家庭教師、質問する
今上は、そのまま、また眠ってしまった。
それまでの辛い眠りではなく、寝息が安定していたので、少し安心した。
看護の命婦を残して、全員で清涼殿の大広間を抜け、広い階に出る。
もう真夜中を過ぎている。夜風が寒いほどだ。
それでも、ナイショ話は、屋外でするのがいちばん安全である。
さすが宮廷人だけあって、広く吹き抜けの階に出るまで、誰も一言も口をきかなかった。
だだっ広い階の板の間に、わたし達は円座になって座る。周りを、滝口達が取り囲んだ。
蔵人頭が、悔しそうに、
「まさか、あのときだとは……。報告は受けていましたが、蔵人が偽物とは、考えもしませんでした」
今上が蜂に刺された夕方。
大極殿の正面の南庭に、蔵人がいた。この蔵人は、しきたりどおりに弦打をしたので、当番の者だと、疑わなかった。
弦打は、お祓いの一種だ。弓の弦を弾いて、その音で魔を祓う。
貴族なら誰でも頻繁に行うけれど、蔵人には、独特のしきたりがある。
帝の姿を見かけたら、とにかくすぐに、「蔵人の藤原の某、御弓鳴らし奉る」と叫んで、弦を弾くのだ。
帝の側からすれば、自分を見かけるたびに弦打するのが、蔵人である。
ちなみに、蔵人の中でもエリート集団の滝口は、帝専用のSPなので、弦打はしない。ぴったり張り付いているのだ。
そのとき今上に付いていた滝口クンの説明によると、弦打した後、その蔵人が、あっと叫んで、すぐ足元まで来た。笛のようなものを拾って、落とされましたか、と今上に差し出したらしい。
「ですが、今上は、手を伸ばしただけで、その笛には触れておられません。見ただけで、ご自分の物ではない、と仰せられて」
今上の症状が毒のようだったので、当初、今上の触った物は徹底的にチェックした、と言う。笛は、触られなかったので、特に記憶にも残らず、スルーされてしまったのだ。
「その蔵人も、笛を懐にしまって、すぐに立ち去りました。宿居の蔵人なら、それが普通の行動です。たしかに、今思えば、今上は、その後すぐ、何か小さく叫ばれて、手を振っておられましたが……」
手を伸ばした今上の袖の中に、蜂の入った泥蜜団子を、投げ入れたのだろう。
時間差で、大雀蜂は暴れ出す。今上が手を振れば振るほど、刺したはずだ。
わたしが調べた限りでは、大雀蜂に何度も刺されたら、小さく叫ぶ程度では済まない。どの本にも、ものすごい激痛、と書いてあるのだ。
「とても、我慢強い、お子なんですね……」
なんだか周囲がざわっとして、蔵人頭が、咳払いした。
「あー、神の御使いといえど、今上をそのようにお呼びするのは、いかがなものかと」
あ、そうだった。どうも、ひどい目に遇ったかわいそうな小さい男の子、としか思えないのだけれど。
呼び方には、気をつけよう。
でも、常識外れな存在だという利点(?)をフル活用して、今のうちに、できるだけ質問しておこう。
「あの、でも、速足の蔵人殿が、青の袍と蜂の死骸、泥蜜団子を見つけて、蜂の毒と分かりましたよね。それでも、その蔵人のことを疑わなかったのですか?」
「そう問われるとツライところですが、むしろ、我々としてはあの泥蜜団子のせいで、犯人は、今上に近づかずに、蜂を仕掛けたと考えていたのです」
どこまでも律儀に、蔵人頭が答える。
あの泥蜜団子があれば、今上の目につく場所に置いておき、自分は現場を離れることができる。あれは甘い香りがするし、今上が、つい手に取ってしまったと考えていたらしい。
「蔵人であれば、内裏のどこでも自由に動けます。それに、自分が蜂に刺されたら本末転倒でしょう。自分の安全を考えたら、今上の私室の机にでも置く方が、確実です」
それで、ここ一か月の蔵人全員の勤務状況を、細かく吟味していたそうだ。
「え、しきたりどおりに弦打ができたからって、現役の蔵人とは限らないですよね。過去に勤務経験がある人でもいいのでは?」
「ええ、今のところ、今上に笛を届けた蔵人は、現役では見つかっていません」
「そうなると、探すのが難しいのだ、斎……」
パパ殿、いい加減、わたしの名前を呼びかけないでほしい。早く慣れてよね。
「あー、つまり、青の袍は特別でな」
袍は、宮廷の制服だ。通常、官位と役職ごとに、袍の色や模様、使う生地まで細かく決まっている。
そのため、各役所の部署ごとで、新しく任官された人に専用の布が配布される。特別製なので、当然、記録も詳細に取ってある。
ところが、青の袍だけは、決まっているのは、色だけなのだ。
「もともと青の袍は、今上のお召し物を染め直して、蔵人に下げ渡す物なのだ」
ああ、だから以前、パパ殿が、「蔵人は名誉職」と言っていたのか。
当時、天皇から衣服を賜るのは、最高の栄誉だった。青の袍には、それと同じ意味が込められているのだ。
「あの青色は、薄いだろう。藍染めを一回しかしていないのだ。蔵人の人数は多いからな、何度も手間暇のかかる染めなど、してられん。それで、あの薄い青が、蔵人だけの色となったのだ」
おまけに、蔵人は、経験者が多い。中下流貴族は、人生の最後の目標の職階として。上流貴族は、宮廷政治のスタート地点として。
天皇は、一度袖を通した着物は、二度と着ない。褒章として下げ渡したり、青の袍に染め直されたりするのだ。普通なら、それで数は充分に足りる。
けれど今上は、幼な子だ。今は、大貴族から持ち込まれる大人用の白絹の袍を、わざわざ一度袖を通してから、青の袍に染め直しているらしい。
「つまり、蔵人の青の袍は、色だけが同じで、生地も地模様もデザインもバラバラ、しかも記録がない、ということですか」
「そういうことだ。蔵人は激務だしな。申請すれば着替えもすぐに下賜されるし、ひとりで何着も持っている。正直、誰が何着持っているか、分からん」
はあぁ。
つまり、遺留品から犯人をあぶり出すのは、難しいということか。
――ん? あぶり出す?
一瞬、何かが頭をかすめたけれど、遺留品がだめなら、ほかに聞きたいことがある。
ずばり、動機だ。
天皇暗殺なんて、これほど動機がはっきりしている事件もない。次に帝位に就きたい人が、黒幕に決まっている。
その辺りを突けば、実行犯はともかく、主犯はすぐに分かると思ったのだが、みんなに微妙な顔をされてしまった。
「そなた、顔に似合わず、えげつない問いをするのぅ」
「もちろん我々も、そこを真っ先に考えましたが……、あからさまな動機のある方が、おられないのです」
今上は10歳だ。最初に思いつくはずの東宮(皇太子)も、まだいない。
同じ理由で、皇后どころか、女御もひとりも入内していない。権力闘争に暴走しがちな「妻の家族」も、存在しないのだ。
先帝も既に亡く、今上の母親である皇后も、産後すぐに亡くなった。今上には兄弟もおらず、叔母にあたる方が、准母と呼ばれる、母代りをしているらしい。
この准母様も、唯一存命の祖父も、すでに出家している。
……なんか、家族の縁の薄いお子だなぁ、今上って。
心の中でだけ、呟いた。




