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まったく別の、御幸


 21回目の御幸みゆきともなれば、近習きんじゅも護衛も、みな慣れたものである。

 得度とくど(出家)して号を鳥羽とした院は、熊野くまのもうでに行幸していた。

 輿こしの上から、連綿と続く山々と、遥かな碧海を眺める。


 熊野は、100年ほど前から聖地として都の貴人から崇められている。最初の行幸は、上皇の護持僧ごじそうだった行尊ぎょうそん大僧正が、若い頃この山で修験道を行っていたので、参詣を強く勧められたのだ。


「最初は……、そう、朕が結婚してしばらくしてからだったな」


 妻の待賢門たいけんもん院と、祖父の白河院も一緒だった。


 ――嫌なことを思い出してしまった。


 だがその頃、鳥羽上皇はつらくて苦しくて、すがりたかったのだ。自分を病から救ってくれたという、薬師如来の使者に。

 熊野に詣でれば、また会えるかもしれないと期待していた。大僧正も同じことを考えていたのでは、と思う。


 鳥羽上皇は、10歳の頃、死にかけた。表向きは病気ということになっているが、実際は、蜂の毒によって殺されかけたのである。

 痛くて、高熱が続き、体から力も水分も失われ、もうだめかもしれない、と諦めかけた時、薬師如来から薬を授けられた。

 これまで口にしたことがないほど甘く美味で、すっと楽になった感覚を、今でも覚えている。

 だが鳥羽上皇が、薬師如来のご加護を確信したのは、むしろ枕を上げ、動けるようになってからだ。

 祖父が、優しくなった。

 自分の話を聞いてくれ、祖父の考えも、少しは教えてくれるようになった。


「現世の幸福もじゃが、とにかく、来世で極楽浄土に行くことが大事じゃぞ、よいな」


 そう言って、これまでになく、信心に熱心になった。


「あの頃が、朕のいちばん幸せな時期だったやもしれぬな」


 しょせん、あの、自己中心的で強欲な祖父である。

 自分への愛情(だったのだろうか)も、3年と保たなかった。いや、よりいっそう、強硬に服従を強いてきた。

 結婚相手も勝手に決められ、元服しても執政の場にも呼ばれず、付き合う相手も制限され、それでも文句も言えない。

 そんな時に、大僧正が熊野詣でを勧めたのだ。

 驚いたことに、大僧正の意見とはたいてい対立する白河院も、賛成した。

 祖父も神の使者に会ったような口ぶりだったが、あの祖父がいたせいで、使者は、姿を見せてくれなかったのかもしれぬ。

 そう思って、鳥羽上皇は、その後何度も熊野詣をすることになったのだ。

 

 「結局、あれから一度もおいでにならないが……」


 いや、そうだろうか。

 白河院の影響力が唯一、及ばない貴族がいた。現在の蜂飼はちかいの大臣おとどである。当時は五位の蔵人で、正直、顔も覚えていなかった。そんな男に、あの祖父が、はっきりと遠慮していた。

 鳥羽上皇は、帝位に就いていた当時から、蜂飼大臣とだけは自由に話すことができた。会話の内容を報告させられることもなかった。

 そして、若御前わかごぜ

 蜂飼大臣に娘がいると知って、無理を言って参内さんだいさせたのだ。驚いたことに、たいへん美しい姫だったのに、男装して現れた。筝の琴の腕前は、素晴らしいものだった。

 鳥羽上皇は、その後も何度か、男装した若御前と宮中で語り合った。周囲は、若御前を女御にょうご尚侍ないしのかみにするつもりだと、思っていただろう。上皇にも、その意思がなかったとは言えない。

 だが、当時、それほどの身分でもなかったのに、蜂飼大臣も若御前も、女人の位人臣くらいじんしんを極められるチャンスを一顧だにしなかった。

 だが上皇は、それでも、よかったのだ。


――若御前は、もしかしたら蜂飼大臣も、何度も神の使者に会っていたのではないか。


 そう思わせる会話が、節々にあった。

 上皇にとって、神の使者のことを話せるというだけで、貴重な存在なのだ。妻になってくれなくても、話せればよい。

 『源氏物語』を読んで、納得した。

 若御前は、朕の槿アサガオの君だ。

 槿アサガオの君は、唯一、源氏の君と恋愛関係にならない女性である。聡明で美しく、和歌も文も、直接会って話しても素晴らしいのに、恋愛だけは拒絶する。


「若御前も神の使者も、朕の罪深さを、初めから存じておったのだろうか」


 鳥羽上皇は、結局、祖父の白河院と同じ道をたどってきた。

 白河院は、鳥羽の息子を5歳で帝位に就けた。鳥羽は20歳でお払い箱になった。

 その院が亡くなったので、自分が政治の実権を握ったのだ。祖父に押さえつけられて、一度もまつりごとを行わないまま、出家した。

 子どもの頃からの理想、親政を行うことは、もはや叶わないが、今度は自分が執政者になってもいいはずである。

 祖父ほどの独裁専制政治を行っているとは、思わない。

 出来の悪い息子ばかりだが、それでも、帝位に就いている息子の気持ち・意志は、尊重しているつもりだ。

 だが、後味の悪さはある。

 権力欲の権化のようだった祖父と、自分が重なるときがある。

 だからこそ、上皇は、「減罪浄化」が為るという、熊野に度々詣でているのだ。


「朕には、薬師如来のご加護がある。日本の王たる資格があるのじゃ」


 薬師如来は、仏教では、東を守護する如来である。

 東の海に浮かぶ日本の王たる、帝の守護神なのだ。

 朝廷の正統な仏教、台密だいみつ(天台宗)では、そう説いている。


 暗殺されかけた自分に、薬師如来のご加護がある。

 この事実が、どれほどその後の上皇の人生を、支えてきたか。


 ――此度はなんと、昔のことを思い返すものよ。


 「今回は特に減罪浄化を祈願し、感謝の念もお伝えせねばならぬの」


 そろそろ、熊野参道に着く。

 宮司達も、うち揃って待っているだろう。

 鳥羽上皇は、首を振って、意識を切り替えた。


 ――自分は、薬師如来のご加護を受けた、治天ちてんの君なのだ。


 それだけが、鳥羽上皇の生きるよすがだった。



 そしてこれが、鳥羽上皇の最後の熊野御幸くまのみゆきとなった。




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