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9月*8日

  9月*8日


  窓から差し込む光で奈央子は目を覚ました。隣にある目覚ましで時間を確認する。

  6時10分。

  慌てて飛び起きる。目覚ましの音に気づかなかった自分に腹を立てながらも、すぐさま朝の予定を下方修正し、実行に移す。10分の寝坊とはいえ、悠長にはしていられない。朝食を抜くことにし、少しだけ化粧の手を抜いてそのほかの身支度を整えていく。

  最後にタンスから白いハンカチを取り、ドアの外に飛び出した。




  鍵を掛け、階段を下りる。

  ちょうどアパートの一階を通りかかったとき、大家の部屋の前にいる人物と目があった。

  隣人の秋山という男だった。


「おはようございます」


  返事はない。だが彼女にとってそれはいつものことだった。引っ越して来てから5ヶ月。彼に会うたびに一応挨拶はしているのだが、一向に返ってくることはない。そんなわけで彼にはあまりいい印象を抱いてなかった。

  この日も彼女はそのまま去ろうとしていたのだが、ふと彼が大家の部屋の前にいることが気にかかった。


「何してるんですか」


  彼にとってその一言は思いがけないものだったようで、珍しく緊張しているようだった。

  しかしそれは彼女にとってもだった。気になったのは事実だが、まさか言葉をかけるとは自分でも思わなかったのである。

  両者の間に気まずい雰囲気が漂う。


「家賃、先月分の払ってなかったから」


  照れ隠しなのか、はたまた本心からなのか彼はぶっきらぼうに答えた。


「そ、そうですか」


  緊張からか言葉が吃る。


「でも大家いないみたい」


  そう答えると彼は自分の部屋に戻っていった。

  しばらく突っ立っていた彼女だったが、自分が寝坊していたことを思い出すと、すぐに駆け出した。


  朝から災難だと、彼女は思った。




  正午。仕事がひと段落ついた彼女は、食堂へ向かった。

  いつも一緒に食べているA子は月末のこの時期忙しいらしく、彼女は一人だった。

  カウンターで日替わり定食を受け取った彼女はテーブルの端の席に着いた。




  昼休みの終わりが近づき、戻ろうかとしていたときのことだった。


「キミ、戸田さんだよね。こんにちは」


 彼はいかにも爽やかな雰囲気を醸し出していた。

  根本ヒロシ。容姿端麗、営業成績トップ。人付き合いの少ない彼女でも、彼が何人もの女子から好意を寄せられていることは知っていた。親友A子もそのうちの一人である。


「実はさ、今夜合コンがあるんだけどさ、女の子が一人足りなくてね」


「もう一人くらい欲しいなって思ってて」


  彼が幹事なのだろうか。たしかに人集めにはもってこいの存在である。


「あの、どうして私なんですか」


「いや、とくにさ、これといった理由はないんだけど話したことなかったからさ、この機会に仲良くなれたらなーとか思ってるんだけど」


  彼は照れ臭そうに答えた。

  彼女は悪い気はしなかった。が、正直なところ乗り気ではなかった。あまり人と関わる方ではない彼女にとってそのような集まりに参加するのは気が引けた。

  するとそこに息を切らしながら、A子がやってきた。


「いやー、遅れてごめーん。あまりにも部長がOK出してくれなくてさ。ほんとまじで腹たつわー。ってあれ、根本さん!?」


  A子は彼に気づくやいなや、態度をガラリと変え、彼の隣に座った。A子お得意のトークが始まる。彼も始めこそは気圧され気味だったが、段々と会話は弾んでいった。

  いつ見てもすごいな、と彼女は思う。

  まあそのおかげでA子は社内の大半の女性から嫌われていたのだが。



  気づくと昼休みはあと五分ほどとなっていた。食堂には彼女たちの他に数人がいるだけだった。


「やばーいもう昼休み終わっちゃうじゃん」


「ほんとだ、僕もそろそろ仕事に戻らないと」


「じゃあ仕事終わったら連絡してね、まってるから」


  彼は少しはにかみながら食堂を去っていった。


「ナオちゃんまじでありがとうっ!おかげでまた一歩根本さんに近づいたわ!」


  そう言うと、A子は彼女の元に駆け寄り、抱きついてきた。


「ちょっとA子!?」


「今日の合コンで絶対ものにして見せるわ!」


  いつのまに話が進んでいたのだろう。別に気にしていたわけではなかったのだが。

  これで良かったのだろう。彼女は仕事に戻ることにした。




  午後10時過ぎ。駅前のスーパーで食材を買った彼女は家へと向かう。

