なこともあるよね」と思っている。タイムリープなんかも、しちゃってるし。
たぶん、この時代の人はちょうど反対の割合、心の90%くらいで、超自然的なモノを信じているのだ。残り一割で、合理的な結論を求めるときもある、くらいだろうか。
帰り道、牛車の中で。
わたしは、この時代の超自然的なモノについて、少しだけ分かった気がしていた。
一方のパパ殿も、硬い表情のまま、ずっと考え込んでいた。
「出家された方のほうが、か……」