  アパートに入る直前、彼女がA子からのLINEを見ていた時のこと。

  不意に視線を感じた。

  ちょうど二階の自分の部屋の方からである。

  目を凝らす。が、いつもと変わりのないように見えた。

  そう思って視線を外した直後、部屋の中で人影のようなものが動くのを視界の隅に捉えた。

  もう一度確認する。彼女の中で警戒心が生まれる。嫌な予感がした。

  アパートの階段を慎重に登り、部屋に向かう。

  ドアの前に立つ。開けるかどうか迷った末に彼女は開ける方を選択した。

  鍵を回し、ドアノブを回す。

  彼女の予想に反して扉は開かない。

  押さえつけられているわけではない。ロックがかかったのだ。

  つまりドアは最初から開いていたことになる。

  もちろん彼女は朝、鍵をかけたのを覚えていた。

  再びドアを開けようとして思い留まる。

  彼女は最善策を取ることにした。




  「なんすか、こんな時間に」


  寝ていたのだろうか、彼、秋山は目をこすりながら不機嫌そうに出てきた。


  「あの、実は」


  事情を説明する。めんどくさそうに聞いていた彼だったが、途中でドアを閉じられてしまった。




  どうしようかと悩んでいると、ドアが再び開き、中からナイフとバット、それに鍋蓋を持った彼が現れた。


「これ」


  鍋蓋とナイフを渡される。


「ほら、いくぞ」


  バットを持った彼は奈央子の部屋へ向かった。

  あとを追う形で彼女も向かう。


「鍵、よこせ」


  慌てて彼に手渡す。鍵を受け取った彼は、なんの躊躇いもなくドアを開けるとズカズカと入っていく。

  その様子に少しビビりばがらも、彼女も続いた。

  瞬間彼女は顔をしかめた。


「なに、この匂い」


  鉄の匂いが鼻をつく。

  入る時こそ強引だった彼も、この匂いに慎重になっているらしく、歩幅は急激に小さくなっていた。

  一歩づつゆっくりと、手前から風呂場、トイレ、クローゼットと確認していく。

  やがてリビングの扉に近づいた時、その匂いは一段と濃くなった。


「開けるぞ」


  彼の言葉に頷きで返す。

  扉が開かれ、電気をつける。

  一瞬、彼らはその光景が理解できなかった。

  テーブルを中心に広がるピンクと赤。

  ぶちまけられた内臓はテーブルから垂れ下がり、血だまりができていた。


「これは……」


  彼にとってはまさしく言葉にならないものだったのだろう。

  だが彼女にとってはそれ以上のものだった。


  テーブルの上で唯一原型を留めていたもの、それは顔だった。そしてその顔は彼女にとって最も馴染み深い顔、A子のだった。


「どうして……」


「おい、とっととここから出るぞ」


  彼女の腕が引っ張られる。しかし突然の出来事に彼女はその場にへたり込んでしまった。


「しっかりしろよ! 、こんな所にいてもしょうがねえだろ」


  いくつもの罵声が浴びせられるが彼女には届かない。


「ったく、俺は警察呼びに一旦出るからな」


  彼は部屋を出ようと振り返る。


「なんだ、てめえ」


  その言葉に彼女はようやく我にかえる。

  時すでに遅く、バットが床に転がり、彼が倒れる。

  頭部には矢が貫通していた。

  突然の出来事の連続に、またもや意識が飛びかけるが、なんとか状況を理解しようと寸前で踏みとどまった。


「やっと二人っきりになれたね」


  奥から男が現れる。手にはボウガンを持っていた。


「なんであなたが……」


  それは紛れもなく根本ヒロシその人だった。

 



「いやぁ、そいつの処理をするのは大変だったよ本当に」


  彼女は理解できない。


「でも僕と君の邪魔をしたんだからさ、当然だよねぇ」


  脳が拒否していた。


「さあ、一緒に愛を育もう」


  彼の手が伸びてくる。それが体に触れる寸前で、彼女はそれを振り払った。

  直後、腹部に衝撃が加わる。あまりの痛さに顔を上げることすらできない。


「ごめんね、ちょっと痛いだろうけど我慢してね」


  再度蹴りが入る。

  彼女は叫び声を上げることすらできない。


「でもさぁ、あいつほんと最低だよね」


  彼は話を続ける。その間も蹴りが止むことはない。


「この5ヶ月間僕はずっと君と仲良くなりたいと思ってたんだよ。なのにさぁ、いっつもあいつが邪魔してくるんだよ。君はさぁ、あいつが嫌われてるのはあの男に媚びを売る性格のせいだと思ってるかもしれないけど、違うよ。あいつが嫌われてるのは君に近付こうとするたびに邪魔することがみんなに知られてるからなんだよねぇ」


  彼女の意識は朦朧としていた。もはや彼がなんと言ってるのかも分からなかった。ただ彼女は、苦痛からか、それとも何か他の感情かは分からないが、涙を流していた。


「もうそろそろいいよね」


  そう言って彼は奈央子を担ぐと寝室へと運んでいく。

  ベッドに横たえられる。彼は馬乗りになると、彼女のスカートの中へと手を伸ばした。

  彼女にはもう成すすべがなく感じられた、というより、もう何もかもがどうでもよかった。




  どれくらい経ったのだろうか、朦朧とした意識の中で彼女は肌と肌がぶつかり合う音を聞いていた。

  体の感覚はとっくのとうに消えていた。

  無限に続くかと思われたその時、ぼやけた視界の端に人影を見た。

  それは片腕を挙げると、何かに向かって何度も振り下ろしていた。






  スマホが鳴り響く。

  電話だ。しばらくしたら鳴り止むだろう。そう思って目を閉じる。

  彼女は起きる気にはなれなかった。いろいろあったから。

  しかしなかなか鳴り止まない。

  流石に無視できなくなり、重い体を動かし電話に出る。


「もしもし」


「あっ、もしもし、僕ですカイドウです」


  若い男性の声が聞こえてきた。


「どちら様ですか」


  彼女はカイドウという名前に心当たりがなかった。


「いや、何言ってるんですか。戸田さんですよね。昨日会ったじゃないですか」


  昨日の出来事を思い返そうとする。

  そういえば今は何時なのか。スマホの時間は午後11時半を指していた。

  ということは、あの出来事はまだ今日のうちに入る。

  ふと足元を見やると、あの男、根本は頭に矢が突き刺さった状態で倒れていた。

  側にはリビングで死んだはずの秋山が、こちらは頭から矢が抜かれた状態で倒れていた。

  改めて昨日、9月27日のことを思い返す。

  しかし海道と言う名の男とあった記憶はなかった。


「人違いじゃないんですか」


「いえ、そんな筈がありません!戸田奈央子さんですよね、僕のこと忘れちゃったんですか!? 」


「ごめん、分からない」


  だが彼は自分の名前を知っている。やはりどこかで会ったことがあるのだろうか。

  沈黙が流れる。

  海道と名乗った電話の相手は何か悩んでいるようだった。


「これは予想外でした。あなたが覚えていてくれたらどれだけよかったか」


  彼女にはその言葉の真意を理解することはできなかった。


「けど仕方ないですね」


  彼は物憂げに言った。


「本当は事情を説明したいけど、多分今のあなたには見てもらった方が早いと思います」


「悪いけど今こっちは電話してる場合じゃないの、警察を呼ばないといけないから後にしてくれる?」


「もしかして、襲撃者に会いましたか? 」


  思いがけない言葉だった。


「あなたもしかして根本の同僚? あいつがやろうとしていたことをしってたの? 」


「いや、その根本とかいう人は知りませんけど、話を聞く限り今回は人相手だったみたいですね」


  なおさら訳が分からない。


「その人の、ポケットか何かに紙切れみたいなのが入ってませんでしたか?」


「いや意味わからないんだけど」


「とにかくそれを見ればわかる筈です」


  それだけ言うと彼は電話を切ってしまった。

  とりあえず警察と救急車を呼んだあと、彼のポケットを探ることにした。

  鈍痛耐えながら彼の死体のもとまで這っていき、調べる。

  二つ目のポケットを探った時、彼女は数枚のくしゃくしゃになった紙切れを見つけた。

  広げて見ると、すべての紙に小さな文字で文章がびっしりと書かれていた。

  目を凝らして読んでいく。

  数行を読んだところで、彼女はこの紙切れが今日の自分の行動を記しているものだと理解した。

  朝、目が覚めた時、昼間の出来事、仕事場の様子、帰宅後の出来事。

  全てが書かれていた。その時彼女が思っていたことまで。

  そのことに気づいた時、彼女は最後のページを探した。

  もしこの紙の通りに何もかもが起こると言うのなら。今日の最後には何が起こるのか。

  一枚だけ余白がある紙を見つけた。

  彼女は確信する。これが最後のページだと。

  最後の一文にはこう書かれていた。


  これは彼女の話だ。


  さらに上には、


  これで終わり、死後の世界なんてのは存在しないし、彼女が蘇るなんてこともない。


  彼女は紙切れを丸めて投げ捨てた。その先を知るのが怖くなったからだ。


  一体どうなっているのか。


  ただでさえ今日はいろんなことがあったと言うのに。その上まだ何かあると言うのか。


  スマホに再び電話がかかってきた。

  かけてきたのはあのカイドウという男だった。


「見ましたか?」


「ねえ、どうなってるの……、私死ぬの……? 」


「最後にはなんて」


「わかんない、けど死ぬっぽい……」


「死因はなんて書いてあったんですか」


「嫌だ、知りたくない」


「お願いです、教えてください。その情報であなたを助けられるかもしれないから」


  その時だった。

  何かが階段を上る音が聞こえた。

  カン、カンと鉄でできた階段をゆっくりと。


「なにか、来る」


「えっ?」


「殺されるよ! お願い助けて! 」


「今どこにいるんですか!?」


「自分の家だよ!お願い!」


  足音は廊下にまで来ていた。


「分かりましたすぐ行きます!」


「お願い早く!」


  既に電話は切れていた。


  足音は部屋の前で止まった。

  ドアが開かれる。

  足音が再び鳴り始める。

  彼女は目を閉じた。

  夢であって欲しいと願う。

  やがて彼女の前で足音が止んだ。

  そして──。




  これで終わり。死後の世界なんてのは存在しないし、彼女が蘇るなんてこともない。

 

  これは彼女の話だ。





 

 



 


 





 

 

 

 

 




 




 

 

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